【元Jリーガーの南米“帰還”|前編】半年間の“浪人”を経てペルー2部ウニオン・ウアラルに入団

 昨年、Jリーグ柏レイソルプレーしていたMF澤昌克が、半年間の浪人期間を経て、南米のペルー2部ウニオン・ウアラルに8月に入団した。デビュー戦で2得点を決めるなど、1部昇格請負人としてピッチに立つ澤。36歳になったベテランは、なぜキャリア3度目となるペルーに渡ったのか。そして今、どんな環境でプレーしているのか。その背中を追った。

 太平洋に面したペルーの首都リマから、乾燥した砂漠地帯を車で北に走ること約2時間。澤が所属するウニオン・ウアラルは、日本から移民としてペルー渡った日本人の子孫である日系人が多く住む街ウアラルにあった。古びたスタジアムのピッチボコボコで、スタンドはわずか6段。砂ぼこりが風で舞い、シャワーは水しか出ず、タオルも自分で用意しなければならないような厳しい環境に、澤のホームグラウンドはあった。

「もう慣れました。以前もペルーの2部でプレーしていたこともありますし、せっかくペルーに戻ってきたのに、また家族の住むリマから離れるのは嫌だったんです」

 ペルー人の妻を持ち、二児の父でもある澤はリマに自宅を構えており、昨年は1年間、単身赴任の形で柏でプレー。「自分にとってホームはペルー。だからペルーに戻ってくる感覚なんです」と話す澤は、昨シーズン終了後、ペルーでのプレー先を求め、家族の待つリマに三たび降り立った。

 希望していたのは家族の住むリマを本拠地とするチーム。自ら売り込み、古巣のデポルティボ・ムニシパルから獲得の打診があったが、資金難のチームから、結局正式オファーが届くことはなかった。その後、移籍市場が閉まる直前にナスカにある2部チームからもオファーは届いたが、リマから練習に通える距離ではなかった。家族のもとを離れたくなかった澤は熟考の末、半年間の浪人を決めた。

「去年は(茨城県守谷市の)実家から柏に通っていたので、再び親と一緒に住めたことは良かった。でも、せっかくペルーに戻ったのに、また家族と離ればなれになってしまうのはどうかなと思ったんです。家族や親とも相談し、子どもたちとリマで一緒に暮らすことを優先しようと思いました」

「本当にニートのような生活」をしていた澤に届いた元同僚からのオファー

平日は子どもたちを学校に送った後、ジムで体を動かしたり、地元の友人らとのフットサルや草サッカーに参加。週末は日系ペルー人のアマチュアチームに混じって試合に出場し、実戦感覚を維持しようと努めた。先の見えない生活だったが、まだ選手としてやれる自信もあり、心が折れることはなかった。

「本当にニートのような生活でした。でも妻も働いていて収入はあったし、僕の考えにも理解を示してくれた。半年間は長かったですけど、家族との時間も持つことができましたし、この年になっても好きなサッカーをやらせてもらっていることには感謝をしています」

 そんな澤のもとに新たなオファーが届いたのは8月。かつてのチームメートがヘッドコーチを務める、2部のウニオン・ウアラルからだった。ウアラルはリマ在住の選手がほとんどを占めることから、平日はリマ市内の他クラブのユースの練習場を借りてトレーニングをしており、試合前日だけ地元ウアラルで練習を行うというスタイルは、澤にとっても好都合だった。

「マサ、お前は今何してるんだ? 体は動かしているか? 良かったらウチに来ないか?」

 コンディションを保っていた澤は、迷うことなくウアラル入りを決める。3度目となるペルーでのプロ生活だった。

 澤は中央学院高を卒業後、仙台大に進学。だが、大学を休学し、2001年に18歳でアルゼンチンに渡った。リーベル・プレートの下部組織で4年間プレーした後、05年にペルーの強豪スポルティング・クリスタルに入団。その翌06年、同じ国内のコロネル・ボロネーシに移籍し、頭角を現した。コパ・スダメリカーナのコロコロ戦(チリ)で日本人初ゴールを決め、リーグ戦でも11得点。07年にはデポルティボ・ムニシパルで10得点を決め、リーグ最優秀外国人選手賞を受賞した。

 ペルー代表入りも当時の監督から直々に打診を受けた。08年には当時強豪だったシエンシアーノに移籍。コパ・リベルタドーレスでは予選のモンテビデオ・ワンダラーズ戦(ウルグアイ)でゴールを決め、本戦にも出場。リーグ戦での活躍が認められ、柏と鹿島アントラーズが獲得に乗り出すなかで柏と契約し、逆輸入の形で来日すると、13年までの5年半、日本でプレーした。その後、14年にペルーに戻り、当時2部だったデポルティボ・ムニシパルに復帰。12得点を挙げ、チームの1部昇格に貢献すると、17年までプレー。18年は再び柏に戻ったが、怪我で試合出場は叶わなかった。そして、半年間の浪人期間を経て、再びペルーピッチに立った。

再びプロとしてピッチに立てる喜び、豊富な運動量はいまだ健在

「リマの自宅から通えるなら、給料は正直いくらでも良かったんです」

 2部となれば助っ人といえど、当然高いサラリーは望めない。だが、そんなことよりも、環境は悪くとも再びプロとしてピッチに立てることが嬉しかった。

 ペルー2部は12チームあり、優勝チームは1部に自動昇格。2位から7位のチームはプレーオフを行い、その上位2チームはペルー杯の2、3位チーム(優勝チームは1部に自動昇格)と再びプレーオフを行って、そのなかの上位2チームが1部リーグに昇格できるというシステムだ。チームは現在、プレーオフ進出圏内の6位に位置しており、14年にデポルティボ・ムニシパルを2部から1部に昇格させている澤に課された使命は当然、その経験を生かし、チームを1部へと昇格させることだ。

 ポジションは4-3-3の左右のFW。積極的にシュートを打ちにいくストライカーとしての本能はもちろん、90分走り回る豊富な運動量、そして献身的な守備もまだまだ健在だ。

 チームには24歳以下の若い選手が多い。というのも、ペルーには若手に実戦経験を積ませ、育てるために、20歳以下の選手を1部では各チーム年間計4000分、1部よりも試合数が少ない2部でも年間計2000分以上出場させなければならず、さらにピッチ上には常に24歳以下の選手が4人以上いなければならないというルールがあるからだ。それが守れないチームは勝ち点を剥奪される。そのため、チームは若手中心の編成にせざるを得ず、ウアラルでも1部の強豪チームから若手がレンタルされる形で多く所属している。

 だが、経験の少ない選手が多いため、逆に澤のようなベテラン選手が重宝されるのだという。若手の給料は安く、チーム内で車を所有している選手は10人未満。多くの若手選手はバスやタクシーで練習に通っており、面倒見のいい澤は練習後、数人の選手を車に乗せ、それぞれの家に送り届けてから自宅に帰るのが日課だ。

現役時代に対戦経験のある指揮官 「マサのようなベテラン選手が欲しかった」

 43歳のホルヘ・エスペホ監督は澤について、「彼とは現役時代に何度も対戦していて特徴も分かっていたし、マサのようなタイプのベテラン選手が欲しかった。日系人が多く住む街のチームだから日本人のマサを獲った訳ではない。彼は2部でもプレーしたことがある選手だったし、1部への昇格争いも経験している。90分間動き続けることができるし、ゴールも決められる。献身的な動きもできる。これからリーグが終盤戦に入っていくなかで、若手が多いこのチームには彼のような存在は非常に大事。1部に昇格できるよう、チームを良い方向に導いていってほしい」と語る。

 ウアラルでのデビュー戦は9月8日だった。澤はFWとして先発で出場すると、挨拶代わりの2得点。同22日のロス・カイマネス戦では決勝点となるゴールを決め、4-1で勝利。チームを6試合ぶりの白星へ導くなど、ここまで4試合3得点と結果を残し、早くも地元ファンの心をガッチリとつかんでいる。

(後編へ続く)(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)

昨年柏に所属した澤昌克。今年8月からペルーのウニオン・ウアラルでプレー【写真提供:ウニオン・ウアラル】