前回のあらすじ

時は平安末期、「保元の乱」に出陣した大庭平太景義(おおばの へいだかげよし)と、その弟の三郎景親(さぶろうかげちか)

敵の猛将・鎮西八郎こと源為朝みなもとの ためとも)が立て籠もる白河殿に突入し、三郎と二手に分かれた平太は、為朝に一騎討ちを挑んだのでした。

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一か八かの大勝負!

一騎射ちと言うと、よく馬上で白刃を交える光景が描写されますが、太刀はあくまで矢が尽きた時の護身用、あるいは止めを刺して首級を挙げるためのものであり、戦闘の基本は弓矢でした。

互いに馬を馳せながら、いかに自分が相手よりも優位なポジション(例:矢の勢いが増す風上など)をとろうと近づいたり離れたり、距離を測りながらも矢を即座に放てるよう、弓は常に構えながらの駆け引きです。

「……おのれ平太め、さっきからちょこまかと!」

真正面から立ち向かえば矢の餌食と心得ている平太は、巧みな手綱さばきで為朝との距離感を狂わせ続け、なにぶん短気な為朝のこと、たちまち苛立ち、カンカンに怒り出します。

「やい大庭め!うぬは戦(たたこ)うとるのか、舞うとるのか!正々堂々と勝負せい!」

そろそろ潮時と見た平太はニヤリと笑うなり馬に一鞭入れて、為朝目がけて一直線に駆け出しました。

互いの位置関係は弓手(ゆんで。左手)を向けあい、矢を射かけるのに適した体勢となっています。

「さぁ参れ……大雁股(鏃)の錆にしてくりょうぞ……!」

やっとのことで本領を発揮できる、と為朝は舌を舐めずり、引目の矢をつがえた弓をしっかり構えます。

(まだじゃ……もっと引きつけよ……!)

猛然と迫り来る平太に狙いを定め、大雁股の鏃が敵の命を捉えます。

(三間、二間、一間※5……今あっ!?)

為朝が矢を射放たんとしたその瞬間、平太は手綱を操って馬体をずらし為朝の馬手(めて。右手側)に回り込んだのでした。

通常、弓は左手で持ち(だから弓手と言います)、右手で弦を引いて矢を射放つため、右側の敵に対して不利となりやすい特性があります。

特に馬上では馬の背に跨っているので、右側へ矢を射るには上体を大きく捻らねばならず、狙いがブレやすくなるため、平太はその隙を衝く作戦に出たのでした。

しかし、互いに馬手を向け合っては、平太も不利になってしまうますが、その対策もしっかり練っておいたのでした。

(※5)一間≒1.8m

決まるか!?繰り出された平太の秘策

「……何ィっ?!」

為朝が驚いたのも無理はありません。平太は咄嗟に弓と矢とを持ち替えて構え直したのでした。右手に弓を構え、左手で弦を引く。こうすれば、右側の敵に狙いを定めやすくなります。

「かかったな……喰らえっ!」

満月の如く弓を引き絞った平太は、不敵な笑みと共に矢を射放ちました。

「おのれ……っ!」

元よりそんな訓練はしておらず、右腕より四寸(約12cm)も長い左腕が仇となって、弓と矢を持ち替えることもままならない為朝は、慌てて上体をねじり、引目の矢を射放ちます。

互いの馬が猛速で馳せ違う、ほんの一瞬の勝負でした。

果たして平太の矢は為朝の首筋をかすめるも間一髪で躱(かわ)されてしまい、為朝の矢は平太の右膝をかすめ、大雁股の刃が膝関節をざっくりと切り裂きました。もしもド真ん中に当たっていれば、平太の右足はちぎれ落ちていたでしょう。

「……無念っ!」

あまりの痛みに平太は馬から転げ落ちてしまいます。作戦は上々ながら、ここ一番でしくじってしまうその人生を暗示するような初陣となりました。

「兄上っ!」

そこへ他方の敵を倒した三郎が駆けつけ、平太の首級を挙げんと群がり寄せたる敵輩(てきばら)をばっさばっさと斬り払い、平太の肩を支えながら、這々(ほうほう)の態で白河殿より脱出したのでした。

あと一歩のところまで追い詰められ、辛くも逆転勝利を収めた為朝は、敵ながら天晴れとばかり、

日本国に冥加武者(みょうがむしゃ)と尋(たづむ)には、大庭平太景義と名乗(なのる)男にしかじ……」

【意訳】大庭平太景義と名乗ったあの男の強運、ただ者ではない……

『保元物語』白河殿攻メ落ス事 より

などと側近のものに洩らし、平太は為朝の生涯においてただ一人「射殺せなかった男」となったのでした。

※参考文献:

栃木孝惟ら校注『新日本古典文学大系43 保元物語 平治物語 承久記』岩波書店1992年7月30日
貴志正造 訳注『全譯 吾妻鏡 第二巻』新人物往来社、昭和五十四1979年10月20日 第四刷

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