平日でも1日に平均6時間は家事・育児をするという常見陽平さん。大学の教員をしつつ、評論家としても活躍する常見さんが、子育て世代の当事者として日本社会に感じる強い違和感とは――。

※本稿は常見陽平『僕たちは育児のモヤモヤをもっと語っていいと思う』(自由国民社)を再編集したものです

■育休は、休みではない

娘は1歳になる直前の4月に、保育園の0歳児クラスへ入園しました。妻は産前・産後休業と育児休業を取得し、職場復帰は慣らし保育を終えた5月。それまでの10カ月間は、おもに育休中の妻がメインで、24時間、娘の面倒をみていました。

もちろん、私もできるだけ家にいて、一緒に家事と子育てをするようにしました。

「育休」という言葉に「休」という文字が入っているからか、当事者以外は「休んでいるのだから、家事も子育てもできるでしょう」と考えがちです。企業や男性、女性でさえも「育休をとっているんだから」という目で見てしまう。

ところが、とんでもない。ママに休んでいる時間はまったくありません。もし、「うちのママはひとりで全部やっていた」と言う人がいたら、それは「育休」という言葉がママの大変さやつらい気持ちを全部覆い隠してしまっていたのではないかとさえ思うのです。 赤ちゃんが家にいて、ママがお世話をしている状況では、ママは常に気が張っていて心身共に余裕がない状態に置かれています。

日中、仕事に出かけているパパは、その姿を見ずに済んでいるだけなのです。

■赤ちゃんのいる生活は“事件”だらけ

娘は7月生まれ。ちょうど大学の夏休みと重なったので、私自身の育休は取りませんでした。しかし、会社員の人など、育休が取れる環境にある人は取ったほうがいいと思います。権利としても、もっと主張するべきです。

一方で、企業の育休取得実績を増やしたいがために男性に育休を取らせるという、いわゆる「男性の育休取得の目的化」には懐疑的ではあるのですが。私は取っても取らなくてもあまり変わらない時期だったので、取りませんでした。

いずれにせよ、赤ちゃんが生まれた直後には、本当にいろいろな“事件”が家の中で起こっているので、夫婦で一緒に体験することはよいことだと思います。私は自宅の書斎で仕事をしながら、“ミルクの時間にお湯が沸いていない!”といったような小さな“事件”の数々に遭遇し、「これは大変なことだ」と気づきました。

■妻の“人間リモコン”として生活する

妻の育休中は、書斎に籠もって仕事をしていても、妻から何度もヘルプの声がかかりました。ミルクの蓋を開けてほしい、空になったティッシュを入れ替えてほしい、オムツを持ってきてほしい、買い物に行ってほしいなどなど。

私が書斎にいなければ、なんとかひとりで乗り切ったことかもしれません。でもそれは、小さないのちを守るために、乗り切らなければならないからがんばっていただけであって、難なく乗り切れているわけではないのです。手が届くところに夫がいたら、頼みたいことは山のようにある。それが、赤ちゃんのいる生活なのだということがわかりました。

あの姿を見ていたら、赤ちゃんが家にいるこの時期は、家事と育児を最優先しようと、自然と思えてきました。私は、妻の“人間リモコン”として生活することにしたのです。

台所から水やお湯を運んだり、オムツを運んだり、食器を片づけたりと、家事とも雑用ともつかないことを、毎日毎日繰り返してやり続けました。

もちろん、料理はこれまでどおり私の担当。小さな家事まで全部、赤ちゃんを育てながらママひとりでやるとなると、本当に大変なことです。

私にできることは、料理、皿洗い、風呂洗い、掃除、ゴミ捨て、買い出し、その他雑用。ミルクもつくるし、赤ちゃんお風呂にも入れます。妻のほうが得意なことはわかっていますが、クオリティを求められなければ洗濯もやる、といったぐあいです。

月並みな家事のことしか思い浮かばないけれど、リモコン操作されればなんでもやります。大事なことは、リモコンが押されたときに、電波の届く場所にいること。そしてバグらないこと。

■以前のようには仕事ができないモヤモヤ

産後の数カ月で、妻はすっかりママになりました。しっかり者だなと思うし、疲れているなとも思います。

初めて知ったのですが、妊娠を維持するために増え続けた女性ホルモンは、産後急速に減少し、およそ1週間で妊娠前の量に戻るのだそうです。急激なホルモンの変化は、ママの心身によい影響も悪い影響も与えます。産後のママはコントロールの難しいからだで、待ったなしの家事と子育てをしているのです。

この時期、よかったことは、妻が「できるだけ家にいてほしい」ときちんと伝えてくれたことです。そして、私がその要望に応えることができる環境にあったことです。

困ったことは、仕事ができなくなったことです。とくに、自宅の書斎で集中力を要する仕事はやりにくくなりました。これは、物書きには、かなりつらいことでした。まさに、育児のための休業、自主的な育休状態に陥ったのです。

「仕事ができないのは、能力がないからだろう」と言われたらそれまで。しかし、24時間赤ちゃんがそばにいる状況で、仕事も育児も家事もやり切るのは至難の業です。せめて仕事は休もう。

やりくりすれば、今以上に原稿を書く時間を捻出することはできると思います。ただ、その分、妻と娘の負担は確実に増えます。そう思うとなかなか踏み切ることはできないのです。

以前のようには仕事をする時間がとれない。それが育休中の悩みです。モヤモヤします。

■私をイクメンと呼ばないで

イクメンという言葉が嫌いです。偽善的な臭いを感じます。

『現代用語の基礎知識2019』によれば、イクメンとは「育児に積極的に参加する父親」のことと定義されています。2010年には新語・流行語大賞を受賞するほど、この言葉は一般に広まっています。

たしかに私は育児に積極的に参加する父親です。しかし、イクメンと呼ばれることには強い抵抗があります。娘が生まれたことで、「よし! これで私もイクメンの仲間入りだ」などと、一瞬だって思ったことはありません。

なぜか。

もともと私が、出産・育児系の意識高い系ムーブメントが苦手だということがあります。

たしかに不妊治療の末に授かった待望の娘です。人生における貴重な時間だと認識しているので、子育てに真摯に向き合うことに異論はありません。

けれど、「別に少子化対策のために子どもを授かったわけではないしなあ」という気持ちが、どうしてもあるのです。

イクメンと持ち上げられたところで、仕事の絶対量は減らないし、忙しさが是正されるわけでもありません。子育て中の夫婦の忙しさの絶対量は解決されないし、イクメン手当てが出るわけでもないのです。

■イクメンの強要は暴力になりえる

イクメンという言葉は、「男性も育児に参加する」という世論をおこしたという点においては評価するべきものだと思います。最近は、子育て中の社員を理解し、活躍を後押しする「イクボス」という管理職のあり方も定着しつつあります。

子育ては大切な仕事です。働く男性が育児に参加すること、育児をする部下を応援する管理職がいることは、誰からも否定されることではありません。

ただし、生産年齢人口が減る中で、仕事の量を減らしたり、難易度を下げたりすることなく、イクメン、イクボスを会社や社会が強要することは、ときに「暴力」になります。しかも、事情も考慮せず「イクメン、イクボスをやらない人はけしからん」と糾弾するのは言葉の暴力です。

いかにも仕事と家庭を両立している理想的なイクメン像、凄母(すごはは)像が喧伝される社会において、なかなかそうはなれずに悩んでいるパパやママもいるのではないでしょうか。私も含めた、そういうパパやママのことを思うと、仕事と家庭の両立を達成している「スゴい人」が華々しく登場する一部メディアの論調には、怒りさえ感じてしまいます。その様子を見て、精神的に参ってしまうことだってあります。

■家族のために仕事も家事も育児もするのは当たり前

娘はかわいいし、妻にはしあわせでいてほしい。私は私の家族のために、仕事も家事も育児もしています。でも、それは当たり前のことです。共働きをしている夫婦間で役割分担をすることは必然です。

その行為自体を、「イクメン」と持ち上げられることに違和感があります。イクメンが、仕事と育児を両立している「スゴい人」である限り、男性の子育てが当たり前の社会にはなりえないのではないでしょうか。イクメンと言えば言うほど、男性の家事や育児がまだ当たり前のこととして根づいていないということを表明してしまっているのではないでしょうか。

子育てを女性だけが担ってきた時代があり、女性が子育てをしながら仕事を続けることに困難を感じる時代がありました。男性であるだけで優遇されていた時代もあったでしょう。しかし、今は違います。「男性も育児を!」と声高に叫ぶ気持ちもわかるけれど、男性が仮想敵になってしまってはいけないと思うのです。男性だ、女性だと敵対するのではなく、互いに働きながら協力して子どもを育てる。そのために何が必要か、見極めなければなりません。(中略)

■男性を仮想敵にしても何も解決しない

子どもを育てるという行為自体は、どの時代も、常に誰かがやっていたことです。例えば昭和の高度経済成長の時代には、おもに専業主婦が担っていました。また、核家族が定着する前は、同居する祖父母世代が子育てのサポートをしていました。でも、現代の日本でそれを求めるのは難しい。現代は、男性も女性も同じように働きながら子育てをする時代です。

「子育てをしない(ように見える)男性」「子育てをサポートしない(ように見える)男性」を仮想敵にしても、なんの解決にもならないと思うのです。

もう一つ嫌いな言葉に「家族サービス」があります。外食や旅行に「連れて行く」のは、男性から家族に対する「サービス」なのでしょうか。単純に、家族と一緒に、外食や旅行を楽しめばいい。それだけなのではないでしょうか。

子育ては、ママに任せておけばいいものでもなく、イクメンに丸投げされるべきものでもありません。夫婦で力を合わせ、助け合ったり補い合あったりしながら、折り合いをつけてやっていくものです。

もっと言ってしまえば、子どもは会社や社会全体で、助け合い補い合いながら育てていくべきなのではないでしょうか。

■夫婦は、借りがあるくらいがちょうどいい

今朝も、朝ご飯をつくり、娘を保育園に送って行きました。今週は妻の仕事が佳境に入っていて、子育てにおける私の出番が増えています。

妻は外資系IT企業に勤めているのですが、育児休業が明けて職場に戻ってみたら、1年前とはビジネスモデルも、仕事内容もずいぶん変わってしまっていたと言っています。時代の変化のスピードが本当に速くなっていて、別の部署に移ったような感覚なのだそうです。1歳(当時)の娘がいる女性に、こんなに忙しい仕事を任せるのかと思いましたが、それが妻の仕事です。

保育園の送り迎えだけで言うと、妻の担当は週に送り1回、迎え2回くらいです。それ以外は私が担当することになりました。仕方がない。そこはお互いのやりくりです。妻の迎えが2回ということは、妻には3回残業をするチャンスがある週だということです。私は2回。その代わり、週末に妻が娘を連れて実家に泊まりに行くときは、私が集中して仕事をする。それが“生活のやりくり”なのです。

たまに娘が病気になるときがあります。どちらかが仕事を休むなり、在宅勤務に切り替えるなりしなければなりませんが、これもやりくりです。

私が学生だった頃と違い、今の大学は大変に厳しくなっており、休講はできるだけ避けるものになっていますし、必ず補講をしなくてはなりません。講義を休みにすることはできないので、妻が仕事の調整をすることが多くなります。在宅勤務に切り替えたり、ベビーシッターさんを頼んだりします。

タイミングによっては、妻も調整が難しいときがあります。そんなときは、講義は休めないけれど、学内の委員会だけは欠席させてもらうなどして、私が調整します。どうしても調整できなくて、私が都内の自宅から埼玉にある妻の実家まで、車で娘を預けに行ったこともありました。

■ライバルが活躍する姿に焦った時期も

娘が生まれてから、夜間の仕事はほとんどしなくなりました。飲み会の予定や趣味のライブへ行く回数も減らしました。というか、できなくなりました。

それでも、たまに夜出かけなければならないことがあります。テレビラジオは突然来てくれと言われることがあるので、急なメディア出演で夜遅くなるときは、「ごめん、お迎えを交代してくれる?」というやりくりをします。

私が借りをつくることもあるし、妻に貸しをつくることもある。このバランスが崩れないように気をつけています。お互い相手に「ちょっと借りがある」と思えるくらいが、ちょうどいいバランスなのです。以前のようには働けません。ライバルたちが活躍する様子を見て、焦った時期もありました。正直なところ、自分の意思だけで仕事の時間をとることができない状況はつらく、ジレンマがあります。

とはいえ、「今しか見ることのできない世界を見に行く」というスタンスで、子育ての時間を「楽しむようにしている」最中なのです。

保育園へ行くと、私は「愛ちゃんパパ」として子どもたちに認識されています。娘の同級生はまだ2歳だけれど、わかってくれているようです。延長保育は縦割りクラスなので、3歳、5歳の大きいお兄さんお姉さんたちが、よく声をかけてくれます。

先日は、保護者の方から「広告関係のお仕事ですか」と声をかけられました。見た目では、大学の先生には見えなかったかもしれません。気づけば、見た目も仕事も、どこにも定まらない自分になっているのだけれど、今はそれに耐えるしかないという気持ちです。そもそも、平日の住宅街に茶髪、長髪の中年男性がいると、いまだに奇異な目で見られる社会なのです。

■仕事はサボれても、子育てはサボれない

娘がいる生活は、しあわせです。ただ、「ワークライフバランスが充実していてしあわせ」という像を押しつけるな、と言いたい。

端から見ると、私がやっていることは「ワークライフバランス」そのものかもしれません。ただ、家事と育児をやってみて思うことは、「ライフ」は「ワーク」そのものだということです。そして、仕事はサボることができても、子育ては「いのち」がかかっている分、サボることができず、生活のきつさが増すという側面があるのです。

子育てはたしかに楽しい。しかし実際は、葛藤とジレンマの毎日です。一部妥協し、夫婦で貸し借りをつくりながら、一生懸命やりくりしているのが実情です。

(中略)

夫婦は子育ての最小チームで、同志です。ふたりで話し合い、やりくりしながら子育てをする。そして、ふたりでやりくりできないことは、身近な家族や友人、地域、社会に頼っていくことになります。貸し借りの輪が広がっていくことこそ、子育ての醍醐味です。

子育ては、借りがあるくらいがちょうどいいのです。

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常見 陽平(つねみ・ようへい
千葉商科大学国際教養学部専任講師、働き方評論家
1974年札幌市出身。一橋大学商学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。リクルートバンダイクオリティ・オブ・ライフフリーランス活動を経て2015年4月より現職。著書に『僕たちはガンダムのジムである』『「就活」と日本社会』『なぜ、残業はなくならないのか』『社畜上等! 会社で楽しく生きるには』ほか。『現代用語の基礎知識』「働き方事情」の項目を執筆中。1児の父。

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※写真はイメージです(写真=iStock.com/kohei_hara)