解説:「下山事件」に酷似? 石田検事の事件捜査に影の手が伸びたのか 

 文藝春秋を中心舞台にした松本清張氏の活躍は、古代史から現代史に至るまでその量は膨大で、いくつもの山脈が連なっているようだ。その1つが、二・二六事件ハイライトとする「昭和史発掘」だろう。その中の「石田検事の怪死」も、いくつかの真犯人説を提示しており、読み物として興味深い。そもそも、これが「事件」とされるのは、変死した石田基・東京地方裁判所検事局次席検事が、大正時代最後の年となったこの1926年、3つの重大事件のうちの2つを担当していたからだった。ほかの1つは、この「35大事件」で既に取り上げた「朴烈・文子大逆事件と怪写真事件」。石田検事が担当していた2つは、「35大事件」の「田中義一大将の切腹」本編で詳しく取り上げた陸軍機密費事件と大阪・松島遊郭疑獄だ。

 陸軍機密費事件は、若槻礼次郎・憲政会内閣の下、政権奪取を狙う田中義一政友会総裁(男爵、元陸軍大将、のち首相)の死命を制するような事件だった。年が明けて間もない1926年1月14日、東京の金融ブローカーが2年前、300万円の調達を仲介したのに、報酬をもらっていないとして田中総裁を提訴。東京朝日が翌15日付朝刊で「疑問の三百萬円 見苦しい政界の裏面」と大々的に報道してスタートした。記事の中で田中総裁は「根も葉もない馬鹿げた話」としたが、国会で与党憲政会の中野正剛衆院議員が、告発者の元陸軍大臣官房二等主計三瓶俊治の「摘発書」を公表。「突如衆議院で発(あば)かれた 長州軍閥の醜状」(3月5日付朝日夕刊見出し)に、激しく追及する憲政会と、中野議員の処分を求める政友会の間で国会は連日大混乱。新聞の見出しを見ても、「政友報復の意気物すごく 雨か風かけふの衆議院」「深更四たび開会 たちまち乱闘」「重要議事をよそに 酒宴に耽るとは何事」「議場連日の醜態に 粕谷議長嫌気がさす」など、政界ニュースとは思えないすさまじさだった。

政史上初めて…内務大臣だった若槻首相を証人尋問

 松島遊郭疑獄は逆に当時の若槻憲政会内閣を揺るがす事件だった。1月に政治浪人が「松島遊郭移転に関する政府の盲動と憲・本、研三角関係」という怪文書を配布。それを3月1日付東京朝日が「松島遊郭にからむ奇怪文書の内容」「政界の大うず巻」「各政党員は全部関係」などと大きく報道。以後続くスキャンダルとなった。憲政会の重鎮議員らが収監、起訴され、11月7日には、上京した大阪地方裁判所検事局検事が首相官邸で、移転運動が最も盛んだった時に内務大臣だった若槻首相を証人尋問。憲政史上初めてで、前代未聞の事態となった。しかし結局、土地取り引き業者が有罪となったものの、若槻首相は不問とされ、議員も無罪となった。

 石田検事が変死した後の1926年12月27日、東京地裁検事局は陸軍機密費事件で田中総裁らの不起訴処分を決定。閣議でも報告された。結局、2つの事件とも、真相が明らかにならないまま幕を閉じた。28日付朝日朝刊は「石田検事の死亡もあって(結論が)延び延びになっていたが」「結局、証拠不十分の理由にて不起訴となすに意見が一致した」と報じた。

二大政党制の崩壊

 こうしたスキャンダルによる混乱の背景を語るには、当時の政党制について考えてみる必要がある。近年の日本の政界も民主党が約3年間、自民党長期政権からの政権交代を実現。念願だった二大政党制の時代が来たように思わせた。しかし、その後、自民党が政権に復帰。民主党は分裂と統合を繰り返し、二大政党制を崩壊させてしまった。そして、いまから九十数年前も、二大政党制を目指して一時はそれを実現しながら、やはり成功とはいえない展開をたどった。「現時点で見直してみるべき政党政治の局面は過去のどの時点であろうか。筆者はそれを大正末期から昭和初頭の政党内閣期であると考えている」と筒井清忠「昭和戦前期の政党政治」は述べている。確かに、当時の政治と社会の動きを見ていくと、メディアの在り方も含めて、最近の状況とよく似ていると感じる。

 戦前の二大政党のうち、立憲政友会が創設されたのは1900年。創設者は元首相の伊藤博文だった。「伊藤は創設の趣意書で、政党に対する国家の優位を確認している」「伊藤は、政友会の独裁的な指導者の地位を確立する。政友会はいわば反政党的な政党として出発した」と井上寿一「政友会と民政党」は述べる。しかし、その後、「平民宰相」原敬が総裁となって党の性格は変貌する。

 一方1924年、政友会、革新倶楽部と「護憲三派」の加藤高明内閣を発足させた憲政会は、政界流動化の中、政友会から分かれた政友本党と合流して1927年立憲民政党を成立させる。翌28年の第1回普通選挙を推進。普選に抵抗した政友会を批判して路線を確立する。結局、戦前の政党内閣が続いたのは約8年間。そのうち、厳密に政友会、民政党の二大政党制が実現したのは約5年間だった。その後、満州事変が勃発。1932年、元海軍大将の斎藤実首相の挙国一致内閣が発足して戦前の政党政治は幕を下ろす。

政策論争よりもスキャンダルをめぐる攻防

 そうした足どりの中で目立つのは、政党政治を求める声とは懸け離れた、政党の対立による混乱と不安定だ。「政友会と民政党」は「政権は二大政党のどちらか一方に必ず回ってくるようになる。ここに二大政党制の病理現象が現れる。党利党略による足の引っ張り合いが始まる。反対党の失策は敵失となって、自党が政権政党になることを約束する」「国民は二大政党の党利党略にあきれる。政党不信が始まる」とそのメカニズムを説明する。このあたりも、政策論争よりスキャンダルをめぐる攻防がクローズアップされる最近の政治の動きと重なりそうだ。

 筒井清忠「戦前日本のポピュリズム」は、「ここでも大衆の興味を引きやすい話題のみが取り上げられて注視され、議会政治の地盤は掘り崩されていったのである」と指摘。「マスメディアが絶えず『政党政治の暗黒時代』といった見出しで『既成政党』を批判し、『新勢力』への期待ばかりを言いつのってきたという面によるところも大きい」と、現状と重ね合わせてメディアの姿勢を批判している。

「生命の危険に遭遇するかもしれないから、慎重に」

 さて、そうした政界の混乱と石田検事の死は関係があるのか。「田中義一大将の切腹」本編によれば、陸軍機密費事件については、「政友、憲政両党の政争と陸軍部内の長州閥、反長州閥の派閥闘争とが絡み合って表面化した産物でもある。検事局としても非常にやりにくい性質のものである。従って一身を賭してことに当る覚悟が必要でもあった」と指摘。「石田次席は検察が政争の道具に使われることを虞れて極秘のうちに取調べを進める方針を立て」、信頼している部下2人を補助に起用。「捜査に当っては秘密を厳守すること、『この事件は生命の危険に遭遇するかも知れないから慎重にことを運んで貰いたい』と注意した」と書いている。さらに「石田次席検事はこれを余人に任せず自ら陣頭に立って事件と取組んだのには、深く心に決するところがあったに違いない」とも。実際、石田検事は3月16~18日には、告発者・三瓶俊治を検事局に出頭させて3日間、自身で取調べた。「裁判所構内の一室に宿って 石田検事の手にて 深更を選んで取調べ」と3月19日付朝日朝刊は見出しを立てた。

恐ろしい形相で『どんな根拠があってそんなことを言うか』

 それが10月30日の朝、突如変死体となって現れた。東京朝日の報道を見ると、10月31日付夕刊は「けさ省電蒲田駅近く 石田次席検事変死す」の見出しで報道。「他殺に非ずと断定」という東京地裁の発表を伝えながらも、「轢かれたか、車中から 墜落したか死体に 疑問の数々」と、いくつかの疑問点を挙げている。同日付朝刊では医師の検視を根拠に「過失と判った 石田検事の死因」と一応結論づけたが、11月4日付朝刊では「残る疑問に 大車輪の検事局 石田検事の死因に なほ取調を継続す」の見出し。「いまだ種々疑問の点が残っているので」「今後も引き続き調査を続けることとなっている」と、なお疑いが解消されていないとの見方を示した。だが結局、11月7日付夕刊では1面ベタ(1段)で「石田検事は過失死」の見出しで「取調べを行った結果、過失死なることは6日確定した」とあっさり結論づけた。

「田中義一大将の切腹」本編によると、「当局は極力過失死を強調したに拘らず」、一部の新聞は他殺らしいと報道。「吉益(俊次)検事正は記者会見の際、他殺説を持出す者があると恐ろしい形相で『当局が百方手をつくして過失だと結論しているものを君たちはどんな根拠があってそんなことを言うか』と噛みつくような見幕で叱りつけた。こうして新聞記者達も耳を塞いで了った。かくて他殺説は全く表面から消え去ってしまった」と筆者は書く。

 さらに「石田検事怪死事件」本編には「下山総裁の怪死に対しても、これと同様の推測が行われた」と約4半世紀後の戦後の事件との類似点を挙げている。

松本清張が「昭和史発掘」で強く断言

 松本清張氏の「昭和史発掘」はさらに強く、「石田検事を殺したのは徹頭徹尾『政治』であった。この点、個人的にはなんの遺恨も受けていなかった下山国鉄総裁の場合とまったく同じである。私は、下山事件は、石田基検事の殺害方法が一つの教科書(テキスト)になっているのではないかとさえ思いたくなる」とまで断言。検事の捜査に影の手が伸びたように書いている。しかし、石田検事と下山総裁では事件における立場は全く違う。さらに、陸軍機密費と松島遊郭が政界に与える効果は逆の方向を示しているうえ、石田検事が、当時の政治や社会状況と合わせて2つの事件をどのようにみていたのかは分からない。それで殺害と断定するのはいささか飛躍ではないだろうか。繰り返すが、読み物としては興味深いが。約30年たっていた時点で今回の本編の筆者は「他殺の線を打出すことは木によって魚を求めるようなものではあるまいか」と書いた。さらにそれから60年余り。謎は歴史の闇に隠れてしまったといえそうだ。

本編「石田検事怪死事件」を読む

【参考文献】
松本清張「石田検事の怪死」=「昭和史発掘」
▽筒井清忠「昭和戦前期の政党政治」
▽井上寿一「政友会と民政党」
▽筒井清忠「戦前日本のポピュリズム

(小池 新/文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件)

松本清張氏 ©︎文藝春秋