漫画家・吾妻ひでお10月13日に亡くなった。
2017年から食道がんとの闘病生活を送ってきた彼。失踪したりアル中になったりタバコふかせたりと、全く健康的じゃないギリギリな生活を送っていたので、むしろよくぞここまで生きていてくれたという状態だったんだろう。とはいえまだ69歳。あまりにも惜しい。彼の闘病に向けての応援出版企画もあったようだ。

メディアで報じられた記事タイトルを見ると、「『失踪日記』で知られる吾妻ひでお」と書かれているものが多くて、ちょっとびっくりした。
失踪日記』は数々の賞をとり、つい先日の10月4日イタリアの漫画賞であるGran Guinigi賞のRiscoperta di un’opera(再発見された作品)部門を受賞している。間違いなく一番有名な作品だろう。今年10月に入って電子書籍化されたばかりだ。

しかしかねてからの吾妻ひでおファンたちは「そっちなの!?」と驚いて、ツイートしていた。
日本の美少女文化の発端としての彼を追い、SF・不条理作家としての作品群に衝撃と影響を受けて育った人は少なくないからだ。

やけくそ・美少女・不条理・SF・破滅
吾妻ひでおはデビューの『ふたりと5人』などのギャグ漫画からスタートし、『スクラップ学園』『ななこSOS』『ときめきアリス』『チョコレートデリンジャー』などの美少女作品、『不条理日記』などのナンセンス・不条理作品、『海から来た機械』』などのSF方面作品と、作風の幅を広げた。
まだ「オタク」という語がなかったサブカルチャー界隈で、カルト的な人気を誇ってきた作家だ。

吾妻ひでおは少女漫画風のかわいらしい女の子にエロティシズムを混ぜ合わせる手法で、多数の作品を生み出した。ここから、今に至る萌え絵作品の元祖と言われる事が多い。
1979年、彼が参加したロリコン同人誌の始祖と言われる『シベール』(一部は『ワンダーAZUMA HIDEOランド』に収録されている)をきっかけに、ロリータ同人誌が続出した。
(初の試みで面白そうだったから、というノリだったようで、吾妻ひでおの作品はギャグ寄り。後日ロリコン趣味ではないのを、様々なインタビューで語っている(参考・吾妻ひでお×高橋葉介特集))。
またアダルト自販機本で、センチメンタリズム強めの美少女作品群(『陽射し』収録)を描いていたこともある。メジャー同人誌アダルト誌問わず、少女キャラ中心のサブカルチャーを盛り上げていた。

吾妻ひでおは『ななこSOS』『オリンポスのポロン』がアニメ化されているとはいえ、当時のコミックスの流通量を見ると、名前は聞いたことあるけど読んだことはない、くらいの人が多いマイナー界の有名作家だ。その一方でファンは熱心に買い漁り、彼が失踪している間に作品がどんどん神格化されていった。
いしかわじゅんとの比較で「リトルメジャー」のいしかわ、「ビッグ・マイナー」の吾妻、と評されたこともある。

吾妻ひでおが……。馬鹿野郎。

— いしかわじゅん (@ishikawajun) October 21, 2019


新聞社から連絡があった。吾妻ひでおが、13日に亡くなった。闘病しているのは知っていた。それを励ますための出版企画がいくつかあって、先日もひとつ了承したところだった。俺の1歳上だったから、まだ69歳。吾妻、長いつきあいだったな。やすらかに。

— いしかわじゅん (@ishikawajun) October 21, 2019


復帰してから『失踪日記』『失踪日記アル中病棟』などで、ノンフィクション作家として一気にメジャーになり、あらゆる書店で大々的に取り上げられるようになった。
アル中が生み出す残酷な現実を、フラットな視線で楽しんで描く彼の視線は、感傷的に偏っていないので塩梅がいい。これからも広く読まれるものになるはずだ。

もっとも、エロティシズム満載な不条理作品の魅力に光があたってほしい気は、ファンとしてはどうしてもある。
作中に出てくるネクラな奴らのような、ねちょねちょした空気を見てほしい。躁鬱感あふれるネジの飛んだ淀みの表現も、『失踪日記』と一緒に読んでほしい。フェティッシュな少女たちも見てほしい。ついでに陰鬱な気分になってほしい。
ただ、吾妻ひでお作品は現在、ほとんどが手できない。未収録作品も山ほどある。せめて読めるようにならないかと願うばかりだ。今こそ、電子書籍化を。

スクラップ学園

SF・ナンセンス・美少女で、ノリが比較的入りやすい、かつ吾妻ひでおの醍醐味が詰まっている『スクラップ学園』を紹介したい。
ヒロインはミャアちゃんこと猫山美亜。気が強く、こっそりタバコを吸うくらいには跳ねっ返り。でもみんなに愛される人当たりのいい子。
誰もが認めるかわいい女の子で、処女。高校2年生、身長155cm、体重43kg、胸は大きすぎず小さすぎず。一日に一回、SFのような事件に出くわす。
アニメ系のマニアの好みを、的確に突いたキャラ造形だ。

彼女の周りは、毎日がひっちゃかめっちゃかだ。
廊下で混浴を始めたり、クラスでブラックホールを呼び出すサバトを行ったり、成人向け雑誌自販機が自我を持ったり。
スラップスティックな日常には誰もツッコミを入れない。脈絡のないことが畳み掛けるように起こる。ハッピーとネガティブがごちゃまぜで描かれ、ゴールが見えない。

一巻でアル中になった先生が、屋根の上に無数に転がる生首の幻を見る回がある。かなりグロテスクな幻覚を、絵柄はカラッと描かれている。手足の震えや部屋の薄暗さが生々しい。
この回は後の『失踪日記2 アル中病棟』と合わせて読むと、かなり面白い。

同じく一巻、「ぬめぬめマーケット」に行く回は、同人誌即売会に流れる、独特なねっとりした空気感が楽しめる。
人形のぱんつを見る男、妹のおまるを売る男、ご飯粒を丸める男。
ミャアちゃんはふくらはぎから太ももにかけて書いた小説を見せて回る。みんなが寄ってたかって読み漁り、スカートをめくると「つづく」の文字。
これを見てパトスに目覚めた文学者は、町中でスカートをめくる。しかし少女の太ももには「つづく」の文字が。エロティシズムと創作文化が混じり合う様子を、しれっとまとめた回だ。

ネクラな楽しみ
『『スクラップ学園』が発売された80年代初頭は、マニアやうつうつとした人たち、こじらせた人たちを指して「ネクラ族」と言う単語が流行った時期だ。
『シベール』が出たことで「ロリコン」の語が一つのジャンルと化し、ロリコンをたしなんでいる俺たち、みたいな風潮もあった。
そんな中、ミャアちゃんの存在は、コアなファンの間で大いにウケた。

当時の吾妻ひでおは『ミャアちゃん官能写真集』という、今で言うキャラブックにあたる本を制作(一般流通するものでは『ミャアちゃん♡ワールド 吾妻ひでおイラスト集』『吾妻ひでおベストワークス3 スクラップ学園 上下巻』に収録されている)。
こちらは『スクラップ学園』からナンセンス分を抜いた、美少女成分のみで作られた同人誌で、瞬く間に売れた。ミャアちゃんのコスプレや全裸などが描かれており、中には荒木経惟の撮影シーンを模したパロディも。当時生まれたロリコンブームがよくわかる内容だ。

スクラップ学園』のミャアちゃんのように、不条理世界の中心に据えられつつも、性的目線で見られる女の子像は、今の美少女アニメの女の子描写に通じる部分が多数ある。
彼女を取り巻くどろどろした、でも直接手出しするようなことのない男たちの姿は、暗いながらも割と充実していて楽しそうだ。
ミミズやナメクジが這い回るなどじめっとした表現が多いものの、その感覚は暗い青春を送った人間にはほんのちょっと心地よい。

現代のオタク文化の興隆を、吾妻ひでお本人はどう思っていたかは、わからない。
ただ彼は間違いなく、オタクが「陰キャ」な楽しみと幸せを享受できるような、多様なアニメ・漫画表現の道筋を作った第一人者だ。
彼の作品を読んだことがない人は正直多いと思う。手に入らないからどうしようもない。
でもオタク文化を楽しんでいる人ならば、確実に吾妻ひでお作品の血は、身体のどこかに流れている。

(たまごまご)
『スクラップ学園』コミックス1巻~3巻、『ミャアちゃん♡ワールド 吾妻ひでおイラスト集』