京都の古代建築に注目する中国人旅行客がいる一方、京都の「市街地」に関心を持つ中国人旅行客もいるようだ。中国メディアの今日頭条は14日、日本の京都の市街地には「一分の隙も無い」と題する記事を掲載し、唐朝時代は中国の「生徒」だったはずの日本が現在では「師を超えている」と論じた。

 記事は何度も京都を旅行で訪れているという中国人旅行客の経験を紹介。この中国人旅行客は、多くの中国人が「日本の京都は中国の唐朝時代の長安のコピー」だと言っていることもあり、京都旅行はいつも古代建築物を鑑賞していたというが、しかし、今回の訪日旅行では京都の「市街地」がどのような場所かを知るために時間を取ったという。

 観察の結果、現在の日本はすでに「唐朝時代に中国の模倣しかできなかった留学生」ではなく、すでに「師」であったはずの中国を超えていることに気づいたと説明。たとえば市街環境について、京都の鴨川は環境保護の成果として「ゴミが1つも落ちていない」ことを発見したと紹介。また、京都市内のその他の池や川なども観察したとうが、紙くず・ペットボトル・ビニール袋などが鴨川と同様に「何一つ見当たらなかった」と絶賛した。

 街の清潔さは日本では特筆すべきことではないが、なぜ中国人にとっては絶賛に値することなのだろうか。これは日本とは対照的に中国の河川には数多くのゴミが浮かんでいて、異臭が漂っているという実態が関係しているのだろう。

 記事には多くの中国人ネットユーザーがコメントを投稿している。たとえば、日本滞在中に公衆トイレを利用した際、日本人女性が手洗台で手を洗っていた時に水が手洗いボウルの外に飛び散ったが、すぐにポケットからティッシュを取り出してきれいにふき取ったのを目撃し、深い感銘を受けたというコメントが見られ、同ユーザーは「日本人の公徳心は中国人が見倣うに値する」と絶賛している。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

京都を訪れて実感、「生徒だったはずの日本は完全に『師』を超えていた」=中国メディア