2017年に第一子を授かり、パパとなった、お笑いトリオロバート山本博さん。息子くんとの生活の中で感じた「?」や「!」をマンガに描き、昨年7月からインスタグラムで発信。そのイラストをもとに、山本さんがパパ芸人ならではの気づきを綴る本連載。第45回は、ユニークなメンバーで結成された「山本会」と、あの伝説のユニット誕生秘話について。

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ロバート山本×アンガ田中×ドランク鈴木の「悲愴感
前回、「タナちゃん」ことアンガールズ田中卓志くんについて、「親目線で今後が心配だ」とお節介だと思いながら書かせていただきました。それってやっぱり、付き合いが長くて腐れ縁だから、というのも大きいんです。僕とタナちゃん、それと、ドランクドラゴン鈴木拓さんの3人で組んだ音楽ユニット「悲愴感」のことを覚えてる人はどのくらいいるのでしょうか?

今回は、タナちゃんとの出会いそして、そして「悲愴感」結成の過程を振り返りたいと思います。

そもそもは、僕と鈴木さんがフジテレビの『はねるのトびら』で共演していたのですが、番組ではずっと僕と鈴木さんのことを、「すみっこ芸人」とか「窓際芸人」みたいに呼んでいたわけです。主要メンバーであるキングコングの2人(西野亮廣、梶原雄太)なんかはいつも出番があるのに、僕らは毎回のように出番ゼロ。で、鈴木さんと「またキングコングだよ。いいなぁ」としゃべっているうちに、だんだん仲良くなったんですよ。

鈴木さんも、常に自然体でいる平和人間ですし。ちょうどそんな頃、日本テレビの『ウリナリ』(ウッチャンナンチャンのウリナリ!!)の「芸能人社交ダンス部」という企画で共演するようになったのがアンガールズだったんです。

■まるでドリフのような合コンでの奇跡的結末
僕らロバートアンガールズって、年齢は違えども芸能界デビュー的にはほとんど一緒で、同期みたいなもの。それもあって『ウリナリ』でしゃべるようになったら、「あれ? この人も平和的な人間だな」と(笑)。もう、すぐに鈴木さんに電話ですよ。「同じ匂いの芸人を見つけましたよ!」って。鈴木さんも「じゃあ、会わせてよ」となって、3人で会ってみたらすぐに意気投合しました。

芸人って、基本はやっぱりガツガツした人が多い世界。でも、僕らはどうにもそれが苦手で、芸人のなかでは少数派だと思います。そんな珍しいタイプの人間がいたことが嬉しくって、地味な3人で集まることが多くなったんです。そうしたら、それを誰かが「山本会」って言い出したんです。別に僕がリーダーってわけじゃなく、その会を開催したってだけなんですけどね。

でも、確かに一緒に遊ぶことは多かったです。僕も鈴木さんも独身だった頃は3対3の合コンをしたこともあります(笑)。まあでも、御察しの通り全員惨敗でした……。普通に飲んで、電話番号は誰も聞き出せず、女の子3人が先に帰っちゃって、「あ〜ぁ」と横一列に並んでうなだれていたら、僕らの後ろのふすまがナゼかバーンって倒れてきて、3人の頭にゴツーン。あれには驚きましたね。

「これもうドリフターズさんのコントでしょ!」みたいな。カメラも回ってないところで俺ら何やってんだ!?と。「こんなの悲しすぎるよー」と言っていた3人が、いつの間にか『悲愴感』を組まされることになるわけです。

■まさかのオリコン5位!CDデビューと、湘南乃風若旦那さんとの思い出
よくいるじゃないですか、クラスでも端っこの方でいつも一緒の、地味だけど仲のいい3人組。それが僕らです。タナちゃんなんて、今でこそ売れっ子ですけど、当時はイロモノ扱いで、3人とも陽の目を見ることなんかないだろう、みたいな感じだったんですけど、それがある日、見つかってしまったわけですよ。クラスのヤンキーたちに(笑)。

「お前ら仲良いなぁ、ちょっとこっち来いよ」と引っ張り出され、気がつけば悲愴感。2008年のことだから、もう10年以上も前の出来事なんですよね。活動期間は3カ月くらいしかなかったんですけど、信じられないことばかりが起きた3カ月でした。歌とダンスを教えられて、踊らされて。CDにしてみたらなぜかすごく売れちゃって。

オリコンの週間ランキングで最高5位ですよ。同時期にリリースした湘南乃風さんの曲が6位で、これはやばい、と。こんな芸人がノリで出した曲のほうがランキング上とかぶっ飛ばされる!って思いましたもん。そして、実際にその直後に湘南乃風若旦那さんと番組でご一緒する機会があったんです。

そしたら若旦那さん、「いやぁ、僕も聞かせてもらってます」という大人な対応ですよ。あの時の若旦那さんはすごく紳士的だし、プロフェッショナルを感じました!

楽屋帰って「若旦那さん、めちゃくちゃカッコ良い!!」って地味な三人でずっと言ってたのを覚えています。
(mamagirl

掲載:M-ON! Press