(朝岡 崇史:ディライトデザイン代表取締役)

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「ギグエコノミー」(Gig Economy)。それはインターネットを通じて単発の仕事を受注する働き方や、それによって成り立つ経済形態のことを指す。

 ギグの語源は英語のスラングだ。本来は、さほど親密ではないミュージシャン同士がライブハウスで音合わせを兼ねて短い演奏をすることを意味し、それが転じて2015年くらいからインターネット仲介による「単発の仕事」というニュアンスで頻繁に使われるようになった。

 配車サービスを展開するウーバー(Uber)やリフト(Lyft)、民泊サービスのエアビーアンドビー(Airbnb)、キー・バイ・アマゾン(Key by Amazon)でハウスキーピングサービスを展開するアマゾンホームサービスのサプライヤー、日本国内でもクラウドソーシングでウェブデザインやコンテンツ制作などを行うランサーズやクラウドワークスなどはギグエコノミーの典型的な事例である。

(参考動画)キー・バイ・アマゾンのサービス: Amazon Key - October 2017

 最近のマッキンゼーの調査によれば、米国とEU各国では約6400万人が(必要に迫られてではなく、自らの選択で本業に加えて副業として)ギグワークを請け負っているという(参考:「ギグエコノミーの労働者が直面する5つの問題」Forbes Japan)

 それでは、ギグワーカーの中でも明確な本業を持たず、ギグエコノミー企業であるテック企業からフルタイムかそれに近い形で仕事を請け負う労働者は「独立請負人(フリーランサー)」なのだろうか? それとも、最低賃金や失業保険、労災・医療保険など福利厚生を保証される「企業の従業員」とみなされるべきなのだろうか?

 このグレーゾーンに対して明確な一線を引くだけでなく、ギグエコノミーの業界全体を大きく揺るがすことになる法案が、2019年9月10日、米国のカリフォルニア州の上院を通過した。ギグワーカーの権利を守るための法案、「カリフォルニア州下院法5号」(Assembly Bill 5、以下「AB5」)がそれである。この法案は同9月18日にガビン・ニューサム州知事が署名したことにより、2020年1月に発効することが正式に決まった。

 IoT時代、<企業とギグワーカーとの雇用関係>が変わる。

ギグエコノミー企業を厳しく監視するAB5

 AB5には、「労働者を独立請負人に分類することは、中産階級の空洞化、そして所得の不平等の大きな要因となってきた」とギグエコノミーのダークな側面が指摘、明記されている。

 そして、以下の3つの条件(ABCテスト)のすべてを満たさないギグワーカーは「独立請負人」ではなく企業の「従業員」と分類されることとなり、最低賃金や労災保険などの給付が義務付けられることが州法で明確に定められた。

(A)労働者が雇用主のコントロールから自由であること
(B)労働者が雇用主のコアな事業以外の仕事に従事していること
(C)労働者が雇用主と同じ分野の仕事を独立して行っていること

 この基準は、運送フランチャイザー企業のダイナメックス(Dynamex)社の契約労働者1099名の待遇を巡る裁判で、2018年にカリフォルニア州最高裁が採用した「ギガワーカーが独立請負人か否か」の判断基準をほぼそのまま踏襲しているとされる。

 実際、同法案を起草したロレーナ・ゴンザレス議員は「世界最強水準の経済圏として、カリフォルニアは他の州や国の規範となるべく、労働者保護の世界標準を設定しようとしている」と熱く意気込みを語っている。

 ギグエコノミーの本質は企業による「搾取経済」を許容するものではなく、企業が柔軟な働き方の実現によって生産性向上を図ったり、国境を跨いだ幅広い人材の活用を促進したりするものであるべきだ。しかしながら、足下の現実を注視すれば、一定数以上のギグエコノミー企業は、オペレーションコストの削減を目的に、いわゆる「独立請負人(フリーランサー)」を大量に雇い、フルタイムの契約であれば企業の「従業員」として当然受けられる権利を彼らに提供せずに実質的にフルタイムの仕事をさせ続けているというのは残念な状況だ。

 AB5の発効によって、グレーゾーン確信犯的にすり抜けてきたギグエコノミー企業は、今後、社会の厳しい監視の目に晒され、軌道修正を余儀なくされるだろう。

 全ての企業はそこで働く人たちの権利を損なうことなく、持続可能な方法で事業を成長させなければならない──。この考え方は、「サステナビリティ」(国連が定めるSDGsなど)や「パーパス」など企業が果たすべき社会的な責任とも整合するものだ。

ウーバーのドライバーは独立請負人か従業員か?

 このAB5の影響をまともに受けるのが、ライドシェアの両雄、共にサンフランシスコで創業し、今年(2019年)になって揃って念願のIPO(新規株式公開:以下IPO)を果たしたウーバーとリフトであることは想像に難くない。

 両社は自社のドライバーを「独立請負人」に分類しており、今回の法案に反対するロビー活動を続けてきたとされる。

 ウーバー、リフト呉越同舟して「反AB5」の共同戦線を張っただけでなく、やはりサンフランシスコを拠点にフードデリバリーサービスを展開するドアダッシュ(DoorDash, Inc.)を誘い込んで、それぞれ3000万ドル(約32億4000万円、1ドル=108円)ずつ資金を拠出、2020年に州民投票を行って、ドライバーをあくまでも「独立請負人」として位置づける活動を続ける計画を発表した。

 またこれに加えてウーバーは、ドライバーがあくまでも同社にとって「独立請負人」であるとの立場は変わらないと強調しながらも、ドライバーに対して最低賃金を保証し、引き継ぎ可能な年金を与えるだけでなく、ドライバーたちが「団結して発言する」ことを可能にする柔軟な枠組みを作ろうとしていることを表明した(注:AB5は団結権にまでは言及していない)。

 そもそもウーバーが2009年にトラビス・カラニックとギャレット・キャンプによってサンフランシスコで最初の産声をあげた時、既存のタクシー業界に対する利用者のペインポイント(不満や怒り)をマッチングアプリで一気に解決することで社会的な支持を獲得したという歴史的経緯がある。「領収書を発行しない」「メーターを倒さず法外な料金を請求する」「意図的に遠回りをする」「室内が汚い」「運転が荒い」など旧態依然としたサービスを改めないタクシー業界は、今や全米で土俵際まで追い詰められた状態だ。

 そんなウーバーが、行政の後出しジャンケン的な規制強化によって、創業からちょうど10年の節目に守勢に立たされてしまったのは皮肉といえば皮肉である。

ドライバーの大半はフルタイムの“プロフェッショナル”

 仮にウーバーにとって大きな経営戦略上の読み違いがあったとすれば、自社でもコントロール不能な規模と勢いで、ギグワーカーであるドライバーが増殖してしまったことではないか。

 ウーバーのドライバー数の推移についてきちんとした統計は公表されていないが、例えばニューヨーク市では2015年に1万2500人だったウーバーやリフトのドライバーが2018年7月には8万人を超えたとされる。ビル・デブラシオ市長が2018年の8月に、ウーバーやリフトなどのドライバーの新規雇用を暫定的に制限する法律に署名したことは記憶に新しい。

 ニューヨーク市では長く既存のタクシー業界のドライバーの数が1万4000人レベルで横ばいだったことを考えると、ウーバーやリフトがタクシー業界を駆逐しただけでなく、急激な過当競争激化によって、ライドシェア業界自体も客の奪い合いに血眼になっていることが容易に想像できる。

 筆者の米国出張時の経験から言っても、スクールバスの運転手が昼間の空き時間にギグワーカーとしてウーバーのドライバーをするというような、本来のシェアリングエコノミーを地で行くケースは現在では少数派で、大半はフルタイムの“プロフェッショナルであり、アプリからの配車リクエストでウーバーとリフトを掛け持ちしているようなマルチなドライバーが多い印象を受ける。自らの裁量で働く時間を決めるという、古き良きギグワーカー的な働き方は概ね崩壊していると考えた方が良さそうだ。

 加えて、企業(ウーバー)側も、競争力強化の目的で、料金や手数料を管理するだけでなく、特定の時間やエリアでは料金が割り増しになる仕組みを導入して来ている。顧客によるドライバーの評価システムをドライバーが企業(ウーバー)から受け取る報酬とリンクさせている点も、事実上、AB5が挙げる「雇用主のコントロール」と見なされても仕方がないかもしれない。

 これらの結果としてAB5の(A)から(C)までのスクリーニングのすべてばかりか、1つの条件もクリアできない「搾取経済」的なドライバーの比率が増えた、というのはギグエコノミー企業の雄であるウーバーやリフトにとっての「不都合な真実」である。

オペレーションコストが増大、経営の逆風に

 2019年3月25日ロサンゼルスでウーバーのドライバーによる大規模なデモ活動が行われた。アプリ内の一方的な通知でドライバーが受け取る報酬が1マイルあたり25%カットされたことに対する抗議だったが、これがタイミング的にAB5成立の追い風となった可能性は否めない。

 今年5月に念願のIPOを果たしたとはいえ、直近2018年第2四半期(4~6月)のウーバーの決算は、売上高が前年同期比14%増の31億6600万ドル(約3420億円)とアナリストの予測を下回る低い伸び率に終わり、純損益も52億3600万ドル(約5655億円)の赤字と振るわない。
 
 この上、ドライバーを「独立請負人」でなく、(妥協的な施策も含めて)実質的に自社の「従業員」と認めざるを得ないとすれば、報酬や待遇の改善のための費用はたちまちオペレーションコストの飛躍的な増大につながってしまう。

WIRED 日本語版』(「ウーバーのドライヴァーは『従業員』カリフォルニア州での法案通過が波紋」)では市場専門家の試算として、ドライバーが従業員と見なされた場合、ドライバー1人当たり3625ドル(約39万円)の追加コストがかかり、ウーバーとリフトでは年間8億ドル(約864億円)に達すると見積もっている

 しかもAB5と同様の法案は先述のニューヨークなど全米の他の州でも制定が検討される可能性が極めて高い。

自動運転の導入が「終わりの始まり」になるリスク

 そして、さらなる頭痛の種はウーバーの近未来の成長戦略に関わることだ。

 ウーバーは自動運転技術の開発ではグーグル系列のウェイモと並んで最先端をひた走る企業の1つだ(2018年に不幸にもアリゾナ州テンピで死亡事故も起こしたが・・・)。

 ウーバーの自動運転タクシーのプロモーションビデオでは、自動運転技術が実用的かつ魅力的なテクノロジーとしてライドシェアサービスに導入される近未来の日々が描かれる。しかし、そんな近未来の到来は、既存ドライバーとの雇用契約を年に数十万人という単位で解消しなければならないという冷徹な経営判断を迫られる可能性が高いということを意味する。

 その時にドライバーが「独立請負人」でなく、「従業員」もしくは「実質従業員」だった場合、膨大な退職金や失業保険の拠出が必要になるし、そのために今から計画的に膨大な引当金や掛け金を積み増す必要も出てくる。

 自動運転テクノロジーへの継続的な投資と、「従業員」という資格を法律で保証されたドライバーとの雇用関係打ち切りに伴う膨大なキャッシュの吐き出し、というダブルパンチは、それが一過性の出費として短期で終わらないだけに、ウーバーにとってはワーストシナリオに陥るリスクを内包している。

ギグエコノミーは草創期から成熟期へ

 最近、マスコミを賑わわせたシェアオフィス大手のウィーワーク(WeWork)のIPO取り下げのニュースなどを読むにつけ、ギグエコノミー企業が「テック企業」という看板だけで規制を逃れたり、株式市場での評価額が実力以上に高まったりする風潮はどうやら時代遅れになりつつあるようだ。

 つまり、ギグエコノミー企業であっても所詮、企業の経営の担い手は生身の人間であり、ギグエコノミーの成熟期においては法律による規制、経済学や経営学の原則、社会的責任に対するステークホルダーによる監視の目から逃れることはもはや不可能なのである

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