「赤ちゃんを抱くための『抱っこひも』が何者かに故意に外された」という目撃談がネット上で話題になっています。バスやエスカレーターなど、他人との物理的な距離が近くなる公共の場で、腰や背中の部分にある、抱っこひものバックルを故意に外されたり、外されそうになったりするなどの行為が起きている、というものです。

 バックルが外れると、赤ちゃんが落下する危険もあることから、ネット上では「許せない」「何でそんなひどいことするのか理解できない」「殺人未遂では」「罪に問われないの?」など、さまざまな声が上がっています。赤ちゃんと親に危険が及ぶ悪質行為の法的問題について、グラディアトル法律事務所の井上圭章弁護士に聞きました。

傷害罪、傷害致死罪、殺人罪…

Q.赤ちゃんを連れた親の「抱っこひも」を故意に外そうとする行為が何らかの罪に問われる可能性は。

井上さん「抱っこひもが外れると、赤ちゃんが転落し、頭や体を打ってけがをする危険があることは、誰が考えても容易に想像できると思います。また、不安定で、手すりや座席の肘置きなどの硬いものが多いバスの車内や、高低差があり、転落した場合に下まで転げ落ちる可能性の高いエスカレーターや駅の階段の場合、より大きなけがをしたり、死亡したりすることも容易に想像できるはずです。

赤ちゃんが転落し、けがや死亡することを分かっていながら、あえて赤ちゃんにけがをさせようと思って、抱っこひもを外すような行為は、傷害罪や傷害致死罪といった罪に問われる可能性があります。また、エスカレーターなど転落すると死亡する可能性が高い場所であることを分かっていながら、あえて抱っこひもを外す行為は、殺人罪や殺人未遂罪といった罪に問われる可能性もあります。

こうした危険な行為をされた親としては、抱っこひもを外されたことによって赤ちゃんが転落し、けが・死亡した場合、警察などに対して告訴し、刑事処罰を求めることができます。また、けがの治療費や死亡の慰謝料など、損害賠償請求をすることもできます」

Q.それぞれの罪について、もう少し詳しく教えてください。

【赤ちゃんがけがをした】

同じような行為であっても、どのような意図で抱っこひもを外したのかによって、刑事責任は変わってきます。まず、「赤ちゃんにけがをさせよう」という意図で抱っこひもを外すケースです。この場合、傷害罪(15年以下の懲役または50万円以下の罰金)に問うことができます。

また、エスカレーターのような死亡する危険が高い場所で「赤ちゃんが死んでも構わない」と思って抱っこひもを外し、実際に転落したケースだと、殺人未遂罪(死刑または無期もしくは5年以上の懲役、減軽可)に問うことができます。殺人未遂罪は平たく言うと、人を殺そうとしたが、結果的にその人が死亡しなかった場合に成立する犯罪です。

さらに、赤ちゃんのけがの治療費や慰謝料などについて、損害賠償請求を行うことができます。けがの程度にもよりますが、数万円から、場合によっては数百万円の損害賠償請求ができることもあります。

【赤ちゃんが死亡した】

赤ちゃんにけがをさせようと思っていたが、結果的に赤ちゃんが死亡してしまった場合、傷害致死罪(3年以上の懲役)に問うことができます。他方、転落によって死亡する危険が高い場所で、「赤ちゃんが死んでも構わない」と思って抱っこひもを外し、実際に死亡した場合は、殺人罪(死刑または無期もしくは5年以上の懲役)に問うことができます。

さらに、死亡するまでの治療費や、死亡していなければ本来得られるはずであった利益を指す「逸失利益」、慰謝料などについての損害賠償請求を行うことができます。死亡の場合、けがの場合に比べて請求額は高くなる傾向にあり、数百万円から数千万円の請求ができることもあります。

【赤ちゃんのけがや死亡によって、親が精神的苦痛を被った】

赤ちゃん自身の精神的苦痛について請求できることは当然ですが、赤ちゃんが死亡した場合、親自身にも損害賠償請求権が認められます。また、けがをした場合で、死亡したときと同程度の精神的苦痛を受けた場合も、親自身に損害賠償請求が認められることがあります。

けがをしなかった場合は?

Q.一方で、故意に抱っこひもを外されたものの、赤ちゃんがけがをしなかった場合はどうでしょうか。

井上さん「状況によって、問うことのできる法的責任は変わってきます。抱っこひもを外すと赤ちゃんが転落してけがをする状況で、『赤ちゃんにけがをさせよう』と思って抱っこひもを外したケースでは、暴行罪にあたるかが問題となります。法律的には、暴行罪が成立する要件として『人の身体に対する不法な有形力の行使』が必要と考えられています。

そのため、抱っこひもを外すことが『赤ちゃんの体に対するもの』と評価できる場合は、暴行罪(2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金または拘留もしくは科料)が成立する可能性があります。

他方、抱っこひもを外すと赤ちゃんが転落して死亡する可能性がある状況で、赤ちゃんを殺そうと抱っこひもを外した、というケースでは、殺人未遂罪に当たり得ることとなります。ただ、こうした事件で殺人罪や殺人未遂罪に問われるのは、ごく限られたケースになると考えられます。

また、民事上の損害賠償責任は、抱っこひもを外されたがけがをしなかった場合には、具体的にどのような損害があったのかによって損害賠償請求できるかが決まります。単なる不安感などでは、慰謝料請求は認められにくいのが現状です」

Q.「故意に抱っこひもを外そうとしたが、外せなかった人」に対しては。

井上さん「このケースでは、暴行罪や殺人未遂罪などの刑法上の責任を問うことは難しいと考えられます。抱っこひもを外すと、赤ちゃんが転落して死亡する可能性がある状況で、赤ちゃんを殺そうと抱っこひもを外したものの外せなかった場合、『人を殺す具体的危険のある行為を始めた』(実行の着手)として殺人未遂罪で検討できなくもないですが、現実問題としては殺人未遂罪に問うことは難しいと思います。

民事上の責任も、具体的損害が生じたといえるかどうかで、損害賠償請求できるかが変わってきます。抱っこひもを外したが、赤ちゃんがけがをしなかったケースと比べると、さらに慰謝料請求は認められにくくなります」

Q.このような悪質な事件に巻き込まれたり、現場を目撃したりした場合、望まれる行動・対応とは。

井上さん「抱っこひもが簡単に外されないような工夫をしておくことが、何より大事です。抱っこひもを外してくる人が周囲にいると思いたくはないですが、このような事件が起きている以上、自分が事件に巻き込まれてからでは手遅れとなるので、自衛の措置を取っておいた方がよいでしょう。

また、現場を目撃した場合、『危ない』『すみません』など、注意喚起の言葉を掛けるなどの行動や対応ができればよいですね。落ちそうになっている赤ちゃんを支えることができるのであれば、そのような行動を取るのもよいですが、実際にはなかなか難しいと思います。一言声を掛けるだけでも、事件を未然に防いだり、赤ちゃんの落下を防いだりできる場合があるのではないでしょうか」

オトナンサー編集部

抱っこひものバックルを外されたら…