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初めに書いてしまうと、第11回角川春樹賞に輝いた柿本みづほ『ブラックシープ・キーパー』角川春樹事務所)は、特殊能力ものなのである。

特殊能力ものはすでにサブジャンルとして定着した観がある。2019年だけとってみても、青春ミステリー・浅倉秋成『教室が、ひとりになるまで』、いつも変なことばかり考えている詠坂雄二『君待秋ラは透きとおる』『ビブリア古書堂の事件帖』みたいな話かと思ったら全然違った黒崎江治『滴水古書堂の名状しがたき事件簿1』などがめぼしいところか。こうした作品は継続的に書かれていて、直接のきっかけは1998年上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』だろうが、もちろんその前に偉大な荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』があり、源流としての山田風太郎忍法帖作品群があることは言うまでもない。
というわけでまあ、特殊能力を扱った作品自体は珍しくないのである。
だけど『ブラックシープ・キーパー』は羊が出てくるからなあ。





子連れ設定が必然、というところが巧い
『ブラックシーパー』に登場する特殊能力者たちは〈羊飼い〉と呼ばれている。主人公の斗一桐也もその一人で、彼は羊飼厚生保全協会というところに雇われて、仕事をしている。任務の一つは同じ羊飼い殺し、凶悪犯となった能力者を探し出して始末する。つまり賞金稼ぎである。冒頭では情報を掴んだ桐也が、あるものを盗み出した二人の羊飼いと闘い、問題のブツを奪還するところが描かれる。ここの戦闘場面が、なかなかに楽しい。相手が使うのは液体を凍結させる〈絶対零度の浸食〉と植物をまとわりつかせて姿を消す〈千変万化の緑〉だ。それぞれフロスティ・ケロイド、ハシッシュ・ディスガイズ、とルビが打たれている。桐也の使う能力は〈魔弾の射手〉、レライエと読むのだが、これは想像がつくかと思う。ちょっと変わった小道具の使い方がされているのがいい。
激闘の後、この桐也の部屋を深夜に子供が訪ねてくる。見かけは十三、四にしか見えない相手は、RAM−483Tmという番号だと自己紹介する。名前ではないのだ。押しかけてきた上に、桐也の羊になりたい、というのである。

ここで羊飼いの能力について説明する必要があるだろう。これはある実験が元で起きた突然変異的なもので、その実験場所が札幌だったことから、能力者は周辺に集まっている。ほぼ札幌限定の特殊能力者なのだ。ススキノとかたいへんだなあ。中央の政府はもちろん事態を重視して当初は能力者の抹殺に動いたが、利用価値を見出して羊飼厚生保全協会と非公式に手を結んだ。札幌は雇われ羊飼いとはぐれ羊飼いが睨み合う街になってしまったのだ。
この羊飼いは単独では存在できない。自分の羊を飼って、その心から能力の源泉になるものを吸収しなければならないのだ。桐也の場合は夜の街でひっかけた百人近い女たちが羊である。数が多いのは、消耗するからだ。羊は毛を刈り取られても裸になるだけだが、羊飼いの羊は丸裸にされると殺人狂になって暴れはじめてしまうのである。桐也の身内にも悲しい出来事が起きており、羊を丸裸にしてしまう怖さは十分承知している。
なのに、年端もいかない子供を自分の羊にしてしまうわけにはいかないではないか。
RAM−483Tmは部屋に勝手に居座ってしまう。やむをえずヨウという名を与えて同居生活を始めた桐也なのだが、直後から彼の身辺にはおかしなことが起こり始める。

完璧とは言い難いが熱量だけは十分
最初に書いたように本書はデビュー作なので、小説にはいろいろと不満がある。たとえば桐也がいきなり「イケメン」と紹介されてしまうところとか。ぶおとこよりはそのほうがいいかもしれないのだけど、あまりにも紋切型なのはちょっと白けるではないか。それ以外の登場人物も推して知るべしで、人物描写はこの作家の急ぐべき課題だと思う。賞選考委員の一人である角川春樹は、ちょい役で出てくるキャラクターに存在感があることを指摘していたし、もう一人の今野敏は「人間と人間の関係性」が描かれている点を評価している。それは賛成だ。単に奇矯な連中が出てきたり、主人公が俺強えと威張る小説はいくらでもあるが、本書は桐也がヨウとの出会いを通じて変わっていく話なのである。
ここまで書いてきたことでお察しだと思うが、明らかにヨウが怪しい。この子に隠された秘密が話の核なのである。ネタばらしにならない程度に書いておくと、ヨウは少しずつ変わっていく存在だ。その変化に対し、桐也がどう振る舞うかということが重要な解決すべき問題になる。タイムリミットもあり、先延ばしにはできない。中盤のスリルが盛り上がるのは、時計の針が進んでいき、じりじりとした焦燥感が生まれるからである。

 一口で言ってしまえば、執着と愛情の物語であって、冷徹な殺し屋に徹していたはずの桐也が自身の中にそうした感情が生まれてしまったことに戸惑い、対処していくことになる。その心の動きが書かれているからこそ、読者に熱いものを感じさせることができるのだ。何度も書くけど小説としては未完成な部分は多い。しかし、最も肝腎な熱量がこれだけあるならば、読むに値する作品と言っていいはずだ。
小説はいちおう、続篇が可能な形で終わっているのだけど、できれば違うものに挑戦してもらいたい。別のキャラクターを動かして、登場人物類型のバリエーションを増やすのがこの作家の場合は得策だと思うのだ。十分に腕を上げたところでまた、桐也とヨウの物語を読ませてもらいたい。
(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)

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