photo by Phil Roeder via flickr (CC BY 2.0)

 山本太郎氏のカリスマ性が強烈な原動力となり、先の参院選で一大ブームを巻き起こした「れいわ新選組」。

 民主主義や議会政治が否定され、次第に全体主義的傾向が強まり、その一方で外交や経済政策の失敗を隣国への差別扇動で誤魔化そうとする昨今の日本の政治に「NO」を叩きつけたい人々が、山本太郎氏のカリスマ性に賭けたこともそのブームの一因だっただろう。

 しかし、本当に社会を変えるために、強烈なリーダーシップを持つ人を立たせることこそが必要なことなのだろうか?

 『月刊日本 10月号』より、気鋭の経済思想家、斎藤幸平氏のインタビューを紹介する。

サンダース山本太郎の違い
―― 斎藤さんは新著『未来への大分岐  資本主義の終わりか、人間の終焉か?』(集英社新書)の中で、アメリカのバーニー・サンダースイギリスのレジェミー・コービン労働党党首が英米の政界で新たな動きを作りだしたことについて、政治家個人のカリスマ性よりも、彼らを生み出した社会運動の力が大きいことを指摘しています。

斎藤幸平氏:日本のマスコミ評論家サンダース現象を分析し、アメリカ社会の階級格差が広がるなかで、「雇用を創出します」、「再配分政策を実施します」といった反緊縮政策を掲げたサンダースリーダーシップがあの人気につながったと主張しましたが、実際はそうではありません。

 むしろ話は真逆で、リーダーシップを発揮したのは社会運動のほうです。政治家個人は社会運動の要求を実現するための一つの駒にすぎません。サンダースの場合、2011年のウォール街オキュパイ運動にかかわった人々が彼を支えました。その後も、反黒人差別運動、#MeToo運動、あるいは気候変動対策を訴える運動などと、サンダースは対話を通じ、人々が何を求めているかを学び、それを政策に反映させていったのです。ここには、リーダーシップ像の転換があることが重要です。
 そのため、仮にサンダースが態度を変え、ウォール街の言いなりになるようなことがあったとしても、サンダースが見捨てられるだけで、この社会運動が縮小することはありません。この動きはサンダース個人のカリスマ性や力量に依存しているわけではないからです。

 一方、日本では、立憲民主党の枝野さんを日本版サンダースに見立てる人たちがいましたが、背後に社会運動がない以上、「サンダース」とは雲泥の差がある。

 では、社会運動の当事者たちを参議院議員の候補者にたてた、れいわ新選組はどうか。山本太郎さん自身は、反原発運動をはじめとする社会運動の現場を地道に回っている人で、ここに新しい可能性があります。とはいえ、れいわ新選組は太郎さんのカリスマ性に依存しています。
 もし山本太郎というリーダーがいなくなってしまえば、社会運動を政治に結びつけようという、れいわ新選組の勢いは一気に萎んでしまうでしょう。ここがサンダース現象とれいわ現象の違いです。

◆なぜ社会運動を回避してはいけないのか
―― 日本で政治的リーダーに期待する声が大きいのは、焦りからではないでしょうか。日本の自殺者は年間2万人、自殺未遂者は年間50万人を超えています。それゆえ、社会運動に地道に取り組む余裕がなく、カリスマリーダーに直ちに社会を変えてほしいという思いが強くなっているのだと思います。

斎藤幸平氏:危機が深まれば深まるほど、劇薬によって一気に問題を解決したいという欲求が出てくるのは無理もないことです。しかし、それはすごく危険なことです。

 たとえば、気候変動や経済危機のような緊急事態に対処する場合、法律や制度を一気に変えたくなる。ただし、その際、効率性を重視して、リーダーに全権を譲渡してしまうなら、全体主義に陥る危険性がある。解決策の策定や決定を一人の人間や一つのグループに任せてしまうのは危ない。それが、『未来への大分岐』で、私や私と対談を重ねた海外の知識人たちの共通認識です。

 しかし、最近の日本では、社会運動を回避して政治や政策に期待する傾向がどんどん強くなっています。左派の間で行われている「反緊縮」の議論が、その最たるものです。

 彼らの議論は簡単に言うと、日銀がお金を刷れば経済が成長し、それによって再分配が行われるというものです。この一連の流れの中には、社会運動もなければ労働運動もありません。日本では社会運動を盛り上げることが困難なので、政治家が制度を変えてくれることに期待しているわけです。

 金融緩和や財政出動の意義を否定するわけではもちろんありません。しかし、仮に日銀が刷ったお金が社会保障に回ったとしても、それが現場でしっかりと運用されるかどうかはまた別の問題です。そのお金を運用する事業体が貧困ビジネスばかりであれば、何の解決にもなりません。逆に低賃金や長時間労働、パワハラセクハラが蔓延する現場を増やす恐れさえあります。

 実際に制度がどのように運用されるかは、現場のパワーバランスで決まってきます。だからこそ社会運動によって絶えず闘争していくことが重要なのです。闘争を回避した制度改正は、実現の可能性が高そうに見えるのでつい期待してしまうのですが、むしろ事態を大幅に悪化させる危険性があります。

◆闘いの主戦場が選挙ではダメ
―― 社会運動を行っているのは左派だけでなく保守派も同様です。日本で言うと、自民党議員たちは農協や郵政、業界団体などによる社会運動に支えられ、国会に送り込まれた人たちです。彼らに対抗するには、彼らと同じくらい社会運動を積み重ねなければなりません。そう考えると、左派が自民党に対抗していくことは困難のように思えます。

斎藤幸平氏:確かに自民党が地域や業界と密着していることは事実ですが、業界団体の要求がそのまま自民党の政策に反映されているわけではありません。自民党と業界団体の間には民主主義的な構造がないですし、業界団体内にも民主主義的構造がありません

 また、小泉政権以来の構造改革やTPPに代表されるように、自民党は業界団体を攻撃してきました。そのため、業界団体がどんどん離反しています。それは自民党の選挙における得票数が低下していることからもわかります

 さらに、最近では業界の利権の外にいる人たちがたくさん生まれています。派遣労働者や非正規労働者などがまさにそうです。そこから考えると、既存の政治に自らの声が反映されていないと感じる人々は多いはずで、左派ポピュリズムポテンシャルはある。

 資本主義が限界に達し、さまざまな危機が同時多発的に起きている現代は、簡単には処方箋の描けない時代です。だからこそ、人々の苦しみや模索のある社会運動の現場こそ、あらたな解決策が生み出される場です。左派ポピュリズムの強さはそこにある。

「選挙に行こう」と呼びかけるだけでは、左派に勝ち目はありません。また、太郎さんのカリスマ性に依存していてもだめ。社会運動を強くし、政治と結びつけていくモデルを日本でも真剣に作りあげていかなくてはならない段階に来ているのです。
(聞き手・構成 中村友哉)

 斎藤幸平(さいとう・こうへい)
1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital,Nature,and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』)によって、2018年度ドイッチャー記念賞を日本人初、最年少受賞。新著『未来への大分岐』(集英社新書)では、マルクス・ガブリエルマイケルハートポール・メイソンら、欧米の一流の知識人と現代の危機について議論を重ねた。

【月刊日本】
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

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