東京の新橋と臨海副都心を結ぶ新交通ゆりかもめ。この終点・豊洲駅の先を見ると、軌道が曲がりながら途切れています。晴海や勝どきへ延伸するためのカーブですが、一方、街は当初の想定から状況が大きく変わってしまいました。

勝どきを目指したゆりかもめ

新橋からお台場、青海、有明を経由して、豊洲まで結ぶ東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ」は、2020年に開業25周年を迎えます。2006(平成18)年に有明~豊洲間が延伸開業し、終点となった豊洲駅東京都江東区)ですが、ホームを過ぎてから軌道が左カーブを描きかけて途切れている不思議な構造をしています。ゆりかもめは豊洲から先、どこに向かおうとしているのでしょうか。

ゆりかもめには豊洲~勝どき間の延伸構想が存在しました。豊洲の交差点を左折して道なりに晴海方面に向かい、環二通りで右折して橋を渡り、またすぐに清澄通りとの交差点を右折して大江戸線勝どき駅東京都中央区)に到達する、ぐねぐねと蛇行した不思議なルートです。この延伸計画は、ゆりかもめにどのような役割を期待していたのでしょうか。それを理解するためには、臨海副都心ゆりかもめの関係を振り返らなければなりません。

臨海副都心開発は1980年代東京湾の埋め立て地に第7の副都心を整備するという構想からスタートしました。当時、都心ではオフィス不足から地価が高騰し、土地取引の投機化や地上げなどが社会問題化していました。そこで東京都は、丸の内の5倍以上の面積を持つ臨海副都心を開発し、都心周辺の工業用地を再開発することで、土地不足を解消しようと考えたのです。

交通空白地帯の晴海

そのなかで注目されたのが、都心と臨海副都心の中間に位置する豊洲・晴海地域でした。この地域は明治後半から昭和30年代にかけて埋め立てられた土地で、工場や倉庫、港湾施設など工業用地として使われてきました。東京都は豊洲・晴海を臨海副都心線と一体的に再開発し、オフィス、商業、住宅が一体化した「職住近接の人間味あふれるまちづくり」を目指しました。

課題は交通網の整備でした。都電時代も門前仲町から月島を経由して築地に抜ける路線があったのみで、都心からのアクセスはバス頼み。ようやく1988(昭和63)年に営団(現・東京メトロ有楽町線が新木場まで延伸開業し、途中に月島駅と豊洲駅が開設されますが、再開発のエリアからは距離が離れていました。

ここで注目されたのが、新橋と豊洲、ふたつのルートで都心と臨海副都心を結ぶ新交通ゆりかもめです。ゆりかもめは第1期線として新橋~有明間、第2期線として有明~豊洲間の整備が進められましたが、豊洲の交通空白地帯は豊洲延伸で解決されることになっていました。そこで、ゆりかもめを晴海方面にさらに延長することで、晴海の交通空白地帯も同時に解消しようと考えたのです。

晴海から先はなぜ勝どきまでかというと、既に計画が動き始めていた都営大江戸線に接続すれば、その他の地域へのアクセスが可能になると考えられたからです(ちなみに勝どきから先の延伸も検討はされています)。

ところが、臨海副都心の開業を前にしてバブル経済が崩壊。開発計画は大きく後退し、まち開きを記念して開催される予定だった「世界都市博覧会」も1995(平成7)年に中止が決定されてしまいます。豊洲、晴海の再開発も見直しを余儀なくされました。

バブル崩壊を機に変わった街の役割

2000年代に入ると状況が大きく変化します。バブル崩壊後、地価が割安な水準まで下落したことと、建物の容積率の規制が緩和されたことで、中央区江東区の臨海部が都心近くの住宅地として注目されるようになり、タワーマンションが立ち並ぶようになったのです。1980年代以降、都心から郊外に出ていくばかりだった人の流れが反転し、都心回帰が始まりました。

臨海部で当初想定されていたのは、オフィスと商業、住居が一体化した職住近接の街であり、臨海部から都心への大規模な通勤は想定されていませんでした。ところが実際には臨海部から都心への通勤需要が高まり、付近を通過する大江戸線勝どき駅有楽町線豊洲駅に乗客が集中するようになりました。

大江戸線が全線開業した2000(平成12)年度、勝どき駅の利用者は1日約3万人でしたが、周辺地域の開発事業によって10年後の2010(平成22)年度には8万人を突破、駅は毎朝大混雑が発生するようになりました。都営地下鉄では、2011(平成23)年から勝どき駅のホーム新設、コンコース拡幅、出入口新設など大規模改良工事を進めており、2020年のオリンピック前にすべての工事が完了する予定です(豊洲駅も2008年から2013年に大規模改良工事を実施)。

人口増がゆりかもめ延伸の逆風に

しかし2018年度の利用者は10万人を超え、周辺の開発はさらに加速。2023年から晴海のオリンピック選手村跡地を転用した住宅の入居が始まることから、最新の調査では、中央区の人口は今後20年で30%以上増加すると予測されています。

本来であれば人口増は、鉄軌道整備を後押しする要素ですが、ゆりかもめ延伸計画においては、これが逆風になってしまいました。

現在、豊洲、晴海、勝どき地区では、新橋・虎ノ門方面に直通するBRT高速バス輸送システム)「東京BRT」の準備が進められており、オリンピック時に暫定開業、2022年度に本格開業する予定です。しかし、輸送量はピーク1時間で片道2000人程度と、地下鉄の10分の1以下の輸送力です。

あわせてゆりかもめを延伸して、少しでも混雑を緩和するという考え方もありますが、もはや新交通システムの輸送力では焼け石に水であり、勝どきや豊洲など乗換駅のさらなる混雑をもたらすことになりかねません。やがて臨海部にも地下鉄が必要だとの意見が主流になっていきました。それが東京~銀座~臨海部を結ぶ「中央区臨海部地下鉄構想」です。

結果的に、2000(平成12)年の運輸政策審議会答申18号で「2015年までに整備着手すべき路線」とされていたゆりかもめの勝どき延伸構想は、2016年の交通政策審議会答申の検討路線から除外され、事実上白紙になってしまったのです。

東京の臨海部を走るゆりかもめ(2014年1月、草町義和撮影)。