ジャイアンツで約21年にわたる現役生活を終えた上原浩治ピッチングスタイルを築くために必要だったことを「自分を知ること」と言った。「自分を知ること」で、練習の取り組みも大きく変わるのだ、と。例えば「ブルペン」は――。
上原浩治の引退までを綴り大きな話題を呼ぶ『OVER 結果と向き合う勇気』より紹介する。

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「ブルペンエース」は誰でもなれる

「自分を知る」ことができると、野球のプレーについても視野がどんどん広がっていく。

 僕の場合、ピッチングには相手の感覚(バッターがどう感じるか)が大事だ、と思うようになり、それを逆算していろいろな練習をするようになっていった。

 ブルペンはそのひとつだ。

 ジャイアンツに入った1年目、僕は一度もブルペンに入らなかった。今思えば、ジャイアンツはよく許してくれたと思う。

 当時はそれでいいと思っていたけれど、2年目以降はブルペンはひとつの欠かせない練習になっていった。

 ただ、多くのピッチャーブルペンを見ていると、首を傾げたくなることもある。

 例えば、キャッチャーが真ん中に構えて、そこへ強いストレートを投げる。すると、キャッチャーはたいてい「ナイスボール!」と大きな声を出す。

 そこで思う、「それ、試合で投げたら打たれてないか?」

 もちろん、試合は相手あってのこと。打たれない可能性もあるが、基本的にど真ん中にストレートを投げて「ナイスボール」と言われる瞬間は、プロの試合には存在しない。150キロを超えていたって駄目だ。

 他にも、コースをずっと狙って投げ続ける練習。バッターがいない中で、そこに投げられるのは当たり前である。

ブルペンエースは誰でもなれる」は僕の持論で、そのレベルではプロでは通用しない。試合の、バッターが立った状態で、その球をどれだけ再現性高く投げられるかが、勝負の分かれ目なのだ。

 であるとすれば、バッターがいない状態でコースにビシビシ投げられるのは最低条件で、そのうえで、少なくともバッターボックスに人を立てるなど試合に近いシチュエーションで投げる練習をする必要があるだろう。

キャッチャーに何を要求しているのか

 もうひとつ上の段階に行くとすれば、ブルペンにおけるキャッチャーへの指示がある。逆を言えば、そのひとつを見れば、そのピッチャーがどれだけ「自分を知り」、最適な練習をしているかがわかる。

 どういうことかと言えば、ピッチャーにはそれぞれ自分の球の軌道の癖のようなものがあり、それを踏まえたうえで投げ込んでいるか、がわかるのである。

 僕がブルペンで、右バッターのアウトコースへ投げる練習をするとき、必ずキャッチャーに「左バッターのバッターボックスのライン上に構えてくれ」と指示をしていた。これは、構えたところどおりに投げると「ボール」である。

 当然、「ボールを投げる練習」をしているわけではない。

 僕の球は、右バッターのアウトコースに投げるとき、ややシュートをして真ん中へと変化する。だから、多くのピッチャーのようにストライクゾーンのギリギリを狙うと甘い球になってしまう。

 でも、バッターボックスのラインに向かって投げると、シュートしてちょうど、アウトコース低めに投げられるのだ。

 ブルペンに限らず、練習には意図があるはずだ。

「自分を知った」うえで行えているか。試合に役立つものなのか。細かい部分で、差がついていくことは覚えておいて欲しいと思う。

OVER 結果と向き合う勇気上原浩治・著より再構成)

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