
混沌とした社会に振り回され、理想と現実の落差に苦悩を抱く夫婦。夫婦崩壊を回避するためには、どうすれば良いのか。近畿大学教授でジャーナリストの奥田祥子氏が、長期にわたる取材を重ね、夫婦の実態に迫った。(JBpress)
(※)本稿は『夫婦幻想』(奥田祥子著、ちくま新書)より一部抜粋・再編集したものです。
ネガティブな夫婦の形
取材対象者の多くが口にした言葉からは、目の前の現実から目を背け、「幻想」の中だけにしか夫婦像を描けない男女の悲哀を感じずにはいられなかった。と同時に、苦悩し、憤りながら、それでもなお、夫婦にかけがえのない関係性を求め続ける人間の性(さが)に、私は幾度となく激しく心揺さぶられたのである。
古くは「家庭内離婚」「濡れ落ち葉」「くれない族」から、「熟年離婚」「卒婚」「鬼嫁」まで、夫婦をめぐる問題や現象、新たな形態などをまるでキャッチコピーのように面白おかしく表現した言葉は、いつの時代にも事欠かない。それほどまでに「夫婦」は常に耳目を集めてきたといえるだろう。大半がネガティブに捉えた概念でありながらも。
仕事一辺倒のツケ
男性の「孤独」が顕在化するのは、定年退職後ということになるだろう。だが、それは妻など身近な人間だけでなく、周囲の誰から見てもそうとわかるほど顕著に現れるのが「定年後」ということであって、正確には定年を迎えるずっと以前からすでに、男性は孤独を感じ始めている。そうして、いつからか、それは「孤立」へと深刻化していくのだ。
なぜ、男性は孤独、そして孤立に陥りやすいのか。大きな要因は仕事第一主義である。
高度経済成長期に成熟した「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業は、「一家の大黒柱」として家庭での権威を保証する代わりに、妻子を養うために仕事に身を投じる重量を男たちに課し、男性と仕事を物理的にも精神的にも密着させた。仕事中心の男性が、職場以外の場での人間関係が乏しくなるのは当然のことともいえる。
仕事一辺倒で家庭を顧みてこなかったツケが回ってきたかのごとく、男たちの心はさまよい、孤独感が募り、やがて孤立化していくという悪化の一途をたどっているように見える。
わが子の自立を促すためにも、父親の役目は欠かせない。それは物理的な関与の大きさに限ったことではない。
父親の役割をしっかりと果たしてこなかったために、父親の務めから卒業する、つまり「卒父」などできるわけがなく、自身が人生の次のステップへと進んでいけないのだ。こうした父親としての姿勢・あり方が、夫婦関係においても悪影響を与えているのである。
「卒母」を果たし、新たな自分のための人生を歩み出す女性が続々と出現しているのに対し、男性は前へと歩を進める妻子から取り残され、充実した残りの人生を送ることが難しくなってしまう場合が少なくないのである。
求められる日本の労働環境改善
長時間労働の是正や非正規の待遇改善、柔軟な雇用形態の導入・拡充などの働き方改革は、夫婦関係を再構築するためにも非常に重要な課題である。
日本人男性の労働時間の長さは、世界でも類を見ない。OECD(経済協力開発機構)の労働時間 の男女別国際比較(2014年公表)によると、1日の有償労働の時間(学習時間を含む)は、男性では日本が471分と、調査対象の29か国の中で最も長く、米国(308分)、 英国(297分)、ドイツ(282分)、フランス(233分)など他の先進諸国を大きく突き放した。
まずは夫が長時間労働から徐々にでも解放されることで、家事や育児など妻が主に担ってきた私的領域での無償労働について、分担する余裕が生まれて生活力やケア能力が身につき、生活面の自立にとって有効だ。
妻も、夫が子育てなどを分け合って受け持った分を有償労働や社会活動の時間に回すことができ、経済的、社会的な自立に向けて前進する。正社員として働いて一定の経済力をつけている女性にとっても、長時間労働の是正は、仕事と家庭の両立にプラスに作用するとともに、管理職昇進など自身のキャリアアップも図りやすくなるだろう。
伝統的な性規範や性別役割規範が、男性の長時間労働を容認、助長してきた面もあり、男女双方に意識改革が求められているが、労働・雇用問題は個々人の力だけではどうすることもできない。
公共政策と、企業など雇用主による働く者の側に立った労働環境改善の努力が欠かせない。
幻想から抜け出す
夫婦関係は今、なおいっそう不安定になり、リスク化している。それに伴って夫も妻も、実現不可能な「幻想」を追い求めてしまっているのである。
こうした負の要素を克服して夫婦「幻想」から抜け出し、真の意味での絆を取り戻すためには、夫婦関係を再構築する、すなわちリストラクチュアリング(リストラ)しか残されていないのである。
自分のものさし
承認欲求が満たされず、夫・父・男として、他者・社会から求められる規範から逸脱していると自覚している人たちの中には、アイデンティティを喪失している人々が少なくない。
「男として情けない」「妻、母として自分の存在価値が見つけられない」などの語りはそれを象徴していた。
しかしながら、そもそも、混ざり気のない唯一の自己など存在しない。一人の人間がポジティブな面もネガティブな面も、また動的で積極的な要素も、静的で消極的な要素も、併せ持つことが往々にしてあるものだ。
他者や社会との相互作用が自己形成に与える影響の大きさを踏まえると、それは当然のことといえる。
自己の一貫性にこだわり過ぎず、多元的なありのままの自分を認めたうえで、社会や他者が決めたルールではなく、自分のものさしで己と夫・妻、夫婦の関係性・あり方を見つめ直すことが非常に重要なのである。
現代社会において負の言説が目立つものの、人はかけがえのない関係を、ほかの誰でもない夫・妻に求め、「夫婦」を欲することを止めない。
地域や学校、職場、社会全体において、人と人とがつながりにくい時代だからこそ、今、夫婦の絆が求められているのである。
そのかたちは決して一様ではない。夫婦の明日は、それぞれが折り合いをつけながら、自分のものさしでつくり上げていくものなのである。
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