24時間戦えますか?

 働き方改革が急ピッチで進む昨今、約30年前の平成元年流行語大賞に選ばれたのが「24時間戦えますか?」でした。

今となっては、耳を疑うくらいの強烈なフレーズですが、当時は、まるで違和感なく受け入れられていたように思います。とにかく長時間働くことが美徳であり正義である時代でした。

それにしても(自分も含めてですが)、24時間、ナニと戦っていたんでしょうか(苦笑)。

その背景には終身雇用年功序列という雇用システムがありました。

就職したら一生その会社で働くのが前提。「忖度」はすべて上司に向いていて、ライバルは社内、家より会社に帰属意識を持つ。

強固な「会社内タテ社会」を生き抜く必要があったのです。そんな中で派閥争い、権力闘争、出世レース…。確かに社内で戦いに明け暮れていたのです。「白い巨塔」「集団左遷」「半沢直樹」。こうした社会派テレビドラマに描かれる物語は、大げさでなく、リアルな会社の中でもそこらじゅうで起きていました。

そして、社内で出世レースを勝ち抜くためには必須だったのが「仕事量」でした。上長からの評価は、会社のために(=自分のために)どれだけたくさん汗を流せるか。そういう馬力比べ時代の象徴が、「24時間戦えますか?」だったのです。

【関連記事】令和を生きる女性のシゴト観を考える。男性に求めるのは「3高」から「4低」へ?!

リテラシーじゃなくテレパシー

こうして改めて、そのモーレツな働き方を客観視してみたらなかなかシュールな世界だと思いませんか(苦笑)。このように違和感を覚えるようなトンデモな働き方は、今から思うといっぱいあります。

例えば、仕事は教えてもらえませんでした問題。

いちいち聞くなよ、とにかくやってみろ。シゴトってのは見て盗むもんだ」。

しかし、とりあえず自分でやったらやったで、ちゃんとできてないと怒られる。また、ありがちなのが「言われたことしかやらない」という文句。

当時は、言われたことをやっても怒られていたのです。「なんでそんなことも気づかないの?なんでそこに気が回らないの?」という主旨だったのでしょうが…。今風のデジタルリテラシーは必要なかったけどある意味でテレパシー的なものを要求されていた時代でした。

カフェは寝るとこ

いま、カフェはノマドワーカーの巣窟となりシゴトをする場所です。

しかし、その昔、喫茶店と呼ばれた時代には、サラリーマンの昼寝場所でした。スマホなんかないから、一回会社を出れば捕まらないわけです。なので夕方までうまくサボりつつ、夕方から会社で残業して頑張ってるアピール。24時間ずっとは戦えないから、うまく手を抜かないとやってられないのです。でも夕方5時から頑張れば、上司に気にいられるし、残業代も増える。

喫茶店での昼寝は、長時間労働時代の必然的ワークスタイルだったのしょう。

トンデモだった自分たちの働き方に向き合う

拙著「なぜ最近の若者は突然辞めるのか」で、いまの若者は、オープンに誰とでもつながる「SNSムラ社会」の住人であると指摘しました。会社がすべてだった時代に、クローズドな「会社内タテ社会」を生きてきた我々オトナ世代とは、大きく価値観や行動原理が違います。

いまの若者と向き合う時って、いかにも昭和的な働き方にノスタルジーを感じつつ、つい「オレたちの若かった頃は…」と、なりがちじゃないですか。

しかし、冷静に振り返ってみたら、「オレたちの若かった頃」も相当にヤバいわけです。自分たちが当たり前だと思っていた働き方って、実は異常だったと認めましょう。

過去に向き合うことが、今どきの若者と近づけるヒントになるかもしれませんよ。

[文:ツナグ働き方研究所]

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

平賀充記(ひらが・あつのり)

ツナグ働き方研究所 所長
1988年リクルートフロムエー(現リクルートジョブズ)に入社。「FromA」「FromA_NAVI」「タウンワーク」「とらばーゆ」「ガテン」などリクルートの主要求人媒体の全国統括編集長を歴任。 2014年株式会社ツナグ・ソリューションズ取締役に就任。2015年ツナグ働き方研究所を設立、所長に就任。2019年よりツナググループ・ホールディングス エグゼクティブフェロー就任。著書に『非正規って言うな!』『サービス業の正しい働き方改革・アルバイトが辞めない職場の作り方』(クロスメディアマーケティング)、『パート・アルバイトの応募が殺到!神採用メソッド』(かんき出版)、『なぜ最近の若者は突然辞めるのか』(アスコム)。

昭和の働き方がトンデモに思えてきた今日この頃・・・