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見ごたえあるレース 今日の目的は別

ハンプシャーのアンドーヴァー近郊、スラクストンサーキットには薄日が差し込んでいた。天気予報によれば午後の降雨確率は25%とのことだ。

今年のBTCC(British Touring Car Championship:英国ツーリングカー選手権)第3シリーズを観戦しようと多くのファンが詰めかけており、今日はこのサーキットで7戦と8戦、さらには9戦が行われることになっている。

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テール・トゥ・ノーズのバトルがBTCCの真骨頂だ。

今シーズンは10メーカーから30台が出場しており、昨日行われた予選では1秒以内に20台がひしめき合う接戦を演じている。5人の元チャンピオンと18人の優勝経験者が登場するレースは、見ごたえのあるものになるはずだ。

平均時速177km/h以上、コースきっての高速コーナーであるチャーチコーナーへは249km/hものスピードで飛び込んでいくここスラクストンで使用されるのは、唯一ハードコンパウンドのタイヤだけとなる。

激しい戦いが保証されているにもかかわらず、今日われわれがここに来たのはレースを観戦するためではない。今日の目的は、ライブ中継とハイライト放送、さらにはオンラインでの視聴者数を合わせれば、シーズンを通じて1レースあたり約100万人が見るというITVによる中継の舞台裏を取材することにあるのだ。

BTCC中継の顔 厳格な正義の場

今日は実況担当のスティーブライダーと1日を共にする予定だが、ライダーは少なくとも四半世紀にわたるBTCC中継の顔であり、毎年BBCが優れたスポーツ解説者を選ぶ賞の授賞式で注目された1970年代以降、英国を代表するスポーツ中継のパーソナリティーとして活躍している。

いまやこのBTCC中継はライダーの代名詞ともなっており、スポーツ中継を行うものなら誰もが憧れるその安定感で、何が起こるか分からないこの難しい中継をなんなくこなしている。

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ライダーは実況をハーベイ(真ん中)とオニールとともに行う。

最初に呼ばれたのは、パドックのなかでも人目を引くBTCC主催者、TOCAのテントだったが、すぐそばにはBTCCの最高責任者、アラン・ゴーがふざけて偽の英国歴史遺産表示を行った古びたスラクストンのコントロールタワーがそびえ立っており、その銘板はいまも残されたままだ。

ゴーはその厳格な管理手法で名を知られており、必要な場合を除けば、つねに親しみやすく直接的な物言いをする。テント裏には限られた人物だけが出入りを許された、さらにミステリアスなTOCAのバスが停まっており、ここではレースルールに抵触したドライバーが査問を受ける場所として、ゴーと専門家が構成する委員会が厳格な正義を執行している。

200万ポンドのトラック 対応は臨機応変

スティーブはすでに到着しています」と、手早く紅茶を飲みながら教えてくれた。「いつも早めに現場に入るのです。多分トラックでしょう」

トラックとは200万ポンド(2億5440万円)もする中継車両のことであり、なかには多くのスタッフとともにスクリーンや操作パネルが設置され、まるで航空母艦を係留するためのロープほどの太さのあるケーブルが繋がれている。

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ITVのコントロールセンターが7時間近い中継を管理している。

ITV4での放送を含めた今日の中継は6時間45分にも及ぶ予定であり、クラッシュによる遅延が発生しなければ、11時13分から17時59分までが放送予定時間となっているが、例え秒単位でCM時間まで設定された38ページにも及ぶ詳細な台本どおりに中継がスタートしたとしても、ライダーとスタッフが臨機応変な対応を求められるケースは決して少なくはない。

現場スタッフは約15人で構成されており、ライダーと彼のアシスタントを除いた全員がトラックから今日のレース中継を行うが、クラッシュでレースが中断した場合に放送できるよう、ジネッタ・ジュニアとF4シングルシーター、ミニse7en各レースも撮影している。

スタッフはプロフェッショナル

スターティンググリッドに隣接するコントロールタワーの真後ろに停車している、使い古されたメルセデススプリンターのスタッフ車両へとライダーとともに向かうことにした。

ライダーはここで中継の用意やひとびとへのインタビュー、原稿の準備、スタッフとの連絡、さらには、ランチティータイムなど、すべての必要な作業を行っているのであり、今日は頻繁にトラックとこの車両を往復しながら、時おりこのクルマの上に設置されたガタつく台から中継を行う予定だ。

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普段はインタビューする側のライダーだが、今回はクロプリーの取材を受けることに。

ライダーは非常に感じが良く、毎週覚えていられないほど多くのひとびとに会う人物らしいフレンドリーさを見せる。あの有名な笑顔でわれわれを出迎えると、ディレクターやカメラマン、音響担当、さらには、ライダーとディレクターのデビッドフランシスが常に中継画像を確認できるよう胸にビデオスクリーンを掲げ後ろ向きに歩く男性など、スタッフ全員を紹介してくれた。

われわれの今日の目的を告げられても、スタッフはまったく動じていないようだ。

つねに冷静 主役は別に

ライダーからはぜひ中継での苦労話を聞きたいと思っていた。彼はどんなピンチに遭遇しても決して冷静さを失わないことで有名だが、決して長話をするようなこともしない。

クルマや天気、さらにはフォーミュラ1ライダーは伝説的なF1コメンテーターマレーウォーカーとともに中継を行っていた)について話したが、決して実況中継の厳しさ話題が及ぶことはなかった。

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いつもどおりの中継を行うライダー

「長年多くのことを経験されてきたと思います」と、彼は穏やかに話す。「ピンチを乗り越える方法などご存知でしょう」

ライダーにとって、優れたコメンテーターとは決して主役であってはならないのだ。

いずれにせよ、今日の406分間にも及ぶ中継がもうすぐ始まろうとしているいま、彼には時間が無いようであり、11時13分の放送開始に先立って現場からは事前中継が行われる予定だが、もう10時30分だ。

ライダーの友人も数人がスラクストンサーキットを訪れており、彼らはグリッドウォークを楽しんでいる。

5人で担当 リハーサルなど不要

今日の中継は5人が担当する予定だが誰もが忙しそうにしている。これまで一度も成功したことはないが、視聴者の関心を引き付けておくには、多様な登場人物とともに、迅速な場面と話題の転換が不可欠であることに突然気付かされた。

ライダーは溌溂とした様子でピットレーンレポーターを務めるルイーズ・グッドマンと話し始めたが、彼女もF1中継でよく知られた存在だ。コースコメンテーターデビッド・アディソンも時折話に加わっている。

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グッドマンもITVフォーミュラ1中継のベテランだ。

レースそのものの解説は彼と元レーサーのティム・ハーベイが担当し、時おり現役のポール・オニールが登場することになる。

メルセデススプリンターでは中継の準備が開始されたが、ライダーにはリハーサルなど必要無い。

車両上の中継台からグリッドへと移動すると、ライダーは今日のスケジュール紹介を始めた。「2019年Kwik Fit英国ツーリングカー選手権の第3シリーズへようこそ。ハンプシャーにあるかつて飛行場だったこの有名な歴史あるスラクストンサーキットで今年2度開催されるシリーズの最初であり・・・」

お馴染みの名調子 中継スケジュールも決定

完ぺきな様子でお馴染みの名調子が続いているが、事実をありのままに伝え、決して大げさなところのないライダーが多くの視聴者を惹きつけるのも当然だろう。

11時13分30秒ちょうどに放送は始まるが、シナリオのないレース中継にもかかわらず、驚くべき早さで作業は進んで行く。序盤はほとんど解説の必要がないため、この日の放送で最大の困難のひとつが、冒頭の中継にあることは明らかだった。

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秒単位で中継スケジュールが記された台本。

その結果、レースの内幕や昨日の予選結果、サクセスバラストと呼ばれるランキング上位のマシンに対する重量ハンディキャップの状況、活躍が期待できるレーサー、さらにはチャンピオン争い(数多くのチームやドライバー、プライベーターたちにチャンスが残されている)についての話題が多く語られている。

30分もしないうちに今日の中継スケジュールが決められたが、2回のコマーシャルブレーク(合計9分30秒だ)に加え、最近亡くなった1958年初開催のBTCC優勝レーサートミー・ソップウィズの追悼特集も放送されることとなった。

ドライバーもフレンドリー 中継は順調

さらに、ITVで放映予定の全仏オープンテニスの番組宣伝も行うとともに、グッドマンが女性レーサーの活躍を紹介しており、ライダーとオニールが、ルノーチームのドライバー、ジェイド・エドワーズに男性レーサーに勝利したときの感想を質問している。こうした中継の様子は、「流れるように」としか表現できない。

最初のレースのスタート時刻、12時10分が近づくと、ようやく落ち着くことができた。

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ITVのBTCC中継はレースごとに100万人ほどの視聴者を惹きつける。

グッドマンは慣れた様子でグリッドを歩き廻りながら、慣れた様子でドライバーたちと話しているが、彼らはF1レーサーに比べはるかにフレンドリーだ。

フォーメーションラップに続いてレースがスタートすると、アンドリュージョーダンがドニントンでのクラッシュを帳消しにする勝利をBMWにもたらすことに成功している。スラクストンはホンダ向きのサーキットだと考えられていただけに、この勝利の持つ意味は大きいだろう。

中継はスムーズに進んでいるようだ。スタッフは昼食を片手にしながらも、ミニやF4、ジネッタのレース展開からも目を離すことはない。ライダーとグッドマンは表彰台に上ったドライバーたちに感情移入しながらインタビューを行っている。

5つのルール ファンも安心

そんななか、ジョーダンが2レース目もポール・トゥ・ウィンで易々と勝利を上げている。今日はまったくレースに遅れは発生しておらず、ドライコンディションのもと、すべてが順調に進んでいるようだ。

本日最後のBTCCとなる3レース目では、サクセスバラストと2度のセーフティカーによって今日2勝をあげているジョーダンが16位に沈んだ一方で、ホンダ注目の新人、ジョシュ・クックが優勝を手にしている。

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ライダーがスラクストンで2勝をあげたジョーダンに最高の注目を集める。

その後インタビューが続いたが、誰がなぜ勝利することができたのかなどという些細なことにこだわる代わりに、「素晴らしい週末」を見事に締めくくる、ライダーの秘密を垣間見ることができた。ルールは簡単でたった5つだけだ。

まずひとつ目のルールは、心からインタビュー相手に興味を持つことであり、それは相手の年齢や態度には関係が無い。つねに親しみやすく、アイコンタクトを欠かさずにいれば、素晴らしい答えが返ってくる。

ふたつ目は、質問された相手がよく調べていると感じるような内容を質問し、それを繰り返すということであり、まさにこれがライダーの真骨頂だと言える。

3つ目は、質問は短く、「手短に」というキーワードとともに、簡潔な回答を引き出すことであり、4つ目は、落ち着いてユーモアを失わないことだ。不安は見透かされる。

そして、最後の秘密でありもっとも重要なのが、インタビューの主人公は質問される側であることを忘れないことだ。

午後5時30分だった。中継の舞台裏を経験して疲れ切っていたが、ライダーは今日現場に着いたときと何も変わっていないように見える。リラックスして、彼の見事な銀髪にもまったく乱れは見られない。

彼が次の誕生日を迎えると70歳になることを考えれば、どうやったらそんな風にいられるのか想像もつかないが、ライダーが元気でいてくれる限り、BTCCファンも安心だろう。

番外編:アラン・ゴーが語るスティーブ・ライダー

1980年代からスティーブライダーのことは知っています」と、BTCC責任者のアラン・ゴーは言う。「彼はつねに熱心なモータースポーツファンであり、クルマ好きでもありました。ライダーがBTCCに関わるようになったのはまさに偶然からです。当時、彼がキッカケを作り出したのであり、以来BTCC中継を続けて貰っています」

1992年にTOCAからBTCCの運営を引き継いだとき、スティーブBBCグランドスタンドを担当していました。ビリヤードと馬術の間に行われる20分間のハイライト番組です。スティーブはライブ中継をやりたがっていましたが、わたしにはあまり魅力的なアイデアには思えませんでした」

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BTCCの最高責任者、アラン・ゴー。

ハイライトにはつまらないシーンをカット出来るというメリットがありましたが、それでもスティーブは諦めませんでした。番組は20分から、40分、そして60分と徐々にその放送時間を延ばしていったのです」

いまではゴーもITV4が行う無料のBTCC中継を高く評価しており、彼のもとには視聴者からの評価を証明するデータもある。

彼のもとには有料中継のオファーも来ているというが、それでもITV4を支持していると言う。

「視聴率の問題です。スポンサーやチームにとってそれが重要なのです」


英国ツーリングカー選手権の中継 実況担当に密着 舞台裏さぐる 秘密は5つのルール