トヨタ・セリカをもっと速く、ハイソに
21世紀の現在では事情が違うのかもしれないが、20世紀の終わり頃の男子は皆、好きなプロ野球チームや自動車メーカーがはっきりしていた。
それは裏を返せば、各々がちゃんとした個性を発揮していたことの証明なのだと思う。
国産車では各メーカーが今よりはるかにライバル心をむき出しにして覇を争っていた。それも今どきのような販売台数やエコといった経済的な話ではない。セダンやスポーツモデルを問わず次々と新技術を盛り込み、派生モデルが誕生させ、スケール感のようなものを競い合っていたのである。
4気筒のセリカに直列6気筒エンジンを搭載し、今日のGRスープラへと続く新カテゴリーを創出したセリカXX(ダブルエックス)。
このクルマがトヨタのスポーツ、ラグジュアリークーペ史に残した功績は計り知れない。
初代のセリカXXは、2代目セリカ(A40)をベースとして1978年に登場している。直6SOHC(シングルカム)エンジンを搭載するため、ホイールベースとエンジンルームを延長、フロントマスクも専用のデザインが採用されている。
日産のフェアレディZの対抗馬として登場したセリカXXの北米市場におけるネーミングこそが「スープラ」だったのである。
2代目トヨタ・セリカ、英国の薫り
初代の登場からわずか3年ほどで、セリカXXは2代目へとフルモデルチェンジされている。
2代目(A60型)のスタイリングは全体にウェッジが効いた平面で構成され、ヘッドランプは「80年代スポーツカーといえば!」のリトラクタブルになっている。
トップモデルのセリカXX 2800GTには、ソアラ譲りの2.8Lの直6DOHC(ツインカム)エンジン(5M-GEU)が搭載されていた。
一方今回スポットを当てるベーシックな2Lモデルにも直6 DOHC 4バルブの高性能なパワーユニットが搭載される。その名も2000GTというトヨタ・スポーツカーの伝説的なネームを与えられていた。
2代目セリカXXの誕生当時、このクルマのテレビCMには、ロータスの創始者であるコーリン・チャプマンが登場していた。それも「F1の神と呼ばれる男」という肩書で。
そのテレビCMでは2台のセリカXXが富士スピードウェイで派手にドリフトしたりして、FRならではの運動性能をアピールしていた。
他のCMではロータスのテストコースを走るシーンもあったのに、セリカXXの開発にロータスが関わったという説明は一切なし。
クルマ好きたちは「なぜ?」と思わずにはいられなかったのである。
しかもA60型セリカのスタイリングが、1975年に登場していたロータスの2+2クーペであるエクラにそっくりというのも、噂に信憑性を与えていたのだった。
懐かしい、約40年前の近未来
トヨタはA60型セリカXXの登場からずいぶん経ってから、ロータスの関与を認めている。
ジウジアーロ由来のスタイリングはもちろんだが、ドライバビリティに関しても、A60型セリカXXは「ハンドリング・バイ・ロータス」だったのだ。
当時のロータスはトヨタとの関係を深めており、トヨタ製のパーツも積極的に採用していたので、これは「やっぱりね」という成り行きだったわけだが。
だがこのクルマを有名にしたのはCMではなく漫画の方だった。
週刊少年ジャンプで連載されていた「よろしくメカドック」である。このタイトルを聞いて即座に白いセリカXX 2800GTを思い浮かべるのは、昭和30~40年代男だろうか。
セリカXXは、インテリアにも新たな時代の匂いを一杯に詰め込んでいた。ソアラが初めて採用し、話題をさらった「エレクトロニック・ディスプレイメーター」はその代表的なもの。
バーグラフのようなレブカウンターとデジタル表示の速度や、燃料計、水温系という近未来的なメーターパネルに、当時のクルマ好きたちは大いに熱くなっていたのである。
現代の眼から見ると「リトラクタブル」というだけで懐かしさを感じてしまうA60型セリカXX。後編では5速MTの2000GTを実際にドライブし、そのフィーリングを確かめてみます。
■トヨタの記事
【大迫力ピックアップ】北米新型トヨタ・タンドラ ランクル/ハイラックス人気で日本でも成功?
【一騎打ち】どっちがいい? 人気者「ルーミー」と先駆者「ソリオ」を比較
【電動化のミライ】トヨタ電動化戦略のキモ 「全固体電池」とは?
【なぜ?】勢い止まらぬトヨタ・ルーミー 人気続く3つのワケ
コメント