鬱屈しままならない生活を送る若者にとって、言いたいことを言いたいように言えるヒップホップは大きな希望である。たとえインドが舞台でもそれは同じだということを、映画『ガリーボーイ』は教えてくれる。

貧乏学生ムラド、一念発起してMCガリーボーイの道へ!
主人公ムラドは、インドの大都市ムンバイに住む青年である。父親の仕事は雇われ運転手で、母と弟と祖母の家族たちと狭苦しいスラムの家に住んでいる。それでも貧乏暮らしから抜け出させてやろうという両親の気遣いで、ムラドは大学に通っていた。

しかし、ムラドはおとなしい大学生ではない。地元の悪友とつるんで車泥棒の片棒を担ぎ、医者の令嬢であるサフィナと長年付き合っている。貧乏暮らしと身分違いの恋愛、日常的に発生する犯罪に鬱屈とした思いを抱えるムラドを支えるのは、唯一の趣味であるヒップホップだった。ムラドは海外のヒップホップの熱心なリスナーであり、自分でもリリックを書きためていたのである。

ヒップホップへの憧れはありつつも、自分でラップをやるほどの度胸はなかったムラド。しかしある日、大学の構内で行われていたライブで、ステージでラップを披露する「MCシェール」という同年代のインド人ラッパーと出会う。彼のパフォーマンスに魅せられたムラドは、シェールがネットで告知していたサイファーに出かけてみることに。が、ムラドは現場でいきなりラップをすることになってしまい、自作のリリックを披露する。意外な出来の良さに驚いたシェールは、ムラドに改めてしっかりと録音することを薦める。

鬱屈とした冴えない生活、犯罪と隣り合わせの治安が悪い地元、このままでいいのかという焦りと、青春音楽映画の基本要素を忠実に守っている『ガリーボーイ』。タイトルのガリーボーイは「路地裏のガキ」みたいな意味であり、ムラドが本格的にラップをやるにあたってつけたMCとしての名義である。さしづめ、インドの『8マイル』みたいな映画である。

とはいえ、ハードな犯罪の描写や人死にはほとんどなし。非常に真っ当かつ爽やかな青春映画として楽しめる作りだ。自分一人でやってきたことだから、誰かの前でいきなり披露するのは恥ずかしい……というためらいや、それが先達に認められた達成感や嬉しさ。さらに自分の力量によって、クソみたいな日常以外の居場所を見つけられた高揚感。ラップで自分の価値を見つけられたことによってハイになっていくムラドと、取り残されたようになる恋人サフィナの関係。それらの要素が、キラキラした映像によって切り取られている。

『ガリーボーイ』はベタと言えばベタな展開が続く映画だが、逆に言えば安心して見ていられるということでもある。「こうなってくれたらいいな〜」という展開がちゃんとそうなってほしいタイミングで発生するので、ものすごく安定感がある。インドヒップホップといわれると一見イロモノに見えるかもしれない(そして全然イロモノでもなんでもないんだけど)が、ものすごく真っ当に「いい映画」として見られる作品である。

ハードすぎてクセが強い、インド特有の生きづらさ
上にも書いたようにインドヒップホップと言われると、日本の観客からは「そんなのあるの?」というリアクションになりそうだが、インドは実はけっこうヒップホップの層が厚いという。なんでそんなにヒップホップを志す若者が多いのだろう……と思っていたのだけど、『ガリーボーイ』を見て多少は謎が解けた。というのも、インドの貧乏な若者が置かれている状況は、まあまあキッツいのである。

前述のように、ムラドが暮らしているのは貧乏なスラムの長屋みたいなところである。そこに、ガイド役の地元のおっさんに連れられて海外からの観光客が自撮り棒片手にゾロゾロと入ってくるのである。で、スラムの住人はガイド役のおっさんから金をもらうかわりに、観光客を自宅に入れて自分たちの貧乏暮らしをアトラクションとして見物させるのだ。「ワ〜オ!」とか言いながらムラドたちの家の中をスマホで撮影しまくる観光客たち。ほとんどサファリパーク扱いである。めちゃくちゃと言えばめちゃくちゃだが、考えようによっては家で寝てるだけで小銭が稼げるのだ。これもスラムの重要な収入源である。

さらに、ムラドの家はイスラム系の家系である。なのでイスラム教の教義により、男性は複数人の妻を持つことができるのだ。というわけで、ある日ムラドが家に帰ると父親がいきなり自分とさほど年の変わらない若い女と結婚しており、母親が唐突に2人になっている……という状況が発生する。自分の父親がある日突然全然知らない若い女を連れてきて、「この人も今日からお前のお母さんだからな!」と言い出すわけで、まあこれはたまったものではないと思う。おれだったら耐えられそうにない。

そもそも、ムラドは自分と付き合っているサフィナと無事に結婚することができるかどうかすらわからない。インドではいまだに身分制度が根強く残り、貧乏な雇われ運転手の息子が金持ちの医者の娘と結婚するなど言語道断。サフィナはサフィナで、医者になりたいという夢があるのに親に見合いを強要され、知らない男と無理やり結婚させられそうになる。金持ちなら金持ちで、自分の希望がそのまま通るというわけでもないのだ。まことインドの若者は苦労が絶えないのである。

そんなままならない現実に対し、ムラドは希望を失いかけていた。どんだけ大学で勉強しようと蛙の子は蛙。結局なんの意味もないし、自分には価値がない……。しかしヒップホップと出会いラップで己を表現することで、ひょっとしたら自分にも価値があることを証明できるかもしれない。若者がラップと音楽にのめり込む動機として、これほど強いものもないだろう。『ガリーボーイ』は、インド的で癖が強い事情を描くことで、ムラドの動機をしっかりと描く。

だからこそ、ムラドが感情を爆発させるライブのシーンは非常にグッとくるものがある。髪型がびっちり横分けだろうと、着ているのがジャージやコーチジャケットではなく普通のワイシャツだろうと、ムラドのパフォーマンスは紛れもなくヒップホップである。『ガリーボーイ』は、「なぜインドヒップホップが成立するのか」という問いに対して、非常に強いアンサーを叩きつけた映画なのだ。
しげる

【作品データ】
「ガリーボーイ」公式サイト
監督 ゾーヤー・アクタル
出演 ランヴィール・シン アーリアー・バット シッダーント・チャトゥルヴェーディー カルキ・ケクランほか
10月18日よりロードショー

STORY
ムンバイのスラムに家族と暮らす、貧乏でヒップホップのファンのムラド。ある日大学の構内で行われたライブでMCシェールと名乗るラッパーと出会った彼は、自作のリリックを携えて彼のサイファーに押しかけ、思いがけずラップを披露することになる