日本人に縁の深い食材「エビ」に光を当てている。

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 前篇では、日本人がエビとどう接してきたか、その歩みをたどった。戦後、エビの消費量は急増したが、その要因のひとつとして、日本人研究者によって確立されたエビ養殖技術が世界的に普及し、世界から日本へのエビの輸入が増えたという経緯があった。日本のエビは、もはや世界との関わりなしでは語れないものとなっているのだ。

 後篇では、エビの養殖関連技術をめぐる先端研究を伝えたい。国際農林水産業研究センター(国際農研、茨城県つくば市)では、養殖エビの産卵や成熟を誘導するため行われてきた「眼柄切除(がんぺいせつじょ)」という方法に代わる技術の開発が進められている。実用化されれば、国内外での種苗の安定供給や、動物福祉の観点での問題解決につながりそうだ。

海エビを淡水で育てる技術で陸上養殖を実現

 国際農研は、熱帯・亜熱帯地域や開発途上地域における農林水産業の技術向上に向け、試験研究などを行う国立研究開発法人。世界の食料問題や環境問題の解決、また農林水産物の安定供給などに貢献することを目指している。

 エビ関連の研究でも大きな成果を上げてきた。そのひとつに、「バナメイエビ」というクルマエビ科の「陸上養殖」実現化がある。

 クルマエビ科の養殖は、海沿いのマングローブ林などを切り開いて行われる。だが、この方法は海洋汚染などを引き起こし、また、エビの伝染病や悪天候による供給不安定といったリスクを抱えるものでもある。

 そこで、エビ養殖場を海上でなく陸上につくり、閉鎖循環式のシステムでバナメイエビを養殖するプロジェクトが行われた。バナメイエビは海の生きものだが、衛生的に管理できる淡水化養殖技術の開発により、陸上養殖への道を切り開こうとしたのだ。

 プロジェクトでは国際農研のほか、IMTエンジニアリング(新潟県妙高市)、水産研究・教育機構の増養殖研究所、ヒガシマル(鹿児島県日置市)が共同研究を進め、実証プラントでは、最終生存率58.9%、生産密度9.43kg/m^3という高効率な生産性を実現した。2007年より新潟県妙高市で商業運転が開始され、現在も「妙高ゆきエビ」のブランドで販売されている。海外でも、このシステムで試験的な養殖が取り組まれている。

 プロジェクトを率いてきた国際農研のマーシー・N・ワイルダー氏は、「ほぼ淡水といえるほどの低塩分で養殖できるため、排水を下水で処理することが可能。コスト抑制を実現できました。特定病原菌をもたないエビの養殖技術を確立できた点も大きなプロジェクトの成果です」と話す。

成熟を促す「眼の切除」には課題も

 このような成果を上げてきた国際農研が、現在エビの養殖関連技術で取り組んでいるのが、「エビが成熟するしくみを解明し、高度な種苗生産・養殖技術を開発すること」だ。

 メスの親エビのもつ卵を人為的に成熟させられれば、産卵を促すことができる。産卵がどんどん進めば、種苗である稚エビを安定供給できるようになる。では、どうすればよいか。

 これまで、世界的に需要のあるクルマエビ科の養殖では「眼柄切除」とよばれる方法がとられてきた。エビの眼の部分を切って除いてしまうのだ。

 眼の裏側には「サイナス腺」、それに「X-器官」とよばれる器官があり、ここから「卵黄形成抑制ホルモン」という物質が放出され、それにより卵の成熟が抑制される。そこで、これらの器官を根こそぎ切除してしまうことで「抑制」をさせなくすれば、エビの卵成熟が進むことになる。これが眼柄切除だ。

 国際農研でワイルダー氏とともにエビの研究をする姜奉廷氏が、エビの眼柄切除の歴史を説明してくれた。

1940年代に、眼をなくしたエビが生殖しやすいということがたまたま見つかり、眼に卵成熟を抑制する物質があるのではと研究が始まりました。1970年代に技術化され、それ以来エビの養殖産業が大きく発展しました」

 特にクルマエビ科は生殖リズムが不規則であるため、人為的な眼柄切除による卵の成熟が促されてきたのだという。

 だが、眼柄切除には問題がある。姜氏は「手間がかかる上に、眼を切って2~3カ月すると成熟しなくなるため、次々と新たなエビで眼柄切除をしていきます。効率がよいとはいえません。それに、近年は動物福祉の観点でも、こうした技術でつくられたエビを食べないとする消費者の動きが出てきています」と話す。

 こうして「眼柄切除ではない方法でエビの卵成熟を促すこと」が、研究課題となった。

RNA干渉法で、成熟化に挑む

 国際農研の研究チームは基礎研究を重視している。エビの体内で放出されたホルモンが、どのような経路をたどって体に変化をもたらすのか、そうした経路の研究も重ねてきた。経路の全体像を把握しておくことは、エビの成熟を促す新たな方法を検討するうえで重要となる。

 卵黄形成抑制ホルモンの働きで卵の成熟が抑制されてしまうことは上述のとおりだ。研究チームは、数種類ある卵黄形成抑制ホルモンのうち、主要な働きをするSGP-Gというホルモンに着目し、この遺伝子の発現をブロックすることを企てた。

「遺伝子の発現をブロックすれば、抑制ホルモンはつくられませんからね。“抑制を抑制”しようということです」(姜氏)

 SGP-G遺伝子の発現をブロックする方法として、研究チームは「二重鎖RNA干渉法」という技術を用いることにした。ブロックしたい遺伝子と対応関係にある2本鎖のRNA(リボ核酸)を細胞内に入れることで、その遺伝子から写し取られるmRNAを分解させてしまうという方法だ。mRNAは、ホルモンがつくられるまでの過程で必須なため、これがなければ卵黄形成抑制ホルモンがつくられることはない。つまり、眼柄切除とは異なる新たな方法で、卵成熟の抑制をブロックさせられるわけだ。

 実際、研究チームはバナメイエビに二重鎖RNA干渉法を施して、卵成熟などの効果を調べてみた。

「成熟の早さという点では、眼柄切除のほうが先に効果が出ます。けれども、私たちの方法では、眼を切除しないため、たとえ成熟のタイミングが遅くなっても、長期的に見ればエビが元気に卵をつくりつづけられる可能性があります。より長期にわたって飼育できる養殖現場で、それを検証する必要があります」(姜氏)

 新たな方法の成果が実証されれば、実用化に向け一歩前進となる。だが、本当に実用化されるには、研究者たちでなくエビ養殖業者たちが新たな方法を簡便に利用できるようになることも必要だ。

「どの養殖法でもそうですが、現場の人が簡単に使えるようでなければ普及はしないと私たちも認識しています。今回のRNA干渉法も含めた簡易なシステムを実現させ、養殖業者には養殖の助けになり、消費者にはエビに優しい技術と思ってもらえるようになればと考えています」(ワイルダー氏)

 今後は、こうした実用化を見据えての研究を進めるとともに、卵成熟などを「促進」するホルモンや経路の解明といった基礎研究も進めていくという。エビの養殖は国際的なビジネスだけあって、研究成果の波及効果は大きなものになりうる。

輸入に頼る日本には「務め」がある

 勢いに陰りが出てきたものの、依然として日本は世界有数のエビ消費国だ。そして、その消費量の約9割を輸入でまかなっている。

 だが、その輸入元であるベトナムインド、タイなど各国の養殖場は、決して安定的にエビを生産できる環境が整備されているとはいえない。伝染病によるエビの大量死といったリスクも抱えている。それでも稼ぎになるからと、貧困層の人たちがエビ養殖事業に頼っているという実状がある。

 海外の養殖場で、日本発の役立つ技術を使ってもらう。これは、輸入に頼っている日本としての務めではないだろうか。

「発展途上地域の人たちにとって、エビは重要な生産物です。それに、アレルギーの人を除けば、エビは、だれでも、どんな文化圏の人でも食べることができる。今後も、科学的な生命のしくみを解明して、世界のために役立てられればと思っています」(ワイルダー氏)

「エビは大量に飼育でき、早く育つため、養殖に向いている生物です。今後も、養殖やエビの食文化が発展していってほしい。より安く、より品質のよいエビを食べられるようになるために、研究を続けていきます」(姜氏)

 研究がエビの養殖技術や食文化を進めてきた側面は大きい。今後も研究がそれを担っていきそうだ。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「クルマエビの父」が切り開いた世界のエビ養殖

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クルマエビ科のバナメイエビ。安定した養殖の実現などに向け、研究対象にもなっている。国際農林水産業研究センター(国際農研)の水産生物飼育実験室にて。