東京電力福島第一原子力発電所事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣3人に無罪判決が出た。
ここに『原子力文化』という月刊誌がある。その2017年4月号で、「21世紀を生きる日本人に考えてほしいこと」の掲題で、内閣府参与・原丈人(はらじょうじ)氏のインタビュー記事がある。
いくつもの事故調査委員会が作られたが、「本当の原因を示したものは、見受けられませんでした。当時の駐日アメリカ大使や、アメリカ法律事務所が可能性として考えていたことは、どの事故調査委員会でも議論すらされていませんでした」と、まさかと思わせるショッキングなことが書かれている。
確かに原発を運転していたのは東電であるが、原発を製造したのは米国のGE(ゼネラル・エレクトリック)である。PL(製造物責任)法があり、製造者責任の追及ができるというのに、それについての訴訟は聞かれなかったことを指している。
明治維新の成功をみた福沢諭吉は、東漸する西欧文明の脅威には西欧文明で対処するほかないと『脱亜論』で喝破した。
この顰(ひそみ)に倣うなら、福島原発事故では米国の弁護士社会に通じた人物をもってGEに対処すべきであったのだ。
然るに、GEに触れることなく東電の責任追及だけに終始する、言うなれば「蝸牛角上の争い」を演じてしまったようだ。
本論はただ一つ、東日本大震災時に起きた津波による福島第1原発事故で被害を蒙った多くの市民、そして東電と電気料金の値上げを強いられた管内住民が被った損害を補填する「他策はなかったか」についてである。
ただ、訴訟社会の米国事情を知らなさすぎたために、残念ながら蝸牛角上の争いに終わり元凶に迫れなかったことは大きな教訓である。あるいは今からでも遅くないのかもしれない。
そのために、高山正之・立川珠里亜共著『弁護士が怖い! 日本企業がはまった「米国式かつあげ」』(1999年刊、以下「高山本」)を参照しながら、米国の訴訟社会の実情を管見する。
象徴的なコーヒー火傷の裁判
79歳の老人がニュー・メキシコ州アルバカーキのマクドナルド店ドライブ・スルーでコーヒーを買い、孫の運転する車で終の棲家を探していた。
コーヒーカップを太ももに挟んで蓋を開けようとしたときカップが倒れ、熱いコーヒーが太ももからお尻にかけて流れた。結局、お尻に3度の熱傷を負い、治療費に1万ドルかかった。
老人はマクドナルドが熱すぎるコーヒーを出したのが原因で、顧客を無視した無神経な対応に責められるべき悪意があると地裁に訴えを起こす。
約2年半後に、12人の陪審員団全員がマクドナルドの責任を認め、火傷に伴う苦痛や不便などへの実質的な賠償を20万ドルと認定し、州法の規則で原告側の過失分20%を相殺して、16万ドルとする。
陪審員の中にマクドナルドのコーヒーでやけどをした経験者がいたと言われ、さらに懲罰的賠償として270万ドルを算定、合計286万ドルの支払いを命ずる評決となる。
しかし地裁判事は評決の金額に行き過ぎがあるとして、実質的損害賠償16万ドル、懲罰的損害賠償48万ドルとする減額判決を下す。
「自分の過失でこぼしたコーヒー1杯が64万ドルに化けたことは間違いない」と述べる。
高山本にはこの手の判例、例えば、いびきで訴えられ市騒音条例で罰金50ドルを命じられた女性が逆に辱めにショックを受けたとして約2万5000ドルの賠償を要求し、敗訴を覚悟した市は1万3500ドルで和解に応じたことや、
隣の家から借りた芝刈り機に足を挟まれ大けがをした男が、芝刈り機を貸した隣人を危険なものを貸した不法行為で訴えたケース、
かわいがっていたネコを洗ってオーブンに入れて乾かそうとして死なせてしまった婦人が電子オーブンに「猫を乾かしてはいけない」と表示していなかったと訴えたケースなど、PL法違反絡みを多数含む訴訟が取り上げられている。
日本関連でも、三菱自動車の工場(イリノイ州)で、米国人従業員が同僚女性従業員にセクハラを行う。「それは(女は男のおもちゃという観念をもつ日本人)管理者が従業員にセクハラを奨励したためだ」と米国政府機関の雇用機会均等委員会(EEOC)が裁判所に訴えた事件があった。
「ほとんどヤクザの因縁に近い言い分」というやり方で、米国メディア、議会までが味方して法外な落とし前を三菱から採ることに成功する。1999年時点での話であるが、同様な訴訟がトヨタ自動車やホンダにも何十件と降りかかっていたのである。
エアバッグのタカタはどう叩かれたか
タカタ製のエアバッグが作動時に破裂して金属片をまき散らす恐れがあるとして問題になったのは2014年である。
搭載車のホンダは原因が特定できない段階の予防的措置としての調査リコールを米南部の高温多湿地域に限定する考え(対象車約280万台)を示していた。
しかし、クルマ社会の米国では問答無用のように「言い訳がましい。見苦しい」の一言で聞く耳をもたない状況で、「目の前の散弾銃で顔面を狙われているように感じた」と非難されたホンダは全米(その他約540万台)に広げるだけでなく日本も含め、中・豪などアジア・オセアニア地域まで広げざるを得なくなる(対象車約1200万台)。
科学的に原因を特定できないままに数件の死亡事故を理由に800万台近い車両のリコールを当局が強制した場合、「法廷に持ち込まれれば当局がタカタの過誤を十分に立証できず、敗訴する可能性もある」と自動車業界関係者はみていたという。
米国が日本の一部品メーカーに対しこれでもかこれでもかと非難し怒りをむき出しにした裏には、タカタが米国市場を席巻したというほかに、監督官庁である米運輸省・高速道路交通安全局(NHTSA)が「仕事をしていない」と同局の設立に動いた市民運動家からこき下ろされていたための起死回生でもあったようだ。
NHTSAで事故調査を担当する欠陥調査室は50人の陣容であったが、ほとんどが弁護士で技術者は数えるほどでしかなかったために、ハイテク化する自動車の機能を研究・実験する権限を生かし切れていなかったが、自身の調査能力のなさを取り繕いたかったためにタカタに対して無理筋ともいえる全面リコール命令を発動したとされる。
米国の小型機会社も訴訟で潰れた
小型飛行機といえばセスナ機やハイパー機が有名であった。しかし、その名前もいつの間にかほとんど聞かれなくなった。1980年代に訴訟の嵐に襲われた結果、体力を失くしてしまったようだ。
例えば1983年、テネシー州からルイジアナ州に向け飛び立ったセスナ機が燃料切れで墜落した。事故調査で世界的権威をもつ国家輸送安全委員会(NTSB)は、操縦していたハーパー氏が泥酔して燃料バルブを閉めたためガス欠を起したと認定した。
負傷した氏の血中アルコール濃度は許容量の5倍であったが、氏はバルブに欠陥があったとして逆に455万ドルの賠償請求を起こし、4年間の法廷争いの末、20万ドルの訴訟費用と5万ドルの賠償支払いを課せられたのはセスナ社であった。
ハイパー社の複座機の前席に撮影機材を載せ、後席で操縦桿を握ったパイロットが滑走路上に置かれたトラックにぶつかり大怪我をした。
トラックはパイロットが使用料を払わないために飛行を阻止する目的で飛行場管理者が置いたもので、事故はパイロットが管理者の警告を無視して起こした自業自得であった。
しかし、パイロットは「滑走路に停めたトラックが見えなかった」前方視界阻害は構造の欠陥であり、さらに肩掛け式でない旧式のシートベルトが怪我の原因だと主張。判決の結果はハイパー社が「250万ドルの賠償を支払え」であったという。
訴訟のピークとなった1985年、小型機業界の製造販売額は14億3100万ドルであったが、訴訟費用に2億1000万ドルを支出、実に総売り上げの7分の1が賠償金を含む訴訟費用に消えたという。
こうした結果、1980年代初めまで年間1万8000機を生産し、世界市場の95%を独占していた米国の小型機メーカーは93年には30分の1の555機にまで生産を落し、セスナ、ハイパー、ビーチエアクラフト、ガルフストリームなど29社あった企業は20社が倒産する。
高山本によると、ウィンドウズのビル・ゲイツ王国は類似したアイデアを訴訟によって抑え込み、事実上の独占市場で築き上げたものであり、また発明王で知られるエジソンの言葉に「1つのひらめきと99の努力」があるが、実際は発明した件数の数百倍の訴訟を勝つことで確固とした地位を築き上げたものだとされる。
ブッシュ(父)大統領は再選を懸けた選挙戦に訴訟公害を攻撃するキャンペーンを持ち込んだが、訴訟ブームの仕掛け役「弁護士」の一人であったビル・クリントン氏に敗れた。
しかしホワイトハウス入りしたクリントン大統領がセクハラ訴訟やモニカ・ルインスキーさんへの偽証強要などの訴訟まみれになったのは皮肉という以外にない。
ツナミ想定のない欠陥原子炉
本質である福島第1原発の非常用電源は地震直後には起動していたが、その後にやってきた津波でダメになり原子炉冷却ができなくなった。
「この事実は津波を想定しないアメリカの設計思想のまま、輸入されたものと言わざるを得ません」というのは原丈人氏である。
原氏は福島の東電第一原発事故では、いくつもの報告書が出ているが、本当の責任所在が追及されていないと語る。
そして、原発事故を米国の製造会社GEの立場からいけば「欠陥自動車ではなく、欠陥原子炉に文句を言ってこない、お人よしの日本だと思っている」というのだ。
ところが、日本の原子力損害の賠償に関する法律では「損害を賠償する責めに任ずべき原子力事業者以外の者は、その損害を賠償する責めに任じない」とあることからメーカーの責任は問えないという。
この法律もおかしいが、東電には事故後に元日本GE社長が社外取締役に就任しており、加害者の可能性のある米国企業の子会社を退任したてのトップを被害者の会社に迎えるなど、世界の常識では考えられないと指摘する。
損害賠償させないGEの陰謀では?
それはともあれ、GEのジェフリー・イメルト社長(当時)は訴えられる覚悟で、費用を最小限にしようと思って事故の1週間後に来日しており、また当時の駐日大使は原氏の会社の元弁護士でもあり、訴えられるのではないかと大変危惧していたという。
日米は同盟国であるから関係者は正面切っての対決は避けたいという気持ちを持ち、当事者の東電もしないし、政府もことを構えたくない。
原氏は「そうなると小口でもいいから東電の株主が、住民たちが被害を蒙っているのだから集団訴訟を起こすべき」だったと語る。
「福島県や宮城県の株主で、原発の事故によって立ち退き、また自分の財産など、農業や漁業ができなくなった人たちは、実被害を受けた」
「株価が下落しただけでなしに実被害を受けたということで、もっと確信的に訴えることができます」
「アメリカの弁護士事務所には、被害者集団の代理人をやりたい、という会社が幾つかありました。その時の予想では裁判に勝つ可能性は高く、勝訴にしても和解にしても『GEから5兆円は賠償金として取れるだろう』と言っていた」というのだ。
福島原発事故から10か月後の2012年1月末には、三菱重工製の原子力発電プラントの蒸気発生器の配管部分に欠陥が見つかり、サンオノフレ原子力発電所(カリフォルニア州)を運営する会社は交換でなく2、3号機の閉鎖を発表し、三菱重工に66億6700万ドル(約7500億円)の損害賠償請求の新聞記事が出た。
三菱重工は契約における責任上限は1億3700万ドルとして係争していたが国際商業会議所が1億2500万ドルで仲裁裁定している。
おわりに:
凹型でも対外的には凸型思考で対処すべき
ラグビー・ワールドカップで日本チームが予選リーグA組を1位で通過した。
主将のリーチ・マイケルはスコットランド戦を前に「優しさは必要ない。鬼にならなければならない」と語っていた。
彼は日本の凹型文化の性格を見抜いていたから言えたのではないだろうか。
1980年代から90年初めにかけては日本の企業がニュヨークやラスベガス、ロサンゼルスなどに進出し、「ジャパン アズ ナンバーワン」と言わしめるほど輝いた時代であった。
ロサンゼルスのビジネス街に立ち並ぶ約50の高層ビルの38を日本資本が所有したという。
しかし、その勢いもあっという間にしぼんでしまった。何人もがラスベガスでホテルを買いカジノ営業を夢見たが、なかなかカジノ営業権が許可されず負債が嵩んでいった。
ロサンゼルスで購入した建築物にはアスベストが使用されていたが、購入者にそのことが知らされていなかった。
凹型文化の日本でも外国相手にことを進める場合は凸型文化の思考で対処する必要性を教えている。
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