東京大学中退後、ラッパーとしてだけでなく、明晰な頭脳を生かし、ニュース番組司会者などマルチに活躍するダースレイダー(42歳)。

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 この連載では、2010年脳梗塞で左眼の視力を失い、一度は余命5年を宣告された彼が、現代日本で起きている政治や社会の問題に斬り込む。

 今回は、JR新宿駅10月2日夜に起きた人身事故について。

ドラマが暗示するSNS社会の成れの果て

――視覚障害者の男性が死亡した現場そばのホームで、複数人の野次馬がスマホブルーシートの内側に差し込んでまで撮影しようとしたところ、駅員が「お客様のモラルに問います。スマホでの撮影はご遠慮ください」と異例のアナウンスをする事態になりました。

ダースレイダー:最近Instagramが「いいね」の数を表示しなくなったんですよ。これは試験的な運用らしいんですけど、「いいね」をお金出して買ったり、競い合ったり、あるいはその数の多少で人物評価に繋がったりするのを懸念してのことらしいんですね。

 イギリスドラマシリーズで『ブラックミラー』っていうのがあるんですけど、そこに今回の事態を発展させたような話があって。出世から何から、すべての人間関係が「いいね」の数で判断されていくデストピアが描かれているんです。

「いいね」欲しさに何でもやっちゃうのはSNSを使っているのではなく、SNSに“使われている”状態。Twitterで「いいね」や「RT(リツイート)」が多い少ない、フォロワーが何人か、とか。YouTubeで再生回数、高評価、低評価がいくらだとか。

 数字をつけることによるメリットはいくらでもあるんですけど、それを外に見せることによって、その数字があたかも、それ自体の価値になっていると思い込んでいないか。ネット上で見たものの価値が、すべて数値化できる発想に繋がっているんだろうと。

SNS投稿 = 自宅の玄関に出した看板

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ダースレイダーInstagramは英断だと思う。自分にしか「いいね」の数字が見えないのは、数字での価値判断ができなくなるという点で面白い実験だなと思う。Twitterも「いいね」がなくなる、なくならないの話が出てきているので、今後、いいね数以外でユーザーの使い勝手を考える方向に行くんじゃないかな。これは前提としてのSNSが今どうなっているかの話。

 今回の新宿駅の野次馬の件も、単純にそれをアップすることでいろんな人に見てもらったり、「いいね」がついたり、バズったりということが念頭にあってやっていると思う。それは浅ましいし、何でもいいのか!って思う。

 アルバイトが冷凍庫の中に入った姿をネットアップして炎上する“バカッター騒ぎ”もあったけど、ネットでの発言や投稿というのは、鍵アカウントでない限り、世界中に向けて発信していることになる。そのなかで、何か覚悟を持って世界に発信している人は、あんまりいないと思う。

 よく、人の悪口をネット上で言っている人がいますが、それをエゴサされて晒されると怒るんですよ。名前を出して「この人、クソだ」ってツイートするのって、公衆の面前で言っているのと一緒。SNSの発言というのは自宅の玄関の外に看板出しているようなものなんだけど、そういった区別ができていない。見られたくないものは発信しなきゃいいわけ。

 フォロワーが10人しかいないから大丈夫だと思っても、存在していれば検索にも引っかかる。ネットで何かを発信するってことは自分にいずれ返ってくるかから。

“一億総ジャーナリスト気取り”になっている

ダースレイダー:誰かを傷つける、不快にさせる情報を発信すること自体は、差別は論外としても、自分の意思で行い、すべての批判を受け入れる覚悟があるのならいいと、僕は思う。しかし、それは同時にそう見られることを分かってほしい。

 それでも「俺は面白いと思っているんだ、見せるべきだ」と強い覚悟があるのであれば、僕はわかるんですけどね。全然そんなことなく、「ちょっと、いいね! がほしいな」「リツイートされたらいいな」くらいの気持ちでやっているなら、しないほうがいい。

 事故・事件現場には犠牲者、被害者もいるだろうし、彼らの目に入ることもある。今現場で起こっていることをいち早く報道しなければならない……って、いつの間にか、みんなが事件記者みたいな気持ちになっちゃってるところがある。

 自分の役割ではないのに首を突っ込む“一億総ジャーナリスト気取り”みたいな。これは変な話テレビなどのメディアが「Twitterでこんなものがバズってますよ」としてしまったせいで、一般のところまでメディアが下りてきてしまって、境目がなくなっているんじゃないかな。

事件・事故のSNS投稿が横行する理由

報道
※画像はイメージです(以下、同じ)
ダースレイダー:そもそも、速報をするには知識や経験がなければならない。「今ここでこんなことが起こっているということは、こういうことだ」ってことを分かったうえで早く報じる。

 誤報を出しちゃうこともあるけど、それでも報ずるべきかそうでないかの判断は、「今これを出さないとこういうことになる」「これを出すとこういう効果がある」とか蓄積された知識や経験を踏まえて行うべき。それが本来の報道の形だと思う。

 メディアがそれをサボっている間、今度はまったくそういった知識や経験もないのに、「今、目の前で何か起こっている」「とりあえず、何か起きていて、面白いから投稿しよう」という人が増えている。彼らはあたかも自分が正義、正しい行動であると思い込んじゃっている。

 じゃあどうすりゃいいのって言うと、ジャーナリズムを標榜するメディアがちゃんと仕事をすることしかない。それで「これは僕にはできないな」と、みんなに思わせることが重要。でも今は「こんなの俺でもできるだろ」ってことしかメディアもやっていない。

“パブリックマインド”を持っているかどうか

ダースレイダーで、今回の倫理問題に関してだけど。死体の写真というものをどうとらえるか。僕個人の考えで言うと、’90年代に死体写真集が流行ったりしたんだ。良い気持ちはしないんだけど、僕の死生観で言うと、死後の肉体に何かが宿っているとは考えていないから、それそのものに忌避感はあまりない。

 戦場写真を戦場カメラマンジャーナリストが撮影すると、そこには非常におぞましいものが写っているけど、それは倫理的に良くないというより、生々しい現実を伝えるため、必要に応じて、やったほうがいいと思う。

 人身事故の報道の仕方をどうするべきかといったとき、メディアは経験、知識、波及効果などを考慮して、場合によっては本当に悲惨なことをそのまま報じたり、やっぱ見せなかったりすることがある。

 死体写真、死体動画っていうのはそれぞれの哲学もあれば、アンダーグラウンドなところで流行っていたりもしていたけど、SNSだったり、公共の場では、みんなが何を考えているのか想像しているかどうかが大事。今回の場合、パブリックマインドがないから自分が面白いと思ったものをネットアップしちゃうんじゃないかな。そもそも、そういう人がSNSで何かをやろうとすること自体がアウトだと思う。Twitterは高々“つぶやく”程度のものなので、もっと楽に考えたほうがいい。

「どんな覚悟で撮っていたの?」と聞く

スマホ

ダースレイダー人それぞれの倫理観あるってことを分かっていれば、「これはすごい嫌な気持ちになる人がいるな」とか「宗教上の理由でダメな人がいるな」ってことが分かると思う。そういったことを前提として持っていない人が簡単にブルーシートの中にスマホ突っ込んむというのは、間違いなくトラブルになる。

 悲しい事故だからではなくて、特に公共機関で起きたことだし、単純にいろんな人がいる。そういう意味でも、今回の事件にはいろいろな要素が絡み合っているんです。テクノロジーが進化して、誰でも色々できるようになっちゃったとき、それをコントロールするのは知識と経験とスタミナだと思う。法律で規制するというより、本当なら教育で「インターネットとはどういうものなのか」を早い段階でやるべき。

 今は子供もスマホ持ってますから、本来は早急に共有しなきゃいけないことだけど、案外教える側の大人がこのレベルなんで、先はかなり遠い。ブルーシートスマホを突っ込んでいた一人ひとりに、「どういう覚悟で撮っていたの?」と真意を聞いちゃうのもアリだと思う。

単なる“記号”ではなかったアナウンス

――新宿駅の駅員が「お客様のモラルに問います」と主体性を持って呼びかけていた点についてはどう思いますか?

ダースレイダー:すごく良いことだと思っています。機械がしゃべっているのではなくて、実は全部、人。単純にAIロボットが動いているのと違って、それぞれにそれぞれの人生があって、電車を運転しているのも、鉄道会社を運営しているのも、それを利用しているのもすべて人間。そしてそのいろんな人間が構成しているのが社会。

 このイメージを教育の早い段階でみんなが持っていれば「どういった行動をすると、どういった人がこういう思いになる」って想像ができる。今、完全に自分のことしか考えていないからこういったことが起きる。

 主体性を持った働きかけ。これはニューヨークとかの地下鉄アナウンスにある傾向で、「僕の意見はこう」「私はこう思います」ということが前提にあって、その上で事務的な話をする。

 今はほとんど事務的な話だけが存在するから、何なら誰も耳を貸さない。「次の駅はどこどこです」みたいなアナウンスは、もう記号としてしか受け取っていない。だけど、本来の言葉であったり、人がしゃべるものには感情があったり、考えがあることを思い出さないといけない。

我に返るべき人たち

歩きスマホ

ダースレイダーTwitter上で距離感、言葉遣いを誤っている人が多いのは、そこに人が存在していることを考えないでやっている人が多いから。相手を人間だと思っていないし、自分自身が人間ではなくなっている。

 人間じゃなくなっているのであれば一度、人間に戻らないとまずい。こういうタイミングで、スマホブルーシートに突っ込んでいた人は一度我に返ってほしい。全部人だということを忘れさせているのがスマホ。みんなイヤホンして、スマホの画面見て、周りにいるものが風景みたいな扱い。風景の写真を撮っているような感じになっちゃっている。

 これは「異例のアナウンス」って見出しになると思うんですけど、そうしないとみんな我に返らない。特に新宿、渋谷のターミナル駅の人の多さ。あれだけ人間が流れていて、いちいちすべての人に「生活が~」「家族が~」って想像すると大変な情報量になっちゃう。でも、彼らは決して同じではなくて、歩行者A、歩行者Bのように歩いているわけではないと、心に留めてほしい。

<構成/鴨居理子 撮影/山口康仁>

【ダースレイダー】

1977年パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、ラップ活動に傾倒し中退。2010年6⽉に脳梗塞で倒れ合併症で左⽬を失明するも、現在は司会や執筆と様々な活動を続けている。