Point
■NASAのエンジニアが「ヘリカルエンジン」と呼ぶ新しい宇宙船スラスターについて提案している
■これは特殊相対性理論の作用を利用した、推進剤を必要としないグローズドサイクルのエンジンで、理論上光速度の99%を達成できるという
■ただし、このエンジンは運動の第3法則を破っており、また摩擦のない深宇宙の環境でのみ効果的に動作するもので、現状での実現は難しいという
民間宇宙旅行も、現実のものになろうとしている現代。遠い宇宙へ旅をするというSFチックな夢にも期待している人は多いのではないでしょうか。
そのために突破するべき一番明確な問題が、宇宙が広すぎて普通の速度ではほとんどまともな移動ができないという点です。
現在の人類の技術では4光分(光の速度で4分)の距離にある火星でさえ、移動するために半年近い時間を必要とします。
もし技術が発達し、地球に近い環境の惑星を数光年先に見つけたとしても、宇宙船がこんな速度ではどこにも行くことができないでしょう。
たとえ今は荒唐無稽な話に思えるものでも、新しい発想による新機軸のエンジンを提案していくことは、宇宙開発の技術者に求められていることなのです。
今、NASAの技術者の1人が、こうした問題に対して新しいエンジンの提案を行っています。
「ヘリカルエンジン」と名付けられたこの新エンジンは、相対性理論の近光速度で起きる質量変化の効果を利用して、推進剤を必要とせずに推進力を得られるといいます。果たして、このエンジンはうまくいくのでしょうか?
「ヘリカルエンジン」に関しては、米航空宇宙局 (NASA) マーシャル宇宙飛行センターの技術者David Burns氏より提案されており、NASAの技術報告サーバーに投稿されています。
https://ntrs.nasa.gov/search.jsp?R=20190029657
特殊相対性理論を利用したエンジン
では、ヘリカルエンジンとはどのような原理なのでしょうか?
まず簡単な思考実験をしてみましょう。
摩擦のない、床の上に置かれた箱を想像してください。この箱の中には、中央に一本の軸が設置されていて、重しがこの軸上を前後に滑るようになっています。
この箱の中で、バネなどを使い重しを前方へ弾くと、その反動で箱は少し後ろへ下がります。しかし、重しが箱の端にぶつかると、重しが壁で跳ね返る反作用によって箱は前方へ進む状態となります。
この状態では、反対の壁にぶつかった重しの反作用で箱はまた後ろへ下がってしまうので、箱は前後に揺れはしますが前に進むことはありません。
私達が雪山でソリの上で体を前後に揺すって、ソリが上手く前進しないのはこうした作用・反作用が交互に起こっていることが原因です。
こうした原理は、ニュートン力学の運動の第三法則(作用・反作用の法則)として知られています。
しかし、もし重りが光速に近い速度で動いていた場合どうなるでしょうか? 特殊相対性理論では、光速に近づくとその物体の質量が増えるとされています。
E=mc2という有名な数式が表している通り、質量とエネルギーは変換可能な同じものとして扱われます。速度が上がるということは、運動エネルギーが増加するということなので、それはイコール質量が増加しているということになるのです。
高速で走る車が衝突した場合、低速で移動していたときよりダメージが大きくなるのはこの原理が原因です。
では、こうした原理を踏まえて、先程の箱と重りの動きを想像してみましょう。
この場合、移動する箱の中で後方に動く重りは、前方へ移動しているときより見かけ上の速度が落ちることになります。
そうなると、前方の壁に当たったときより、後方に当たったときの方が重りの質量は小さい状態となるので、結果的に箱は少しずつ前へ移動する推進力を得ていくというのです。
実際のヘリカルエンジンでは、こうした動作を粒子加速器を利用してイオンを相対論的速度(近光速)まで一気に加速させて利用することを考えています。
多くの問題点
話としては単純なヘリカルエンジンですが、実際のところはそう簡単に実現できる話ではありません。
まず、この原理を実現するには、非常に大きくて強力な装置が必要になります。試算では、1ニュートンの力を得るためには、長さが約200メートル、直径12メートルという装置に、165メガワットの電力を使ってイオンを打ち出す必要があると言います。
1ニュートンの力というのは、簡単に言うとキーボードをタイプするとき指にかかる程度の力です。
キーボードを一回押す程度の力を得るのにそれだけのエネルギーを必要とするというのは、あまりに非効率な話です。
さらに、この原理を実現するには摩擦が無い空間を用意する必要があります。現実世界でそれが実現できる環境は、深宇宙しか無いだろうと言います。
そして、理論上ヘリカルエンジンは光速の99%まで加速可能としていますが、その速度に到達するためには、今説明した1ニュートンの力を繰り返し繰り返し蓄積していくしか無いため、加速するまでに膨大な時間が必要となります。
こうした新機軸のエンジンについては、度々提案がされていますが、これまでのところ期待通りに動作した例はありません。
過去に話題になったエンジンでは、2000年初頭にイギリスの発明家Roger Shawyer氏が提案したEMドライブがあります。これは円錐状の空洞に閉じ込めたマイクロ波の反射を利用して推進力を得るというエンジンで、原理的には十分な力を生み出せそうなエンジンでした。
しかし、EMドライブは2018年5月にドイツのドレスデン工科大学Martin Tajmar氏率いる研究チームにより、実験が行われ期待通りの動作が見られないという結果が報告されました。
Tajmar氏は「私の知る限り、慣性推進システムは摩擦のない環境では作動しなかった。ヘリカルエンジンもおそらく同じ問題に直面するだろう」と語っています。
実際、提案者のBurns氏も、この構想が非効率的であることは認めており、実現が難しいものであることも理解しています。
この論文についても、NASAのサーバー上で公開はされていますが、NASAからの援助を受けずに、Burns氏が余暇を利用して個人的に取り組んだ設計に過ぎません。
しかし、こうした一見荒唐無稽な提案の中に、僅かでも可能性が存在していることは事実です。恥を忍んでこうした提案を繰り返していくことは新しい発見のために重要なプロセスだ、とBurns氏は語っています。
インターネットのシステムにしても、アメリカの技術者ヴァネヴァー・ブッシュが1930年頃に発表したmemexと呼ばれる荒唐無稽なSF的構想が元ネタでした。これが後にダグラス・エンゲルバートなどがハイパーテキストを生み出す要因になりました。
ほんの数10年の間に、ウソのような情報検索システムが実装されてしまった世界を目の当たりにしている私たちは、実現の難しそうな推進装置の提案についても、安易に笑うことはできないでしょう。
近い将来、本当に4光分の火星へ4分で行けるようになるのでしょうか? 日本からアメリカへ旅行するより、お金持ちが火星を見て帰ってくる方が早いなんて言われる時代も来るのかもしれません。
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