鮎川哲也賞を受賞したデビュー作。時間SFとパズラーを組みあわせた意欲作。タイムトラベルも本格推理も、破綻なくストーリーを語り進め、読者の予想を超える結末にたどりつくためには、強度のあるロジックが要求される。本作は、その要件を高いレベルでクリアしている。途中、登場人物が奇異に思える行動に出る場面もあるけれど、それはその人物の来歴や性格によるものとして、じゅうぶん了解可能だ。

 探偵役を務める主人公、加茂冬馬は2018年に暮らすフリーライター。難病のために死に瀕した妻・伶奈を救うため、1960年タイムトラベルすることになる。彼を誘ったのはマイスター・ホラを名乗る正体不明の存在で、スマートフォンを介して冬馬にコンタクトを取ってきた。ホラは「私は未来を知っている」と嘯く。普通ならば一笑に付すところだが、いまの冬馬は藁にもすがりたい気持ちだ。しかも、伶奈の境涯には尋常ではない影があった。「竜泉家の呪い」と呼ばれる都市伝説である。

 竜泉家は第二次大戦後、GHQとのコネクションを確立してビジネスを成功させた富豪の一族である。1960年8月、N県詩野にある別荘で、当主である竜泉太賀の誕生日を祝うために親戚と関係者が集まったとき、悲劇が訪れた。別荘で犯人不明の連続殺人に見舞われたのだ。さらに、つづけて発生した土砂崩れに巻きこまれて、殺人から逃れた者も全滅してしまう。その後、太賀のひ孫にあたる文乃が他所にあずけられていたことが判明し、竜泉家の命脈はいったんは保たれたのだが、文乃自身も、また彼女の子孫も、次々と不幸に見舞われ、いまではわずかに四人を残すばかりだ。存命中のひとりが伶奈である。

 ホラは冬馬に言う。悲劇のはじまりである1960年に行き、竜泉家の呪いを解くことができるならば、現代で病苦にある伶奈の命を救うことができる。ホラには時間移行の力があった。ただし、狙ったとおりの時刻にピッタリと行けるわけではなく、不確定なズレが生じてしまう。冬馬が到着したのは1960年8月22日だった。「記録」によれば、連続殺人で最初の犠牲者が出たのは21日だ。つまり、冬馬はそれを防げなかったのである。

 1960年で冬馬が最初に出会ったのは、太賀のひ孫にあたる竜泉文香である(当時十三歳)。これ以降、彼女が冬馬の捜査のアシスタント役となる。そればかりか、彼女自身が卓越した推理力を発揮し、事件解明の足がかりをつくる場面すらある。また、冬馬が未来人であることについても、文香は自分なりに根拠づけ、柔軟に受けいれている。

 ところで複雑なのは、冬馬が参照している事件の「記録」というのが、文香のつけている日記だという点だ。文香が1960年で記たテキストを、未来から来た冬馬が参照しつつ事件へと関わり、そのできごとをまさに1960年の文香が記している。ここに再帰構造がある。ただし、完全なループになる保証はない。

 言い忘れたが、伶奈の祖母にあたる文乃と文香とは双子の姉妹だ。もっとも、1960年の段階では、文乃も文香も相手の存在を知らない。生まれてすぐ、文乃は他家へ預けられたからだ。

 さて先述したとおり、冬馬が到着したのはすでに最初の殺人事件が起きたあとだった。殺されたのはふたり。文香の父である竜泉究一と、究一の従兄弟にあたる都光奇である。別荘にいる人間の関係を文章で記すと煩雑になってしまうので、以降、ここにはいちいち書かない。作品には竜泉家の家系図が掲載されているので、読者にストレスなしに登場人物の関係を把握することができる。

 冬馬が到着した時点で、別荘にいる生存者は竜泉家の人間が七人、雇用人が二人。このなかに犯人がいるのか? それとも外部から入りこんでどこかに隠れている者がいるのか? ただし、別荘からつづく唯一の道は途中の橋が何者かによって落とされてしまったため、いまここは陸の孤島だ。

 はたして冬馬と文香は、これ以降の殺人を食いとめて、犯人を特定できるだろうか? そして、生存者を土砂崩れから救うことができるか?

 謎はこれだけではない。

 マイスター・ホラとは何者で何を目論んでいるのか?
 竜泉家の呪いを解くことで本当に伶奈は助かるのか?
 冬馬が過去を変えることでタイムパラドックスは生じないのか?

 ところで、この書評をここまで読んで「時間移行が可能ならば、冬馬は何度でも過去に戻って事件解決をやりなおせるではないか」と考えるひともいらっしゃると思う。ご心配なく。作者はぬかりなく作中の時間操作についてルールを設けている。

1 ホラの時間移行能力は十二時間以上空けなければ使えない。
2 時間移行の最小単位は一辺三メートルの立方体で、その空間内のものはすべて一緒に移行する。
3 時間と空間は不確定の関係にあり、移行時点・地点には不測の誤差が生じる。
4 ひとつの時点に同一人物が二人以上存在することができない。

 これらはマイスター・ホラと冬馬の行動に制約を課し、探偵および事件解決者としての特権性を大きく限定することになる。彼らの有利は、もっぱら「竜泉家の呪い」先行きがわかっているという知識面である。ただし、過去改変が全面的には禁止されていないため(過去改変の可能性に関する制約はたかだか条件4で示された同一時点の同一人物存在である。また、過去改変が不能ならそもそも冬馬の行動理由が意味をなさない)、その知識もオールマイティではない。

 実際、その後に第三の犠牲者が出るのだが、それはホラや冬馬が知っている記録とは違った人物だった。

 さて、ここまでが物語全体の四割程度。本格ミステリとしての要件は過不足なく整っているが、時間SFとしてみた場合、冬馬が未来から来た探偵役という設定面のみのように映る。しかし、物語の中盤以降、それがガラリと変わる。連続殺人事件進行中・解決中に錯綜した糸を解きほぐす一環として、ホラがいよいよ自分の正体を明かすのだ。冬馬が探偵役に使命されたのも、伶奈を救おうとする動機があったからだけではなく、もっと抜き差しならない因果が働いていることがわかる。

 これからお読みになるかたのために、これ以上は紹介することはできない。

 本筋とは直接に関係のないところからピックアップすると、「宇宙船時刻表アリバイトリック」や「銀河千人同時密室殺人トリック」という言葉まで飛びだす。それがどんな脈絡においてなのかは、読んでのお楽しみ。また、これも本筋とは別だが、文香はアルフレッド・ベスターのThe Stars My Destinationを原書で(1960年には邦訳は出ていないので当然だが)読んでいる。ぐっときますね。

(牧眞司)

『時空旅行者の砂時計』方丈 貴恵 東京創元社