スパーキーアンダーソン監督の片腕、派手なジェスチャーでも話題に

ビッグレッドマシン」と称された1970年代シンシナティ・レッズで、三塁コーチを務めたアレックス・グラマス氏が9月13日に93歳で亡くなった。

 グラマス氏は1926年4月3日に米アラバマ州バーミングハムに生まれ、ミシシッピ州立大学を経てホワイトソックスマイナー契約。52年にレッズ、翌年にヤンキースに移籍。54年にはカージナルスに移籍して、この年にメジャーに昇格した。53年には、アメリカン・アソシエーション・リーグオールスター遊撃手に選出されるなど、注目される存在だったが出世は遅く、メジャー昇格時には28歳になっていた。

 グラマス氏は遊撃手として、のちに殿堂入りするレッドショーエンディーストと二遊間コンビを組んで106安打を放つなど上々のメジャーデビューを果たしたが、この年の安打数が、キャリアハイになった。以降、レッズカージナルスカブスと移籍を繰り返しながら、10年間メジャープレーしたが、規定打席には一度も到達せず。二塁、三塁、遊撃をこなすユーティリティプレイヤーとして各球団で重宝された。また、打撃も勝負強く、レッズ時代の57年には99打数30安打、打率.303を記録している。63年10月カブスリリースされ引退。37歳だった。

 MLBでの通算成績は913試合、2073打数512安打12本塁打163打点、打率.247だった。

 引退後はカブス傘下のマイナー球団の監督や、コーチを経て、69年には解雇されたラリーシェパード監督の後任としてパイレーツの采配を5試合だけ執った。

 1970年スパーキーアンダーソン監督率いるシンシナティ・レッズの三塁コーチに就任。圧倒的な強さを誇り、「ビッグレッドマシン」と称されたレッズの快進撃に大きく貢献した。

 76、77年にはブルワーズの監督に就任。オーナーはのちにMLBコミッショナーとなるバド・セリグ。現役最晩年のハンクアーロンが在籍していたが、2年連続でア・リーグ東地区の最下位に終わる。

 翌78年には再びレッズに三塁コーチとして復帰。この年の日米野球でも来日し、ピート・ローズが二塁にダイビングするときに「飛び込め!」とジェスチャーするおなじみのポーズを披露した。

 しかし、帰国後にアンダーソン監督が解任されると、グラマス氏も退団。ブレーブスコーチとなるが、79年6月にアンダーソンタイガースの監督に就任するとコーチとして招かれ、91年まで務める。84年の世界一にも貢献した。

 あだ名は「ギリシャ人」。監督としては137勝191敗、勝率.418。成功したとはいえないが、MLB史上に残る名コーチだったといえよう。(広尾晃 / Koh Hiroo)

タイガースでもコンビを組んだアンダーソン氏(右)とグラマス氏(左)【写真:Getty Images】