The White House (Public Domain)

 2019年9月25日ニューヨークでの国連総会のサイドラインで、日米首脳は日米貿易協定の最終合意に達し、日米共同声明に署名した。当初、両国政府はここで協定文の署名を目指していたが、法的精査が間に合わず共同声明の署名にとどまったものの、日米貿易協定に大きく歩を進めた形だ。

 しかし、この日米貿易協定を始めとする日本とアメリカの通商交渉は、日本にとって非常に危険なものだ。『月刊日本 11月号』では、元公安調査庁の菅沼光弘氏が次のように語っている。

トランプの思惑通りに進む日米通商交渉
── 安倍総理トランプ大統領は、10月25日に開かれた首脳会談で、日米貿易協定締結で最終合意しました。

菅沼光弘氏(以下、菅沼):日米の貿易交渉は、トランプ大統領の思惑通りに進んでいます。トランプ大統領の最大の課題は、日米の貿易不均衡の是正です。そこでトランプ大統領は、通商拡大法232条に基づいて、自動車への追加関税をちらつかせてきました。確かに、今回の日米共同声明では「協定が誠実に履行されている間、協定及び共同声明の精神に反する行動を取らない」と書き込まれましたが、一時的な猶予が与えられたに過ぎません。

 また、アメリカは日本からの自動車輸出に対する数量制限を検討してきました。実際、北米自由貿易協定(NAFTA)に代わる新協定「米国・メキシコカナダ協定(USMCA)」や、新たに結ばれた米韓FTAでは、数量制限が導入されています。今回の合意では、数量制限も見送られましたが、今後どうなるかは予断を許しません。

 今回、トランプ大統領自動車への追加関税や数量制限を先送りし、協定締結を急いだ理由は、アメリカ中西部を中心とする農家、畜産業者へアピールするためです。再選を目指すトランプ大統領にとって、農家・畜産業者は重要な票田です。

 ところが、米中貿易戦争が激化し、アメリカによる追加関税に対抗して中国がアメリカから輸入する大豆やトウモロコシに対して25%の報復関税を発動したため、アメリカの農家の不満が高まりつつあります。

 さらに、昨年末アメリカを除く11カ国による環太平洋経済連携協定(TPP11)が発効し、オーストラリアだけではなく、カナダなどから日本への牛肉輸出が拡大しつつあります。これに危機感を抱いているのが、アメリカの畜産業界です。

 トランプ大統領にとっては、不満を高める農家・畜産業者に対して成果を示すことが先決だったということです。

 トランプ大統領は、安倍総理との首脳会談の冒頭、わざわざカーボーイハットをかぶったアメリカの農畜産団体の幹部らを同席させました。そして、首脳会談後の会見では「日本は70億ドル相当のアメリカの農産物について市場を開放する。これはアメリカの農家や牧場にとって大きな勝利だ」と成果をアピールしてみせたのです。

 アメリカの歴代大統領もまた、アメリカに有利になるような通商交渉をしてきましたが、トランプ大統領ほど巧みにその成果をアピールする人はいませんでした。今回も、トランプ大統領は農家、畜産業者に対して非常にわかりやすく成果を伝えることによって、支持獲得につなげました。

 農産物の関税引き下げにより、牛肉は現在の38・5%から段階的に9%まで引き下げられます。豚肉も1キロあたり482円の関税が、最終的には50円まで引き下げられます。

 幸い、最大7万トンのコメの無関税輸入枠設定は見送られました。安倍政権は聖域であるコメを守ったと成果を強調していますが、これはトランプ大統領がコメを重視していなかった結果に過ぎません。アメリカのコメの主産地は、ナンシー・ペロシ下院議長ら民主党の牙城であるカリフォルニア州だからです。
 農産物の市場開放によって、国内の農家・畜産業者は打撃を受けることになるでしょう。特に北海道などでは危機感が高まっています。

── わが国は、8月の日米首脳会談では、飼料用トウモロコシ250万トンの購入まで押し付けられました。

菅沼:アメリカで余ったトウモロコシを売りつけられたということです。トランプ大統領は「中国がトウモロコシ購入の約束を反故にした」と述べた上で、「安倍首相が全て買ってくれる」と述べました。

 この突然のトウモロコシ購入にJA全農なども戸惑っています。菅義偉官房長官は「害虫被害でトウモロコシの供給が不足する可能性がある」などと説明していますが、農水省は、害虫被害は通常の営農活動に支障はないと語っています。アメリカに押し付けられたのは間違いないでしょう。

◆日米貿易協定はWTO違反だ
── 今回の日米貿易協定は世界貿易機関WTO)違反だと指摘されています。

菅沼:WTOルールでは、二国間で貿易協定を結ぶ際には、貿易額の9割程度の関税撤廃が求められています。ところが、日本がアメリカに求めていた自動車関連の関税撤廃が先送りされたため、関税撤廃率は65%以下にとどまると見られているからです。

 アメリカ自動車関連の関税撤廃は、オバマ政権時代のTPP交渉で約束されていたことです。安倍総理は「ウィンウィンの合意」などと自賛していますが、実際はトランプ大統領に押し切られてしまったのです。

 安倍政権は、自動車関税については「さらなる交渉による撤廃」が書き込まれたので、「WTO違反ではない」と説明していますが、こうした抜け道は悪しき先例にしかなりません。

 日本は一方的アメリカに譲歩し、協定を結んだことによって、WTO違反という深刻な問題を抱え込むことになりました。これは、日本にとって大きなマイナスです。

 現在、米中貿易戦争が激化する中で、米中は報復関税の応酬を続けています。これは、明らかWTOの精神に反する行動です。ただ、アメリカと中国が貿易をしなくてもある程度生存できるのに対して、資源に乏しく、国内市場に限界のあるわが国は、貿易立国として生きていくしかありません。

 これまで、わが国は国際社会に向かって自由貿易の拡大を唱えてきました。今後も米中のWTO軽視を戒め、自由貿易の騎手として世界に手本を示し続けることを求められています。しかし、国際社会から「日本はWTO違反を犯した」と受け取られれば、日本はダブルスタンダードだと批判されても文句を言えません。

 その結果、東アジア地域包括的経済連携など、今後の通商交渉で、日本が関係国に対して高い関税撤廃率を求めることも難しくなります。

トランプ大統領自動車分野でも譲らない
── 日本はトランプ大統領に押し切られ続けています。

菅沼:通商問題と安全保障問題をリンクさせるのは、アメリカの伝統的手法でもありますが、交渉に長けたトランプ政権は日米安保条約の見直しをちらつかせたり、日本に有志連合への参加を促したりし、日本に様々な揺さぶりをかけています。

 そもそも、アメリカに安全保障面で依存している日本は、不利なアメリカとの二国間交渉を避け、多国間交渉によって自由貿易の拡大を目指してきました。TPPもその一つです。

 ところが結局、アメリカとの二国間交渉に引きずり込まれてしまったのです。当初、安倍政権は日米FTA(自由貿易協定)ではなく、「TAG」(物品貿易協定)だと言ってごまかしてきましたが、その実態はFTAにほかなりません。通商交渉におけるアメリカの要求を跳ね返すことは非常に難しいということです。

 しかも、安倍政権は5月の日米首脳会談で、アメリカに借りを作ってしまいました。当初、トランプ大統領は5月中の決着を目指していましたが、参院選を控えていた日本に配慮し交渉決着の先延ばしに応じていたのです。

 実際、彼は「日本と貿易交渉で大きな進展があった。農産品と牛肉は大変な影響がある。7月の選挙後、大きな数字を期待している」とツイートしていました。こうした中で、今回の首脳会談で安倍総理はツケを払うことになったのです。

 トランプ大統領の最大の目標は再選です。忘れてはならないのは、今回の交渉の焦点は農産物だったということです。今後、農畜産物以外の分野で厳しい交渉が待っています。実際、トランプ大統領は、今回の貿易協定を「第一段階」と位置付け、「かなり近い将来最終的な包括協定にしたい」と語っています。

 自動車産業が集中する「ラストベルト」と呼ばれる中西部は、前回の大統領選挙でも激戦となった地域であり、再選を目指すトランプ大統領は、この地域で何としても有権者の支持を獲得しなければなりません。

 そのために、今後自動車分野でトランプ大統領が強硬姿勢に出てくる可能性は十分にあります。アメリカでは、9月中旬から全米自動車労働組合ゼネラルモーターズの拠点などでストライキに突入し、すでに10億ドル以上の損失を与えていると伝えられています。日米の通商交渉はこれからが本番なのです。
(聞き手・構成 坪内隆彦)

【月刊日本】
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