こんにちは。ヨッピーです。
メガドライブミニが発売されて往年のセガファンの人々が歓喜に満ち溢れてますね。
【「メガドライブミニ」発売まであと1日!!】
— セガ公式アカウント🦔 (@SEGA_OFFICIAL) September 18, 2019
立派に実った「メガドライブミニ」の出荷が最盛期を迎えました。#メガドラミニ pic.twitter.com/uzwEvvcoR3
メガドラタワーミニを分解すると中に基板を印刷した紙が。せがはばかなの? #メガドラミニ pic.twitter.com/3ifC1uWBxV
— TOYBALL FACTORY (@NOB_toyball) September 19, 2019
なんか初代メガドライブの箱の
— ライム (@Lhyme1) September 19, 2019
写真部分にメガドライブミニが
ピッタリ乗る・・
まさか当時からこの計画を!?#メガドライブ#メガドライブミニ pic.twitter.com/UP09uuceaH
これがメガドラミニだ!
そんなわけで僕の周囲のセガフリークスの方々も気が狂わんばかりに喜んでいるわけですが、実は僕も「フリークス」とまでは言わないまでもまあまあのセガファンでして、中学~大学までセガのゲーセン、「セガワールド」にいそいそと通いながら『デイトナUSA』、『バーチャロン』、『スパイクアウト』、『バーチャファイター2』などに大量の100円玉をつぎ込んでおりました。
「メガドライブミニ」収録ソフト42本が全公開。新規移植作『ダライアス』に幻のメガドラ版『テトリス』が登場、まさかの「メガドラタワーミニ」も発売決定
そんなまあまあのセガファンの僕、実はずっと温めていた企画があります。
それが……
セガの歴史を振り返ろう
です!
・オープンワールドゲームのさきがけと言われた『シェンムー』
・今では当たり前になった家庭用のオンラインゲーム機「ドリームキャスト」
・AIを利用したゲームのさきがけとも言える『シーマン』
などなど、良く「時代を先取りしすぎ」「(出るのが)10年早いんだよ!」などと揶揄されるセガの革新性ですが、実際にセガで働いてる人達はこういった評判について何を思うのでしょうか?
本日は、セガの歴史を振り返りながら、その辺を聞いてみたいと思います!
※ちなみに3年前にも同じ企画を出してセガに断られたことがあります。3年ごしに願いが叶って嬉しい。
※今回の企画は参加者が好き勝手に思い出話を語っております。10人居れば10人分のセガの歴史があるわけで、「あくまでこの人達はこうだった」っていう目線でお楽しみください。
※時間が短かったため(3時間)、駆け足気味に歴史を振り返っておりますがご容赦ください。
ライター/ヨッピー
撮影/佐々木秀二
編集/クリモトコウダイ
提供/株式会社セガゲームス
出場者紹介
以上の6名でお送りしたいと思います!
メンバー紹介
人数が多い!
実は今日のためにこれ持ってきたんですよ。
えっ、何これ会報?
よくこんなの持ってるね!
いやー、セガファンとしてついつい持って来ちゃいました!
知ってます? 私これ、見かけたら全部没収してるんですよ。
いやダメですよ! 大事なやつなんですから!
なになに。急に盛り上がってなんなんですか。
これ、「SPEC」っていうセガ公式ファンクラブの同人誌……。
同人誌じゃないよ! 一応会社のお金で作ってたんだから!
非売品ですよね? これ、メルカリとかで売っぱらったら高いんじゃないんですか?
何万円とかにはなるんじゃないですかね?
えっ、欲しい!
ダメですって!
これ、専門の部署が作ってたわけじゃないよね?
社内の有志が作ってたんですよ。よしぼん【※】が描いてたり。
じゃあこの時はフェニックスりえ【※】?
そう!
※フェニックスりえ
同じく小玉さんの会報誌内でのペンネーム。
へ~~~~!
すいません、はじめる前から勝手に盛り上がるのやめてもらってもいいですか。
申し訳ありません。
【募集】
— ヨッピー (@yoppymodel) September 10, 2019
「SEGAの年表を作る」という企画をやるのですが、「FF7がPSで発表されてSEGAファンお通夜状態」みたいな、「SEGAの歴史ではないけど、SEGAにとって重要な出来事」も網羅したくて、「これも入れるべき!」みたいな出来事を教えてください……!
頂いたものは抜粋して記事で使わせて頂きます!
ちなみに今回の企画にあたって、事前にこんな感じでTwitterで募集かけたんですけど4,000RT近くされました。セガがどれだけ愛されてるかわかりますね。
いやー、ありがたい限りです。
あと、人数が多いのでなるべく順番に話してください。
(笑)。
セガの始まりとジュークボックス
それでは創業当時から振り返って行きましょう!
じゃあ本当の創業当時の話なんですけど、ここにいらっしゃる方は誰もわからないですよね。僕もまだ生まれてませんし。SERVICE&GAMESでSEGAになった、とか。
そうですね。生まれてないですしね。
「情報としては知ってる」って感じです。
※SEGA1000
国産初のジュークボックス。バーや喫茶店などに置かれて大いに売れたらしい。セガ社員ですら当時の機械を見たことがない貴重なものだが、セガのHPにはSEGA1000のクラフトペーパーが公開されている。誰が作るんだよ。
昔、デパートの屋上のゲームコーナーとかに置いてあったやつですよね。
そうそう。そういう、メカを電気で動かすゲームから今度はテレビの中で動かすゲームが出て来るんですね。その内インベーダー【※】が大ヒットしたからそっちが主流になってく、って感じですかね。
この当時、私の実家が喫茶店をやっていて、そこで大人の人たちがみんなインベーダーで遊んでいたので、私にとってはそれがゲームの原体験かもしれないです。
あれ、この年表はエスコ貿易には触れないの?
エスコ貿易は開発とはちょっと違いますからね。
なんですかそれ。初めて聞いた。
※中山隼雄さん
ジュークボックスやゲーム機などを卸す「エスコ貿易」の元社長。エスコ貿易がセガに買収されてからはセガ副社長、その後社長、副会長など。セガの中興の祖と言われる。1999年からはパソナの会長も務めた。中山隼雄科学技術文化財団名誉理事長。
でもこういう話って、結局誰も直接知ってるわけじゃなくて「そう聞いた」って話だよね?
はい! まだ生まれてませんから!
この辺の話は僕らにとっても難しいんですよ。今のパナソニックの社員さんに「松下幸之助さんの話を聞かせてください」って言ってるようなもんだから!
あー、また聞きでしか知らないっていう。
SG-1000の時代、社員たちは「SEGAジャン」という作業着を着ていた
小玉さんは84年入社だからこの辺からですよね。
私がセガに入った時はまだ本社が2階建てで、倉庫っぽい場所にジュークボックスとかが置いてあったような。我々が居た開発はその向かいにあったビルで、1階にはエスコ貿易が入っていたらしく、2階が工場のラインで、そこを閉じて開発が入ったと当時の先輩から聞いていました。
おー、工場って感じだ。
だから当時の会社のエレベーターはデカいんですよ。
会社というよりは工場っぽい所で、朝も8時半からはじまって17時半までとかだったかな。
朝ラジオ体操したり?
なんかベージュの、すごい地味なやつです。「SEGA」のロゴが入ってるんですけど。
昭和っぽいな~~~。
あの当時の、大田区大鳥居近辺の会社はだいたいああいう制服着てましたよ。
そんな、ベージュのジャンパー着てる会社になんで就職しようと思ったんですか?
私はグラフィックデザインの学校に行っていたので、最初は広告デザインの方に行くつもりだったんですけど、広告じゃなくて自分でも何か物を作りたいなぁと思って。学校の先輩がセガに入社しましたし、コンピューターゲームって面白そうだなって思ってセガとナムコを受けたんですよ。
どっちにしろみんな蒲田で酒飲んでるっていうね(笑)
そこでナムコの人と出くわしたりしたんですか?
ハッハッハ! いやー、古き良き昭和って感じですね!
私が入ったのはもうCSKグループに入ったあとじゃないかな? だから本当に知らないですね。ただ、私の代から採用の人数を物凄く増やしたんですよ。
なるほど。CSKグループに入って攻勢に出たのかな。
あとは、セガの前身であるレメーヤー&スチュワートの流れがあるので、外資っぽい文化がありましたね。社内用語に英語が多いんですよ。今でもそうかも。書類を回す事を「ラウティング」とか。社内旅行を「アウティング」とか。あとはクリスマスにはかならず会社をあげてのクリスマスパーティをやるっていう。
あー、ありましたね!
今はもうない文化なんですけど、アメリカっぽい文化は当時たしかにありました。
今でもめちゃくちゃ人気ありますし、今まですごい金額を稼いでるんだろうな……。
へ~~、知らない……!
そうそう。ソニックが生まれる前のセガのイチオシキャラですね。海外では今でもこれが好きだったっていう人は多くて。
ヨーロッパを中心に、マスターシステム【※】で一世を風靡しましたからね。
日本ではそこまでだったんですか?
でも『ハングオン』【※】とかは流行ってましたよね。
じゃあ、この頃のセガとしては、アーケードは絶好調だけど家庭用をちょっとどうにかせにゃいかんぞ、みたいな。
あー! ごめんなさい!
そう! セガとしては初のRPGだし『ファンタシースター』発売ってすごく大事な出来事なんだけど、当時としてはセガがアーケードの方が圧倒的に強かったから、この頃の家庭用のゲームソフトは年表から漏れちゃうのかも。
えー! マジでー!
俺が知ってる歴史と違う……!(笑)
そういう時ってどういう気持ちなんですか? アーケードの方はどんどん基板を進化させてメモリも使い放題でやりたい放題するじゃないですか。それをスペックが低い家庭用機に移植しろって言われた時ってどんな気分なんです?
え、「出来ないけど、頑張るよ」って(笑)
ハッハッハ!
「アーケードは好きなだけ容量も色も使えていーな!」とか思いましたけどね。でも、職人として少ない色数とメモリで、なるべくアーケード通りのものを作るっていう部分に美学を感じていたっていうのはありますね。
あー、いい話。
デザイナーが一番割食ってるよね(笑)。
えーと、この辺の歴史で言うと、セガは会社の成り立ちからしてアーケードがずっと強かったんですね。割と業界を引っ張っていくエポックメイキングな作品もたくさん作りましたし。
体感ゲームとかはモロにそうですもんね。
ただ、この頃の時代はとにかく製品のサイクルが早かったんですよ。勝ったとか負けたとか言ってる間にじゃあ次のハード、また次っていう具合に。
なるほど。いよいよここでメガドライブが出る、と。
時代が求めた16ビット、メガドライブ登場
……(笑)。
それはね、我々からは何も言えないです(笑)。
今は誰もがハッピーなので……(笑)。
なるほど……! 気になる人は自分で調べてみてね!
あとは「ゲーム図書館」ですね。ゲームを電話回線でダウンロードして遊ぶっていう。これも早かったな~~~。今ではもう当たり前ですけど。
ゲームのダウンロードが普及したのっていつぐらいからだろ?
うーん、Windows 95が出た当時もパッケージ販売が主流だったから、2000年以降くらい……?
やっぱり10年早いんだ(笑)。
そうそう。だからつけっぱなしにしてたよね。
あの時代にネット対戦だもんね。いやー、すごいね! 「こんなこと出来るんだぜ!」って技術的に突っ走っちゃって、どうやって稼ぐかっていうビジネスモデルのことなんて何にも考えてない!(笑)。
そこがセガなんですよ……!
ゲームギアも携帯機でフルカラーって今では当たり前だけどやっぱり早かったね。
そう。時代が早かったぶん、電池が減るのもめちゃくちゃ早かった(笑)
あ、ゲームギアやってたんですね。
北米版メガドライブ「ジェネシス」が大ヒット
ヒットしたのは91年ぐらいじゃない? 発売直後は苦戦してたような?
そうそう。最初は苦戦してた。
ヒットしたのはソニックが出てからですね。
そうですね。そこに作った人【※】が居るけど(笑)
※小玉さんはソニックの開発チームのひとりです。
じゃあ、ソニックが大ヒットして日本市場の再現を食い止めたわけですね。
で、その博打に勝ったわけですね。
そう。当時はロムも全部日本で作ってたんだけど、売れすぎて年末商戦の在庫が全然間に合わないから、日本から全部空輸したんですって。ウォルマートっていうアメリカ最大の小売り業者の倉庫がJFK(ジョン・F・ケネディ)国際空港の近くにあったから「JFKがソニックのロムで埋まった」ってその豊田さんが言ってましたよ。だいぶ盛ってるとは思いますけどね(笑)。
でも、空輸したら輸送費がえげつなくないですか?
そう。だから相当収益を圧迫したと思いますよ。でもそのタイミングで市場を抑えないともう後がないからやるしかなかった。
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