出版業界やコンテンツ業界で働いている人間ではない一般の人々で、編集者の仕事がどのようなものなのか、具体的に思い描ける人はどれぐらいいるのだろうか。

 かつては編集者といえば「雑誌や書籍を作る人」だった。だが出版業界の構造が大きく変化し、紙の出版物が衰退する一方で、電子書籍WEBサイトスタンダードになっている現在、編集者の仕事もまた大きく変わらざるを得ない。特に、小説や漫画を個人単位で製作し、同人誌電子書籍といった形で頒布できる状況下において、編集者不要論”といった話題もSNS上を飛び交っている。

 こうした状況のなか、編集者としての“最前線”を歩んでいる人物として今回お話を伺ったのが、過去にも電ファミニコゲーマー誌上に何度かご登場をいただいている、三木一馬だ。

 三木氏は電撃文庫編集者として、灼眼のシャナソードアート・オンラインとある魔術の禁書目録俺の妹がこんなに可愛いわけがないといった、数多くの人気ライトノベルの編集を担当してきた。

(画像は電撃文庫・電撃の新文芸公式サイトより)

 そして三木氏は、2016年株式会社KADOKAWAを退社し、自ら代表を務める会社ストレートエッジを設立。現在は作家のエージェントという立場から、小説のみならず、アニメ・ゲームなども含めた、さまざまなメディアミックスに挑んでいる。

 また三木氏にお話を伺う聞き手として、株式会社KADOKAWA相談役の佐藤辰男氏にご登場いただいた。かつては『月刊コンプティーク編集長として編集の現場で活躍した佐藤氏だが、三木氏が株式会社メディアワークスに入社した時点では、同社の代表取締役社長を務めていた。その後も株式会社KADOKAWA・DWANGOの代表取締役社長や、カドカワ株式会社の代表取締役会長を歴任するなど、KADOKAWAグループの中核で経営の采配を振るっていた人物である。つまり今回の記事は言ってみれば、かつての社長が元社員に、退社した理由を聞く構図になっているわけだ。

 日本を代表する大手出版社を中核で支えた佐藤氏と、個人ベースエージェントとして作家をプロデュースする三木氏。この両氏の対話から、現代における編集者のあり方や、編集者の仕事が持っている可能性を考えてみたい。

取材/TAITAI
文/伊藤誠之介
編集/クリモトコウダイ
撮影/佐々木秀二


左からTAITAI三木一馬氏、佐藤辰男氏

アニメからゲームまで、いろんなことを自分でやれるのは“電撃”の血筋のおかげ

──今日のテーマとしては、編集者の話ができればと思っています。僕自身も、図らずもKADOKAWAグループ【※】から出る形になったのですが、編集者の仕事の最前線って今、どこにあるんだろうかという話ができればと。

KADOKAWA
出版・映像・ゲームWEBサービスなど、さまざまなメディアを扱う企業グループ1945年に設立された角川書店が源流となっているが、メディアファクトリー中経出版など他の出版社、大映(徳間書店より移管)や日本ヘラルド映画といった映画事業を吸収合併したほか、ドワンゴと経営統合したことにより、多数の事業をその傘下に収めている。ゲーム業界ではフロム・ソフトウェアスパイク・チュンソフトも、KADOKAWAグループの一角を占めている。

佐藤辰男氏(以下、佐藤氏):
 三木くんには、KADOKAWAみたいな大きなステージでもっと活躍して欲しかったと、辞めた時は思いましたよ。大きなステージには、ならではの醍醐味があるからね。三木くんはそこで活躍できたと思う。編集者というのは、出版社という仕組みの中で初めて機能する職業だと、僕は思っています。だから、どうして独立したんだろう? という疑問から入りたい。

 事前にもらったメモに、「出版業界が厳しい中で今、自立して独立している編集者が多いんじゃないか」という話があったけれども、現実的には2000年代になってから、編集者として独立する人は極めて少なくなっていると思うんだよね。

佐藤辰男氏

 逆に言うと、1980~1990年代の出版業界が非常に良かった時代には、自立してやっていく人が多かった。その中身というのはデザイン事務所だったり、編集プロダクションだったり、それから自分自身で出版社を興そうと志す人も多かった。そういう人を僕はたくさん見てきたので、自由にやっているな、羨ましいなと思っていた時代が、確かにあったんだよね。

──80~90年代の出版業界が良かった時代に独立する話と、あとは僕のイメージだともう1つ、1990年代後半から2000年代にかけて、コミックバンチ』【※】みたいに作家さんを引き連れて独立するパターンがあって。それで言うと、三木さんや佐渡島庸平【※】さんは、さらにその次のフェイズで、今が旬の編集者が独立して、出版以外のこともやるみたいな感じに捉えているんです。

※1 『コミックバンチ』
週刊少年ジャンプ』の元編集長である堀江信彦氏が、集英社を退社後に株式会社コアミックスを設立し、新潮社を発行元とする『週刊コミックバンチ』を2001年に創刊。同誌には、『北斗の拳』の原哲夫氏や『シティーハンター』の北条司氏など、堀江氏が『ジャンプ』で担当編集者を務めていた漫画家が多数執筆していた。2010年に同誌が休刊した後、コアミックスは同年より『月刊コミックゼノン』の編集を行っている。

※2 佐渡島庸平
2002年講談社に入社し、週刊モーニング編集部で『バガボンド』『ドラゴン桜』『働きマン』『宇宙兄弟』などの編集を担当。2012年講談社を退社して、株式会社コルクを設立。作家のエージェントとして活動を行っている。

佐藤氏:
 今言った『コミックバンチ』も、大きな出版社の中で1人の編集者としてやっていた人が、自分で経営してみたくなったというパターンだから、それは僕の言う古いパターンの1つじゃないかと思うんだよね。

 さっき言ったように、かつての独立する人はデザイン事務所と編集プロダクション、それから自分で出版社をやりたい人だったけど。三木が今やっているのは、エージェントという仕事だよね?

三木一馬氏(以下、三木氏):
 はい、そうです。

佐藤氏:
 エージェントを選んだのは、作家をプロデュースするのに、取引先として出版社だけでなくゲーム会社やアニメ会社、IT系企業だとかを自分の力で取り込んで行きたいということかなと。三木の場合は、単に小説の編集者だけじゃなくて、アニメも含めたメディアミックスプロデュース全般に主体的に関わっていきたいんだろうと。それがきっと三木の動機じゃないかと、僕は想像しているんだけど。

三木氏:
 おっしゃる通りです。

 さっきの佐藤さんの話に出てきたように、全盛期の本が売れる時代であれば、独立しても仕事があるし、社員も雇えたんだと思うんです。今、自分で出版社を興すような人があまりいないのは、端的に言って稼げないからです。独立して事業計画書を書こうとしたときに、「よし、出版一本で行くか!」って、考える人は、かなり厳しいと思います。

佐藤氏:
 だよね(笑)

三木一馬

三木氏:
 独立して会社を興すということは、一見きらびやかに見えますけど、昔に比べると出版マーケットが小さくなっているので、みなさん出版社をつくらずに、個人で独立していますよね。作家のマネージメントをするだとか、エージェントになるとか、そういう個人事業主のようなもので独立しています。やっぱり独立というのはリスクがすごくあって、お金が稼げるかどうか分からないからだと思うんです。端から見ると羨ましいとか、編集者2.0だ」みたいな話になると思うんですけど、実情はそんなものじゃないですね。

 僕は39歳で独立させてもらったんですけど、辞める前はある程度役職もあるし、責任を持つ仕事もやっていました。ただ、ちょっと幼稚なことを言うと、自分が納得していない仕事をやって失敗した時に、夜、寝られなくなったりとか、すごくストレスを感じていたんですよ。

 本来、管理職は部下の失敗も含めて自身の業務範囲だと思うんですけど、部下に投げる仕事すらも自分で納得して投げたかったし、どの部下に投げるというのも納得して決めたかった。そういうふうに、全部を納得したうえで仕事をしたかったという、大変子どもっぽい理由で、独立しました。普通、世の中の人たちはどこかで折り合いをつけるんですよ。それで上手くやっていくのが社会だし、そうじゃないと組織が回らないと思うんですけど、僕は歳を取ったら、逆になじめなくなった。昔は逆に「なんでもやります!」というスタンスだったんですが……。

 30代の後半ぐらいからそういうのを感じ始めて、これから仕事人生残り20-30年ぐらいあるとして、新しいことは100も200もできないと思うんですよ。自分がこれからやる案件を選んでいかなきゃいけない時期になってきている。そこで納得できる仕事をしたいと思うと、組織にいるのが少し窮屈になって。勝つも負けるも、悲しい喜ぶも、損する得するも、全部自分の責任になったほうが納得できると思った時に、独立するというイメージが浮かんできたんです。

佐藤氏:
 僕なりに今の話を受けると、自分自身が管理職になって余計な仕事が増えたと。作家だけじゃなくて部下のことも考えなきゃいけないとか、あるいはその部下の評価をしなきゃいけないだとか、管理職としてのいろんな仕事が増えてきたと。

三木氏:
 たしかに管理職になって余計な仕事は増えましたが、相対的にはとても少なかったと思います。そこは当時の上司の方たちが、上手く放し飼いしてくれていました(笑)。ただそれでも、仕事の優先度をチョイスする時に、どうしても我慢できなくなったというか。

 あとは、作家さんも窮屈に感じているなと思うところがあったんですよね。昔は出版社が既得権益を持っているというか、再販制度という緩い免許制度的なものがあり、そこで本を出せるのがアドバンテージだった時代があったと思うんです。でも今は、誰でも個人手で本を出せますし、誰でもYouTubeに動画をアップしてメディアになれるという時代になった。にもかかわらず、出版社で本を出して売れないと、そのまま舞台から下りていく作家さんが、たくさんいるんですよ。

 その作家さんたちは、もっともがけたんじゃないか、もっと模索すれば自分の好きなことで飯が食えたんじゃないのかと思ったんです。自分が出版社の人間である場合は、給料を会社からもらうので、出版社の利益が第一です。作家さんの利益も当然考えますけど、どちらかを取らなければいけないという究極の選択をする時は、会社を取らないと自分がそこにいられなくなる。そのしがらみから解放されたら、より作家さんのために小回りが利くというか、機動性が出せるのではという考えを持ち始めたのも大きいですね。

──それは、もう少し具体的に言うと、どういったところですか?

三木氏:
 たとえば原作がアニメになったときの話ですが、これは僕の個人的な意見ですけど、原作元ってアニメプロデューサー製作委員会に、バリアを張られている印象があります。原作元を怒らせないようにとか、問題がないようにと、距離を置いたり。「そこは腹を割って話したほうが絶対に上手く行くじゃん」みたいなことがあってもそうできなかったりなどです。ただ、電撃【※】のやり方はものすごく相手の懐に入れたので、僕自身はそこまで違和感を覚えることはなかったのですが、他の周りの話を聞いているとそういうことが多かったですね。

 たとえば、アニメ化するその原作者自身がアニメの脚本を書いてみるという施策をやってみたいとか、パッケージの特典で小説を書き下ろしてもらうとか、なるべく原作者にコミットしてもらうやり方をためしたいと思うことがあります。

 でも出版社としては、作家さんに本を書いてもらうことが一番大事なので、そんなヒマがあるなら小説を書いてほしい、となりますよね。本としての戦略を第一優先に考えていたら、作家本位、コンテンツ本位の考え方に少しリソースを割けなかったり、そうした選択を取れなくなったりというケースが出てきて。そこで納得しにくい状況が続いたというのはありました。

※電撃
1992年に、当時角川書店子会社だった角川メディアオフィスの70人の社員が独立してメディアワークスを設立し、)『電撃王』などのゲーム雑誌や文庫レーベルの「電撃文庫」などを刊行開始した。その後2002年メディアワークス角川グループに復帰し、2008年には同じ角川グループアスキーと合併し、社名を株式会社アスキー・メディアワークスに変更。2013年には株式会社KADOKAWAと合併して同社のブランドカンパニーとなり、2015年には同社内のアスキー・メディアワークス事業局となった。2018年には事業局も廃止されたが、現在でも“電撃”は、KADOKAWAグループ内のゲームメディアや小説、コミックブランド名として使用されている。

佐藤氏:
 作家を最優先にして作品が売れるとか、あるいは作家を人気者に押し上げるための方策を考える時に、究極的にはアニメなんだけど、たとえばコミック化をするとかもあるじゃん。その時に電撃にもKADOKAWAにもコミックがあるから、できるだけ中のレーベルを使えよ、って話もあると思うんだけど。KADOKAWAメディア総合企業だから、メディアミックスをする時には全部自分たちの企業を使ったほうがいいに決まってるんだけど、でも三木は白泉社とやったりして【※】、そこの垣根を越えて自由にやってきたところがあるよね。そのへんはあんまり軋轢がなかったと思うんだけど。

※三木氏が電撃文庫で編集を担当した作品のうち、『しにがみのバラッド。』のコミカライズ白泉社の『LaLa』『LaLa DX』で連載された。同様の例として、『とある魔術の禁書目録』のコミカライズスクウェア・エニックスの『月刊少年ガンガン』で、『魔法科高校の劣等生』のコミカライズは同じくスクウェア・エニックスの『月刊Gファンタジー』で、それぞれ連載されている。

三木氏:
 なかったですね。なので、だから僕が今「窮屈だ」と話しているにも関わらず、メチャクチャ自由にやらせてもらっていたので(笑)「お前はこれでまだ“窮屈だ”って言うのか!」と、独立したときはみんなから思われたんじゃないかな……(汗)。

 でも、僕がこういうふうに、いろんなことを自分でやろうと考えるようになったのは、電撃の血筋のせいなんですよ。もちろんすごく感謝してるんですけど。

 僕が20代の頃の電撃には、ライツ部署もなかったし、グッズの部署もそこまで人員が多くもなかったんです。今はセクショナリズムで全部しっかりとあるんですが、つまり当時は何か本以外で別のことをやろうと思ったら、編集者が全部自分でやるんですよ。

佐藤氏:
 そうだね。メディアワークスは設立の経緯から、編集者になんでも自分でやるという気質を培ってきたところはあると思う。

三木氏:
 アニメ化プロデューサーと交渉したり、契約書をチェックしたり、も自分でやっていました。

だからいろんなプロジェクトが新しく始まるたびに、「あれ? 他に任せなくても全部、自分でできるな」と(笑)ゲームプロデューサー、できるできる。
 アニメプロデューサー、できるできるって。そういう意味で、独立のハードルが低かったというのはありますね(笑)。そのへんはすごく有り難かったなと思います。

佐藤氏:
 じゃあ、なんで辞めたんだよ(笑)