政府を中心に「人生100年時代」が盛んに叫ばれている。言うまでもなくその背景には、生産年齢人口が減少し、社会保障制度の不安定化を防止するために高齢者雇用を拡大したいとの思惑がある。そうした中での9月27日。70歳までの就業機会を確保することを法制化するための具体的議論が厚生労働省の審議会で始まった。

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 政府の狙いは65歳までの雇用を義務付けている現行の高年齢者雇用安定法(高齢法)を改正し、雇用の上限を70歳に引き上げることにある。審議会の議論を経て、努力義務を課す改正法案を2020年1月の通常国会に提出する予定だ。

 そのシナリオ6月21日に閣議決定された政府の「成長戦略実行計画」に描かれている。その中で、「70歳までの就業機会の確保を円滑に進めるためには、法制についても、二段階に分けて、まず、第一段階の法制の整備を図ることが適切である」としている。

 20年に提出予定の高齢法改正を第一段階として70歳雇用を努力義務とし、さらに第二段階として制度の運用状況を見て、努力義務から義務化に格上げするというものだ。実行計画にも「第二段階として、現行法のような企業名公表による担保(いわゆる義務化)のための法改正を検討する」と明記している。

 第一段階の法改正では企業は65歳以降の選択肢として次の7つから選ぶことができる。(1)定年廃止、(2)70歳までの定年延長、(3)継続雇用導入、(4)他の企業への再就職の実現、(5)個人とのフリーランス契約への資金提供、(6)個人の起業支援、(7)個人の社会貢献活動への資金提供――の7つだ。

 (4)~(7)の選択肢は、他企業への就職やフリーランスといった非雇用も認めるなど、企業に配慮しているように見えるが、第二段階で同一企業における70歳雇用の義務化を想定していることを考えると、政府の狙いは(1)~(3)にある。(4)~(7)はそれまでの猶予的措置と考えるのが妥当だろう。

 現行の65歳雇用確保義務に至る過程でも、まず(1)~(3)の選択肢を努力義務とし、その後、義務化に踏み切ったことを考えると、その方向性はこれまでの65歳雇用の義務化に向けたステップと同じだ。

 そうなると次に浮上してくるのが定年年齢の引き上げだ。現在の法定定年年齢は60歳であるが、多くの企業は60歳定年で退職後、65歳まで1年契約更新の再雇用制度(継続雇用制度)を導入している。現在の高齢法の65歳雇用確保義務が60歳定年をベースに推進されたことを考えると、70歳雇用の義務化までに定年を65歳に引き上げることも俎上に上がる可能性がある。実際に政府内では70歳雇用確保義務の実施までに65歳定年を実現しておくべきという声もあるらしい。

●70歳雇用を前提にした人事戦略

 現在の再雇用者の平均年収は約344万円(産労総合研究所調査)と現役時代の半分程度に下がるうえ、役職も外れ、仕事の中身も現役社員のじゃまにならない程度の補助作業というのが一般的だ。その一方で再雇用者のモチベーションダウンも指摘されている。法定定年年齢が65歳に引き上げられると、社員にとっては現役時代の給与がある程度維持されるというメリットもある。

 しかし企業にとっては60歳から70歳まで10年間雇用することになると、全体的な賃金制度の見直しだけではなく60歳以前の能力開発などの人材投資も必要になる。

 いずれにしても企業にとっては70歳雇用を射程に入れた人事戦略を練り直す必要がある。すでに大手企業の一部は政府の動きを織り込んで65歳定年に踏み切った企業も少なくない。65歳定年制を導入した企業の人事担当者の多くは「いずれ現在の60歳定年から65歳定年になり、さらには70歳雇用が当たり前になる。そうなる前に今から準備している」と語る。

 だが、65歳定年を導入した企業は全体の16.1%にすぎない。たとえ給与を半額にした再雇用制度でも維持するのに苦労している企業も多く、これ以上の雇用は難しいという声も多い。日本・東京商工会議所の「高齢者雇用の拡大に関する調査」(2019年1月9日)によると、継続雇用年齢の65歳超への義務化に対して「すでに65歳超の者を雇用しているが、義務化に反対」が29.7%、65歳までは雇用できるが、それ以上の対応が難しい」が20.8%。計50.5%が反対している。

 仮に60歳から70歳まで定年や雇用確保義務が延長されると、人件費の負担も大きくなる。そのためには現役世代の賃金の削減など、賃金制度改革も避けられない可能性もある。今以上の法的な雇用年齢の引き上げに戸惑いを隠せない企業も多い。

 一部上場企業のネット広告業の人事部長は「65歳まで再雇用するのも大変なのに70歳は想像外の話。当然人件費は増えます。今の再雇用者は毎年50~60人程度とそれほど多くはないが、その下の世代のバブル期入社組が多く、4~5年後は毎年数百人単位で増えてきます。今のところ業績は悪くありませんが、会社の体力が5年後も続くか分からないし、事業が縮小すると雇用するのも厳しくなります」と、不安を口にする。

 それでも政府が70歳までの雇用義務を法定化した場合はどうするのか。人事部長は「賃金制度の抜本的な改革が不可欠だろう」と指摘する。また、別の建設関連企業の人事部長もこう語る。

 「再雇用の社員に限らず現役世代も含めて今の年功賃金から完全成果主義に転換し、成果に応じて給与が増減する仕組みに変えていく必要があるでしょう。当然、これまで法律があるから仕方なく福祉的に雇ってきた再雇用者社員はお荷物扱いされるでしょうし、場合によっては60歳以降も残すかを早い段階で選別し、残さない人は退職してもらうことも考えないといけないでしょう」

●70歳雇用を避けたい企業が取り得る手段

 とくにIT企業にとっては社員の平均年齢が低く、主力は20~30代である。60歳までの雇用はなんとかなるとしても70歳まで面倒を見るとなると負担も大きい。

 今後、70歳雇用を極力避けたい企業が取り得る手段は以下の3つだろう。

1.現役世代、とくに40~50代の人件費を削減し、その原資を60歳以上の社員の人件費に充当する

2.60歳到達前に、活躍が期待できない社員を早期退職募集などでリストラする

3.60歳以上の社員を仕事がきつい部署に配置転換し、自主的退職を促す

 じつは3.60歳以上の社員を仕事がきつい部署に配置転換し、自主的退職を促すという措置を採る企業も少なくない。例えばある食品加工メーカーでは、事務・営業部門で働いていた社員を定年後に工場の生産部門で製品の梱包作業に従事させている。会社としては人手不足部門への配置というのが表向きの理由だが、本音は慣れない仕事に嫌気がさし、自ら辞めてもらうことにある。実際に本人も「安い給料でこき使われるのはごめんだ」と言って1~2年程度で辞めていくという。

 “高齢者版追い出し部屋”のような陰湿な措置だが、とくに狙われるのは現役時代に人事評価の低かった社員だという。

 1.現役世代、とくに40~50代の人件費を削減し、その原資を60歳以上の社員の人件費に充当すると2.60歳到達前に、活躍が期待できない社員を早期退職募集などでリストラする、はまさに現役世代が犠牲を強いられる話だ。60歳から70歳まで定年や雇用確保義務が延長されると、そのための人件費を捻出するため現役世代の賃金が削減される。すでに65歳までの再雇用制度や65歳定年制を実施している企業の中には40代以上の給与を一律に削減し、60歳以上に充当しているところも少なくない。

●今以上に現役世代の給与に手をつける可能性も

 社員にとっては従来受け取っていた60歳までの生涯賃金の総額が65歳まで働くことで帳尻が合う計算であり、会社にとって懐(ふところ)はそれほど痛まないことになる。それが今後は70歳雇用義務、65歳定年制になり、さらにバブル期入社組など60歳以上の増加が見込まれる。今以上に現役世代の給与に手をつけてくることが予想される。

 2.60歳到達前に、活躍が期待できない社員を早期退職募集などでリストラするという早期リストラも要注意だ。一般的には解雇するに足る合理的理由がなければ解雇は難しいが、じつは60歳以上の人は雇用確保を義務付けている高齢法によってより解雇することが難しいとされている。例えば60歳以上に限定した「早期退職募集」は困難とされている。

 そうであるなら40~50歳代にリストラに踏み切る企業も増えるかもしれない。ちなみに東京商工リサーチの2019年「主な上場企業の希望・早期退職者募集状況」調査によると、19年1~6月の早期退職者数は約8200人。半期だけで18年1年間の4126人の約2倍に達している。この中にはもしかしたら60歳以降の雇用を意図した削減も入っているかもしれない。

 現役世代にとっては60歳以降の雇用が確保されても決して安心というわけではない。今後は賃下げやリストラの脅威に加えて、60歳以降も楽な仕事をさせてもらえないどころか、給与も職務や成果に応じて大きく増減するなどの厳しい試練が待ち受けている可能性がある。

ジャーナリスト 溝上憲文)

高年齢者雇用安定法改正の先に政府は定年廃止などをもくろむ