9月前半となって日本ではなお厳しい残暑が続いているが、北国ロシアでは既に夏は終わりを告げている。

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 報道によれば北極圏に位置する人口12万人の工業都市ノリリスクでは今年初の吹雪警報と伝えられている。

 ロシアでは夏になると国の体制を揺るがす一大事が起こることが多い。今年もジャーナリストの不法逮捕に対する抗議デモ、統一地方選挙における不当選挙に対する抗議デモがモスクワを中心に盛り上がりを見せた。

 と言っても香港のデモに比べるとその規模は限定的である。香港を上回っているのはデモを制圧する警察官の手際の良さくらいであろうか。

 モスクワの街中を眺めてみると、9月に入って多くのビジネスパーソンが夏休みからオフィスに戻り、学校は新学期が始まることから、先月に比べると人や車の往来は活発化している。

 しかし、ショッピングモールや市内の商業地域あるいはレストランなどでの消費の盛り上がりは今ひとつ勢いに欠ける感が否めない。

 人々はお金を持っていないわけではないのだが、以前のように野放図に使わなくなったようである。

 足許のマクロ経済指標を見ても、景気の底割れリスクは大きくはない。さりとて急回復する要因も見当たらず、ロシアの景気には手詰まり感が漂っている。

 今回はロシア経済のこうした閉塞感を吹き飛ばす、景気の良い話をご紹介したい。

 と言っても、「ロシア発のユニコーン企業がモスクワ市場に上場!」という類のおめでたい話ではない。

 ロシアの銀行市場の特殊性についてはこれまでも拙稿で何度か触れてきた。

ロシア中銀の厳しい監督体制の下、中小零細銀行を中心に銀行ライセンスの取り消しがハイペースで進んでいる。

●その結果、ズベルバンクを筆頭に政府系銀行の預金・貸出シェアが高止まりしている。

●そもそも対GDP(国内総生産)比で銀行貸出の比率が極めて低いことなどである。

 こうしたマクロ面でのユニークさもさることながら、ロシアの銀行で興味深いのはほとんどの銀行で「セキュリティ・オフィサー」と呼ばれる役職が存在することである。

 彼らの仕事は日本で言う「警備」でもなければ、ITシステムのセキュリティ担当でもない。

 ロシアの銀行が直面する様々な問題、例えば顧客とのトラブル、顧客の信用調査、当局(中央銀行、税務署など)との交渉などを即時に解決してくれる頼もしい存在なのである。

 そして、その役職に任命されるのはFSB(ロシア連邦保安庁)出身の人物である。FSBの中には「K 部門」という銀行ビジネスを専門に監視する部署が存在する。

 そのK部門のトップを務めていたキリル・チェルカリン大佐(38歳)とその部下2人が今年4月25日、収賄の罪で逮捕された。

 彼らの自宅から発見されたのはなんと120億ルーブル、日本円にして約200億円の現金と貴金属であった。ロシア贈収賄事件の中でも最大規模の金額である。

 それ以前の2013年の夏にはロシアの新聞ノバヤガゼータイタリアスイス国境のマッジオレ湖畔にがチェルカリン大佐名義の高級不動産物件が登記されていることを報じていた。

 その規模に驚いている場合ではない。彼らは一体どうやってこのような多額の賄賂を手に入れたのだろうか?

 ロシアで調査報道を得意とする「The Bell」がその経緯を詳細に報じている。以下はロシアの大手金融グループ「Life」の共同設立者であったゼレズニャク氏が2019年に米国の商事裁判所で証言した内容である。

 チェルカリン大佐との最初の出会いは2014年夏のことである。大佐は制服ではなく私服で運転手付きのレンジローバーに乗ってやってきた。腕にはロレックスの腕時計が光っていた。

 大佐はグループの銀行であるプロビジネスバンクにFSBのOBを副頭取として送り込むことを提案した。

 年俸は12万ドル、さらに個室に運転手と秘書を要求した。これはロシアにおいては好条件であるが、目玉が飛び出すほどの待遇ではない。

 それから程なくしてゼレズニャク氏はLifeグループの株式の一部を別会社に譲渡することを提案された。その別会社はFSBや検察庁の高官に対する利益供与に使われるためであった。

 要するに、FSBはOBを銀行に送り込み、セキュリティ・オフィサーとして銀行の資金の流れをすべて把握させる。

 そして疑わしい取引に対しては、それを見逃すというよりも積極的に隠蔽する(中銀や税務当局に対して)ことによって銀行から一定の賄賂を受け取っていたのである。

 FSBはモスクワのみならず地方にも堅固なネットワークを築いている。こうしたネットワークを活用してキャッシュ輸送まで手がけていたことも判明している。

 特にロシア南部はグレーな商取引がはびこっていたことからキャッシュを容易に入手することが可能であった。

 それをモスクワの精鋭部隊が休暇を取って、車両は整備に入庫したことにして、現金輸送を行っていたという。

 こうしたFSBによる民間銀行を利用した荒稼ぎは2000年初から盛んになった。すなわち、マネーロンダリングが盛んになった時期と一致する。

 一方、近年は中銀によるマネーロンダリング規制が厳しくなったことから、FSBは新たなキャッシュ・カウ(カネのなる木)が必要となっていた。それは銀行救済である。

 今年の7月に「The Bell」が報じたのはロシア預金保険庁(DIA)の第1副長官ヴァレリー・ミロシニコフの癒着関係と汚職手口の詳細である。

 DIAはこの15年間、国内銀行の清算と再建に従事してきたが、そこには1兆ルーブル(17兆円)の資金がロシア中銀と連邦予算からつぎ込まれてきた。そして319行を清算、今なお366行が清算途中にある。

 4月にチェルカリン大佐が逮捕された直後にミロシニコフ第1副長官は病気治療を名目に国外に脱出、それ以来帰国していない。預金保険庁はその2か月半後に彼の辞任を公表した。

 チェルカリン大佐とミロシニコフ第1副長官はDIAの管理下に置かれた銀行に対して、銀行ライセンス取消の先延ばしの見返りに賄賂を要求していた。

 銀行ライセンス取消の権限はロシア中銀にあるのだが、その実施を先延ばしすることによって、その間に資産流出させることができる。

 さらにある銀行関係者はDIA関係者を名乗る人物は資産流出の見逃しの見返りに2億ドルの賄賂を要求されたという。この手の賄賂は流出額の30%が相場と言われている。

 ロシアのトップ30行の一つであったメジュプロムバンクは2010年10月にロシア中銀によって銀行ライセンスが取り消された。 同行の当時の資産は1750億ルーブル(当時のレートで4600億円)と既往最大規模の銀行の破綻となった。

 同行は1992年に設立、エリツィン政権との強いつながり(エリツィン大統領は同行発行のクレジットカードを使用していた)を背景に事業を拡大、オーナーセルゲイ・プガチョフ氏はロシアの長者番付上位に名を連ね、上院議員でもあった。

 このセルゲイ・プガチョフ氏はミロシニコフ第1副長官から3.5億ドルの賄賂を要求されたことを国内のメディアに対して明らかにしている。さもなければ彼自身の命、あるいは家族の身に危険が及ぶと脅迫されたという。

 明らかに預金保険庁だけでなせる所業ではない。もっとも、プガチョフ氏もかなり荒手のビジネスで富を蓄えてきたことも公然の秘密である。同じ穴のムジナと言えないこともない。

 こうした銀行清算に対するDIAとFSBの介入に対して、ロシア中銀は強い危機感を示していた。

 その証拠に昨年のロシアトップ10上位行であるアトクリティエ銀行、BIN銀行、プロムスビャズ銀行の再編に関しては2.3兆ルーブル(約3.9兆円)という多額の公的資金がつぎ込まれることもあり、ロシア中銀はDIAを介在することなく、中銀による直接管理を選択した。

 しかし、なぜFSB、その前身はKGBであるが、の職員の一部がこのような桁外れの汚職行為に手を染めてしまったのだろうか。

 汚職は金額が少なければ許されるものではないが、仮に数百万円の賄賂であれば、彼らの頭脳と力量をもってすれば揉消すこともあながち不可能ではなかろう。

 しかし、200億円という金額は、どう謀っても隠しようのない規模の金額である。ばれることを承知でやっているとしか思えない。

 モスクワ地下鉄に乗っていると車内のディスプレイに流れるアニメビデオに目が留まった。そのビデオには2人の男性が登場する。

 一人はまじめにコツコツ仕事を続けることで、着実に収入が増える。もう一人は「コラプション」に手を染めて、一時的に収入は急増したものの最後に刑務所送りになるという啓蒙ストーリである。

 そもそもコラプションで懐を肥やす人間が地下鉄に乗るとも思えないので、啓蒙どころか善良な市民の神経を逆なでするだけだろう。

 先のミロシニコフDIA第1副長官のように国外に逃亡してその罰を逃れている現状を放置したままだと、ロシア市民の怒りが爆発するのも時間の問題かもしれない。

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ドルマークのついたバルーンが門にかけられたロシア中銀(写真:ロイター/アフロ)