(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)

JBpressですべての写真や図表を見る

 福島第一原発に貯水されている100万トン以上の「処理水」のゆくえが、改めて話題になっている。原田義昭前環境相が「薄めて海に流すしかない」と発言したあと、小泉進次郎環境相がそれを否定し、福島県漁連に陳謝して話が混乱している。

 韓国政府もそんな日本の弱点を見透かして、IAEA(国際原子力機関)で「福島の処理水は世界全体の海洋環境に影響する」と主張している。日本政府はそれに「受け入れられない」と反論しているが、どう処理するかは答えられない。これまで安倍政権は、この問題を先送りしてきたからだ。

1000基のタンクの中の57ccのトリチウム

 福島第一原発に行って見るとわかるが、そこで毎日5000人の作業員が防護服を着て行っている作業は、敷地の中の水を汲み上げて、約1000基のタンクに貯めることだ。その水のほとんどは、単なる雨水と地下水である。

「これはそんなに危険な水なんですか?」と東電の幹部に聞くと、「飲んでも大丈夫です」という。私が「環境基準以下に薄めて流してはいけないんですか?」と聞くと、彼は「私たちには決められません」と答えた。

 普通は原発から出る水は、強い放射性物質を除去した残りは薄めて流す。福島第一でも、事故まではそうしていた。ところが2011年の事故で原子炉の炉心が溶融し、それを冷却した水に大量の放射性物質が混入した。

 これを除去するために、国の予算で多核種除去設備(ALPS)という最新鋭の設備を導入し、62種類の放射性物質を除去したが、トリチウム三重水素)だけはALPSでは除去できないので、処理水の中に残っている。

 トリチウムは自然界にもある水素の放射性同位体で、酸素と結合して水に混じっている。化学的には水素と同じなので、原理的に分離できない。ごく微量のベータ線を出すが、水中を0.006mmしか伝わらないので人体にほとんど影響はない。

 トリチウムの含まれる水の量は福島第一原発全体で57ccと見積もられているが、これが100万トンの水の中に混じっている。最初は東電も国も「トリチウム以外を除去すれば何とかなるだろう」ぐらいに考えていたのだろうが、 問題は予想外に難航した。

無責任体制で拡大した風評被害

 トリチウムを薄めて流すという東電の方針に、福島県漁業協同組合連合会が反対した。彼らは「トリチウムが危険だ」と主張したのではなく、「消費者が危険だと思うので魚が売れない」というのだ。

 これは「風評被害に漁業補償をよこせ」ということだろう、と電力業界の関係者は受け取ったが、東電はすでに休業補償を出したので、2回カネを出すことはできない。事故の責任は東電にあるので、国が賠償することもできない。

 トリチウムの害がいかに小さいかを説明しても、漁協の「風評被害は消えない」という論理には勝てない。農産物の賠償問題と同じである。陸上ではこのために大量の土砂や瓦礫を除去したが、海水は除去できない。これがトリチウム問題の行き詰まった原因である。

 処理水をこれ以上貯めるのは危険である。このままタンクが増え続けると、2022年には福島第一の敷地を埋め尽くし、大地震が起こったらあふれてしまう。

 2015年には作業員がタンクから転落して死亡した。このとき原子力規制委員会の田中俊一前委員長は「世論に迎合して人の命をなくしては元も子もない」と批判し、トリチウムの海洋放出には技術的に問題がないと述べた。

 東電の川村隆会長も2017年に「田中委員長と意見は同じだ」と述べて、海洋放出の意向を示唆したが、漁協が抗議し、東電は撤回した。田中氏は激怒して「私を口実にするのは、事故の当事者として私が求めていた(地元と)向き合う姿勢とは違う」と東電を批判した。

 経産省の「トリチウムタスクフォース」は2016年に「希釈して海洋放出することがベストだ」という報告書を出したが、経産省は「助言するだけで決定する立場にない」という。今も小委員会で議論を続けているが、これは結論を先送りする口実である。

福島沖で獲れる魚は安全だ

 福島第一原発事故から8年。放射能の人的被害はなかったが、心理的な風評被害の規模は予想をはるかに上回る。その中で最後まで残っているのが、このトリチウム問題である。これが動かないと、福島の廃炉は前進しない。

 もちろん責任は事故を起こした東電にあるが、彼らには当事者能力がない。事故で東電の経営は破綻し、原子力損害賠償・廃炉等支援機構という形で実質的に国有化されているからだ。東電が国の決定なしで、トリチウムの放出を決めることはできない。

 ところが国も逃げ回って決めない。安倍首相が決めないからだ。トリチウムは、原子力をめぐる無責任体制の象徴である。こんな状態では21.5兆円という予定の福島第一の廃炉費用はさらにふくらみ、電力利用者や納税者の負担が増えるおそれが強い。

 この問題の答は、科学的には1つしかない。世界の原発でもやっているように、トリチウムを環境基準以下に薄めて流すことだ。IAEAで騒いでいる韓国では、月城原発から累計6000兆ベクレルトリチウムを流した。これは福島にあるトリチウムの総量760兆ベクレルの8倍である。

 それ以外の核種もタンクの中には残っているが、これは2次処理して海洋放出すればよい。今の量ならこのまま薄めて流しても環境に影響はない、というのが規制委員会の見方である。

 この行き詰まりを打開するには、国の責任を明確にして、その責任者が決断するしかない。原子力防災担当相になった小泉氏を、トリチウムの処理方法を決める「風評被害特命相」としてはどうだろうか。

 風評被害の問題は、本質的には単純である。科学的には決着がついているので、風評さえなくせばいい。その鍵を握るのは規制委員会でも経産省でもなく、マスコミである。ワイドショーに絶大な人気のある小泉氏が、福島の魚を食べればいいのだ。

 福島第一原発の沖では、今も小規模ながら漁業が行われている。トリチウムを試験的に薄めて流し、小泉氏がその沖で獲った魚を食べる。彼が復興政務官だった2013年に、福島のリンゴを食べたのと同じである。

 福島県漁連も本格操業する計画はあるようだから、今のように中途半端な状態を先送りしているより、東電がトリチウムを流して国が安全性を証明したほうがいいだろう。福島の漁業を建て直すには、漁業が再開できることを示すのが一番である。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  韓国の「反日」は政治が作り出した感情

[関連記事]

文在寅政権の「反日」は国内問題だ

進次郎人気の陰で安倍改造内閣に課せられる「試練」

第4次安倍再改造内閣が発足し、会見に出席した小泉進次郎環境相(2019年9月11日、写真:ロイター/アフロ)