みなさんこんにちは!3ヶ月に渡る僕のロサンゼルス・アート修行も大詰め、活動の報告として綴ってきたこのコーナーArt Act in LAもいよいよ最終回です。3ヶ月、全力で活動してきた中で、最終回にふさわしい事件が起きました!

今回LAに渡り、3ヶ月間活動するそもそもの目的は「現代アートの本場アメリカで個展をするための糸口を掴む」ということでした。人脈を増やすこと、必要な情報をえることなど、アメリカでアート活動をし、成功へ向かうための準備にきたわけです。世界中の数多くのアーティストアメリカに集まる中で、なんとか自分という存在に興味を持ってもらい、機会を掴み取るために動き回りました。

前号でも書きましたが、飛び込み営業では累計60箇所のギャラリー及び美術館を周り、ギャラリー関係者と話し、「ここだ。」というタイミングで英訳した自分のポートフォリオを手渡して反応を見るということを実施しました。

結果、多くのネットワークが広がり、有益な情報を数多く得ることが出来ました。思っていたほど名門ギャラリーでの個展開催は甘くないことも痛感しましたし、逆に、僕の作品やスタイルに非常に好感を示してくれる事実に自信を持つこともできました。如何にしても、非常に実りある3ヶ月でした!

「具体的に、いつ、どの場所で個展を開催する」という最も狙っていた形を組み立てきれなかったのが1つ不完全燃焼ポイントですが、その本来の目的は達成できずとも、僕のアーティスト人生にとって掛け替えのない、本当にドラマチックなことが起きました。

滞在日程を5日残し、ロサンゼルスから成田までのチケットを手配しました。やれるだけやった、良い繋がりもできたし、情報も得たし、次に向かうべき方向が見えた。安堵に包まれながらいよいよ帰宅モードで仲間とパッキングしながら映画を観ていました。「ニューヨークの恋人」僕の大好きな映画の一つです。タイトル通り、映画の舞台はニューヨークロサンゼルスの次は天下のニューヨーク、アートの本場に強い憧れを持ちながら「ニューヨーク、行きてぇな~!」と気持ちがこみ上げ、思わず言葉に出したのを覚えています。いつか絶対アートの仕事でニューヨークに行ってやると胸を馳せたのを覚えています。人生とは奇怪で面白いものです。なんとまさにその日の夕方のことです。「今週末、ニューヨークでアートパフォーマンスをしてみませんか?」という仕事の電話を頂いたんですね。

言霊とは本当にあるんですね!仲間達と歓喜に湧きました。ニューヨークギャラリーでアートパフォーマンスをさせてもらえるという事は、今後のキャリアに活かすことのできる絶好のチャンスです。普段ライブアートはやらないのですが、3ヶ月の修行期間の最後にこんな好機もないだろうと思い、即快諾しました。本当に心踊りましたね!何が何でもやるっきゃないなと興奮していたのを覚えています。

普段は専門外であるライブアートパフォーマンスについて熟考しました。ライブアートとスタジオでじっくり時間をかけて行う制作ではもちろん勝手が違うわけです。限られた時間で、如何にしてオーディエンスに新しく、これまでにない感覚を表出していくか、そして自分という存在をできるだけ長く覚えていてもらうためのインパクトを植え付けられるか、という定を基にアイディアを考えました。

アイディアが浮かぶなり速攻準備を始めました。ホームセンターをはしご、道具を買い揃えました。実は、帰国予定日までの日数が残り4日しか残っておらず、ニューヨークでのパフォーマンスを終えるなり、速攻空港に向かってロサンゼルスまでとんぼ返りしなければならない過密な予定でした。すでにロサンゼルス~東京間のチケットを購入済みだったので、ロサンゼルスまで戻ることが必至だったのです。狂ったように荷物をまとめ、ロサンゼルスとは正反対の東海岸に向かう飛行機に乗るために空港に駆け込みました。ニューヨークの主要空港のチケットは既に売り切れ、ニュージャージー州のニューアーク空港までのチケットを購入し、ニューアークへ降り立つことに。

ニューアークに降り立つと、電車でニューヨークシティに向かいました。3年前にテレビの取材でニューヨークを訪れたことがあったのですが、今回は一層、街並みが色濃く移りました。好機を掴んで戻ってきたNYCの景観は何とも感慨深いものがあり、嬉しさが大爆発、心から込み上げるものがありましたね。

油断している暇はなく、キャンバスや、塗料などを揃えにアートショップへ急ぎました。今回のライブアートの構想は、巨大キャンバスを使うことだったので、運搬の都合上、キャンバスは現地で調達する必要がありました。「明日の15時までに絶対に、絶対に届けてくれ!僕の人生におけるビッグイベントなんだ!」とアートショップのマネージャーに発破をかけ、本当にキャンバスが届くであろうかという不安を持ちつつ、翌日の予測不可能な仕事に心躍らせながら眠りにつきました。

翌日、未だ足りてない道具をホームセンターで買い揃えて会場へ向かいました。ダウンタウンからバスで50分、ハーレム地区にあるギャラリーWHITE_BOX」へ。今回キュレーションしてくださったKyokoさん、ギャラリーのファウンダーのファンギャラリーの玄関で迎えてくれました。ニューヨークで著名なアーティストの作品と取り扱うWHITE_BOXでパフォーマンスができることに胸が騒ぎました。

夕方6:30、いよいよ本番。今回は僕が描き上げたアートキャンバスを中国人アーティストのJon Tsoiが切り刻み、仕上げるといった一見奇怪なアートコラボレーションでした。自分が描いたものを切り刻まれる?正直アーティストとしては断腸の極みです。しかし、僕の今後のアート人生を想像したときに、この先こんな経験は味わえないだろうと思いました。新しい境界の拡張に挑戦してみようと思いました。そして、僕の絵を切り刻む事がどんなに苦しいことであったか、という相手の感情も誘いだして、やられるのではなく、やってやろうと思いましたね。実情として、相手のJon Tsoiに挨拶をした際、真っ先に「日本人は甘やかされてる。」という洗礼を浴びせられましたしね。闘うということではなく、全く新しい感覚を覚えてもらおうと思いましたね。

パフォーマンスタイトルをRitual Restoration とし、滅菌スーツのような全身白い作業スーツ着替えました。ゴーグルにガスマスクまで着けて、まるでバイオ研究員の装い(笑)。自分の服が汚れないようにということもありましたが、一番は演出のためです。オーディエンスは、あれは一体何を着ているんだろうとと不可解なものを見る様子で見ていましたから、目を惹く目的は成功です。そして、いよいよ登場し、早速、縦の長さ180cmのキャンバスの上に寝転がり、手首、足首、膝をテープで固定しました。

アシスタントの2人がディープブルーオレンジパープルライトグリーンの絵の具をボトルごと噴射し、身体にかけまくりました。自分自身のカラダの型をキャンバスに写し込みたかったのです。白スーツの上から頭から足の先までペイントをとにかくかけまくりました。僕としてはこの時間が最高にエキサイティングなひと時だったことを覚えています。ニューヨークまで飛んできて、ギャラリーのコンクリートの床におかれたキャンバスの上で天井を見上げていました。オーディエンスからすると、まだどこへ向かうかわからない不可思議なアートパフォーマンス見つめているわけですが、その不可思議な時間を自分自身が引きずり続けられるわけですね。アメリカですから、理解不能、そしてつまらないという感情の時間が長すぎると途中で席を立って帰ってしまうことが普通ですから、どこまで焦らすべきか、そこがミソなわけですね。大の字に寝転んで奇怪なことをしてオーディエンスを待たせる時間が、僕にとっても緊張感であり、恐怖であり、エキサイティングだったのです。心や感情は本来、目に見えないものなのですが、オーディエンスも僕自身も日常にはない方向と時間へ互いに引きずられていることを感じました。相互に心が新しい方へ動く、それがアートの面白みです。

おおよそ、これぐらいであろう時間が経った後にキャンバスから起き上がり、車椅子に戻りました。自分の身体のシルエットがちょうど良い具合に抽象的に象られていました。思った通り、と予想外アクシデント性のある美が調和していて気に入りました。自分の身体のシルエットが白く残ったその空間にペインティングを施して仕上げに向かいます。キャンバスの一番下の足の空間から線を頭に向かって引きます。一本は花の茎、もう一本はその茎の影です。クリスチャン文化を抜きにアメリカは語れません。そしてアート史においてもそうです。マザーマリアの心、バラの花をチョイスしました。赤いバラを咲かせ、バラの影はポキっと折って下に俯かせます。僕も首の骨を折ったからこそ咲く人生がありますし、みなさんがそうで、日々の苦悩に向かい、乗り越えて何かを実らせるわけですね、そんな日常の思いを共有したかったのです。

バラを仕上げるなり、キャンバスをオーディエンスのサークルのど真ん中に敷き戻しました。脱いだ白スーツ、このパフォーマンスで使った筆2本、LAでの生活をずっと共に過ごし、汗の染み込んだ汚ったないキャップをキャンバスの心臓部に投げ込みました。

「これが僕の能力です。Thank you New York!」思いっきり叫び、パフォーマンスを閉めました。

この絵を刻むことは必ず物議を醸す。ということが確信できました。Jon Tsoiが切り刻み始めると「やめろ~!!やめろ~!!」と大声で叫ぶ人、顔をしかめて感情をあらわにする人、結果10人くらいが会場から去っていきました。Jon Tsoiが悪いのではなく、これぞアートだと思いました。日常にない感情に襲われる、耐えきれずに逃げ出したくなる。非日常の感情を味わって人は更新されるものであり、それがアートの役割だとも思います。その感情が悲痛な体験であれば、トラウマと化す可能性もありますが、今回は「美しいものを守りたい痛さ」だったのではないか、そうであったとしたら嬉しいと思います。普通であれば他の誰かがやれば良いわけですから、僕のアーティストである役目は境界を広げるというチャレンジにあったわけです。

パフォーマンスが終わると、Jon Tsoiが「人種、国は関係ないよね、君と僕は仲間だからね」と敬意を表してくれました。戦いあったというより、生み出したという気持ちになりましたね。

僕自身、非常に興奮させられた体験でした。「なぜアートをやっているの?」という質問に正確性を持って答えられない、あるいは思ってもいないことで取り繕う事が多々あります。この体験を通してその質問について改めて考えてみると「日々新しい感覚を追い、新しい感覚をくらい、くらわせられるから」という事が今の段階の答えです。自分自身が心踊ることを探して、手に入れようと必死で手を伸ばし、指先に少し触れてまた離れる、新しい方法で手を伸ばして一瞬つかむ事ができる快感に喜びを覚えるわけです。

3ヶ月間のコラム「Art Act in LA」、「Art Act in LA & NY」に拡張されました笑。3ヶ月、前のめりな姿勢で僕自身の人生がまた色濃くなったと実感しました。目標は絶え間なく伸び続けます。引き続きチャレンジしていきたいと思います。応援してくださった皆様、大変ありがとうございました。日本、海外、僕を見かけたら是非お声かけいただきたいと思います。引き続き応援よろしくお願いします!ありがとうございました

Takayuki Matsumine (松嶺 貴幸)

1985年12月9日生まれ。岩手県雫石町出身。東北の豊かな自然が織りなす強烈な四季の中、 野生の動植物が嬉遊に生息する生命豊かな環境で生まれ、郷土民芸品の継承を担っていた祖父母の影響で「ものづくりに」の機会に恵まれた幼少期を過ごす。2001 年フリースタイルスキーの転倒 事故により頸椎を骨折、脊髄を損傷。2 年 8 ヶ月病院で治療から、自身の生命と向き合う機会を賜った。 生きる欲求と死への恐怖や苦悩が強烈に混ざり合い、本能の根底から「生」の価値観が湧き上がった。2013 年、単身で アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに渡り、サンタモニカカレッジでインダストリアルアートに出逢うと、そのエンターテイメント文化に触発され、全く経験のなかったアートの世界に飛び込んだ。現在は、燃えたぎるものを外部に排出し、残像した脳の内部で起こるニューロン・スパークや神経蘇生への欲求、強烈に飛び出し続ける脳波など宇宙論を形成する量子を自身の作品に落とし込み、造形、イン スタレーション、テクノロジー&サイエンティフィック・フュージョンをはじめとする作品に、一刻一 刻発火し、更新される考察を吐き出している。

2018年4月   View from the Broken Neck  @SO1 Gallery

2018年11月   The Perfect Accident  @aiina Gallery

2019年5月   The Factors  @ガロウ Gallery