大日本帝国300万人もの犠牲を出して米国に敗北した。米国との国力の差があまりに大きかったということが大きな要因であることは確かだった。

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 しかし、日本が最善の努力を尽くして戦い敗北したのかというと、大いに疑問が残るのも事実である。

 敗北は避けられなかったとしても、本当に300万人もの犠牲を出す必要があったのか。もう少し、ましな作戦ができなかったのか。

 そうした疑問に対する答えとなる事例がちょうど75年前の1944年10月に行われた台湾沖航空戦である。

 この戦いも、日本の大惨敗だった。終戦間近の1944年に至っては、すでに負けはいつも通りのことで、別に特筆すべきことではない。

 また、大本営は大惨敗にもかかわらず、大勝利であると発表をした。これもいつもの大本営発表である。戦争後半においては日常風景である。現在でも、大本営発表と言えば威勢のいい嘘八百を意味する。

 しかし、この台湾沖航空戦においては、戦果の脚色レベルが突出していた。大本営発表の大嘘に基づき次のフィリピン戦の作戦を行ってしまったため、フィリピン戦まで大惨敗に導いたのである。

すでに彼我の差は歴然

 1944年初夏、サイパン島を巡る戦いが行われていた。サイパン島に押し寄せる米軍の艦隊に対し日本海軍の空母艦隊と航空隊が返り討ちを目指した。

 しかし、米軍には全く歯が立たず、日本の空母艦隊は空母を3隻沈められたうえ、載せていた航空機のほとんどを撃ち落とされてしまった。また、マリアナ諸島に陣取っていた航空隊も有効に機能しないうちに壊滅。

 航空戦力がなくなった日本は、サイパン島に押し寄せる米軍を止める手段がなく、サイパン島も陥落。ここに「B-29」の基地を作った米軍は日本を焼け野原にすることになる。

 サイパンが陥落した時点で、日本軍の航空戦力はほぼなくなり、さらに日本本土も攻撃されることが明らかになった。

 現実的な発想で考えれば、米軍より戦力を整えるスピードの遅い日本が、すでに日本よりもはるかに強力になっていた米軍に勝てる可能性はなかった。

 しかし、米軍に勝つ具体的で現実的な戦略がないにもかかわらず、日本は戦争を継続した。

 この時点で戦争をやめていれば、日本空襲も原爆も沖縄戦もなかったわけだから、太平洋戦争の犠牲者の8割以上が助かったし、市民の犠牲はほぼゼロで済んだ。

 無駄な抵抗を続ける日本軍が、貧しい物量よりも乏しい頭で考えた作戦は、台風の時に米艦隊を撃滅するとかいう寝ぼけたものだった。

 台風の時は、米艦隊の航空母艦から飛行機が飛び立てないから勝てるとかいう話だったが、そんな時は日本の飛行機だって飛び立てないだろう。実際、今でも台風が来ると、現在の旅客機だって欠航するではないか。

 米軍すら機能しない台風の時、すでに訓練不足の素人集団と化していた日本軍がまともに戦闘できるわけがない

 なお、神風が吹くなどと馬鹿げたことと思いきや、台風で沈んだ米国の軍艦もあるので、実際に神風は吹いていた。

 しかし、13世紀のモンゴルの軍船と違い、近代的な米艦隊である。たかが台風で沈むのは小さな軍艦だけ。実際は神風より米軍の方が強いのだ。

 日本軍上層部は日本最高のエリート集団だったはずである。もう少しまともなことを考えられなかったのか。

 この神風が吹くことを前提にした作戦。台風が来ない時に米軍が来ればオシマイなのだが、実際そうなった。

 1944年10月、米国の航空母艦を連ねた艦隊は沖縄、台湾を空襲した。日本海軍はかき集めた飛行機で米軍を攻撃しようとした。

 この時、海軍だけでは飛行機が足りず、陸軍の航空隊に軍艦を魚雷で攻撃する訓練をして、戦力を集めた。

 しかし、ほとんどの飛行機がやられた戦いから半年も経っていない。数も1500機の米軍に対し400機程度しか集まらず、ほとんどのパイロットが訓練不足だった。

 期待の台風も来ない。ストレート1500機の米軍に400機の日本軍が突っ込んでいくことになった。もっとも台風が来ていてもあまり結果は変わらなかっただろう。

 参加した海軍のパイロットの証言に、「魚雷攻撃の訓練をしていないので、何をやったらいいか分からなかった」というのがある。米軍に対し、数で劣るだけでなく質でも劣っていたのだ。

 そんな、訓練不足のパイロットたちがやらされることになったのが夜間攻撃である。

 昼間は米軍機が飛び回っているので、日本の飛行機は撃ち落とされてしまう。米空母から戦闘機が活動しにくい夜間に米艦隊を攻撃しようという発想だった。

 しかし、日本軍パイロットは訓練不足である。昼間よりも高度なスキルが必要な夜間に任務を遂行できるかは冷静になって考えてみるべき話だった。

 10月12日日本軍は夜間攻撃に出発した。米軍はレーダー日本軍機をとらえ、対空砲火を打ち上げてくる。日本軍パイロットからは、米艦隊はよく見えない。照明弾を落としても、落とすパイロットが訓練不足なので敵が見えるように照らしてくれない。

 日本軍パイロットは、米軍の強力な対空砲火に追いまくられながら、必死でよく見えない敵に向けて魚雷を発射した。

 これは帰還したパイロットの話で、サイパンでの戦いと同じく、日本軍機はほとんど戻ってこなかった。3日間の戦いの後、日本軍の航空隊はほぼ全滅していた。

 損害は大きかった。しかし、大本営には航空母艦を11隻沈めたという報告がされた。本当であれば、米軍の攻撃用の戦力をほぼ倒したことになる。

 負け続けの日本軍。この知らせに大喜びした。

 しかし、最初からそんなに戦果が上がったのかという疑問が表明されていた。スキルが高かった戦争初期の日本軍パイロットでも、魚雷のスピードと敵の軍艦の進む距離を計算して命中するように魚雷を投下するのは難しかった。

 そのように難しいものを、台湾沖航空戦では敵がよく見えない夜間に行うのだ。しかも訓練不足のパイロットによる攻撃である。

 加えて、米国の軍艦は頑丈で、損害を抑え込む技術も年々進歩していた。

 米軍のレーダーと対空砲火の組み合わせは日本軍機を寄せ付けないレベルになっており、この頃には米艦隊は襲って来る日本軍機の大半を撃墜できるようになっていた。実際、台湾沖航空戦でも、戻って来ない日本軍機の方が多かった。

 日本軍がまだ強かった1942年ですら、なかなか米軍の航空母艦は沈められなかった。それが、こんなに戦力が開いてきた1944年にいきなり11隻も沈めたというのだ。

 冷静に考えれば、そんなわけがないだろうということになる。しかし、嘘の戦果は海軍から陸軍にも伝えられ、大戦果を上げたとの大本営発表もなされた。日本中、大喜びであった。

 もっとも、米軍はほとんど損害がなかったので、引き続き大空母艦隊は航行していた。ほどなく、日本海軍も嘘を言ってしまったことに気づく。

 日本軍パイロットたちからすれば、真っ暗で敵の対空砲火以外何も見えなかった。正直、何が何だかわからないなか、戦果を言うように強要されたので適当なことを言わざるを得なかった。

 本来であれば、その真偽を確かめなければならなかったが、真偽を確かめるどころか、上に報告が上がって行く過程で、さらに粉飾されていった。

 もともと敵が見えていたわけでもないのだから、攻撃などできているわけがない。冷静に考えれば分かりそうな話だが、日本軍では嘘でも戦果に飛びついてしまうような状態だったのだろう。

 嘘だと気がついた日本海軍は、陸軍に「嘘でした」と伝えることはなかった。すでに多くの軍艦が沈められ、さんざん負け、ほどなく敗北することは明らかである。

 すでに戦えば必ず負ける情けない存在なのだから、今さら格好つけても仕方ない。しかし、日本海軍はあろうことか恥の上塗りをした。

 実際、陸軍でも嘘に気がついた人はいて、大本営に報告されていたが、顧みられることはなかった。陸軍でも現実を直視するよりも、嘘でも気持ちのいい話に飛びつきたい人がいたのだろう。

 次の米軍の目標はフィリピンであると予想されていた。台湾沖航空戦の結果をもとに日本軍の作戦が変更された。

 米空母艦隊が全滅し、空から攻撃を受けないことを前提にフィリピンに攻めてくる米軍と戦う作戦を作った。最初は、ルソン島で戦う予定だったが、レイテ島で戦うことに変更した。

 しかし、米艦隊はほぼ無傷だったので、空母から発艦した米軍機がフィリピン上空を飛び回る。

 一方、日本軍機は台湾沖航空戦で散々撃ち落とされたので、日本の航空戦力はボロボロである。米軍機が次から次へと襲ってくるなか、兵士たちをレイテ島に輸送することになった。

 レイテ島での戦いは、レイテ島にたどり着くまでにすでに惨憺たることになっていた。レイテ島に着くまでに沈められてしまったり、兵士は上陸できても武器や食料が届かなかったりとガダルカナル島の戦いで見たような状況になった。

 そして、その後のレイテ島での戦いは悲惨な太平洋戦争の中でも特に悲惨なものとなり、上陸した日本軍4万のほとんどが死亡することになった。

 また、レイテ島に兵士を送ったルソン島も、ただでさえ劣勢なのに兵隊を抜かれますます不利になり、やはり悲惨な戦いとなる。

 フィリピンにいた日本陸軍の幹部は、台湾沖航空戦の戦果が嘘であることに気づいていたため、米軍が空から襲ってこないことを前提とした作戦の変更には反対だったが、嘘を信じた大本営には聞いてもらえなかった。

 当事者の胸の内を思うと、本当に悔しかっただろう。嘘に振り回されて、余計に悲惨な戦いを強いられたのだから。

 もちろん、彼らだけでなく、間違った作戦で戦わされたレイテ島の兵士も浮かばれない。日本軍の定番であるが、レイテ島でも死亡原因トップは餓死である。

 台湾沖航空戦の戦果が嘘であることは、冷静に考えれば分かったはずだった。自分に都合がいい話でも嘘であれば、どうしようもない。しかし、日本海軍はそれに飛びついてしまい、陸軍にも国民にもその嘘を流出させた。

 仮に、ここまでは仕方がなかったとしても、嘘と気がついてからも、日本軍の内部ですら正しい情報を共有しなかった。

 そして、陸軍も嘘という指摘を無視して作戦を立てて、フィリピンでの戦いの作戦を誤ることになった。

 結果として、台湾沖航空戦で勝利したという嘘をついたがために、台湾沖航空戦だけではなく、フィリピンでの戦いまで敗北させてしまったのだ。

 フィリピンでの戦いでは、日本軍40万人以上が死んだだけではなく、住民を巻き込んだ戦いになりフィリピン人にも大きな損害を与えた。

 この一連の戦いで勝てなかったのは仕方がなかったにしても、嘘を暴走させなければ死なずに済んだ人命は少なくなかった。

 これは物量の問題ではなく、これは人々の上に立ち、多くの人の運命に関わる判断をする地位にあった人間の責任感の問題である。

 確かに、戦争中の日本には、不利な状況で必死に知恵を絞り戦った人もいた。純粋な信念で戦った人もいた。

 しかし、知恵も絞らず純粋な信念もなく、無能を極めた人もおり、そういう人は残念ながら指導部に多かったように見える。

 敗戦の原因には物量もあったが、責任ある立場の人間の責任感の不足はそれ以上に戦争に影を落としていた。

 そもそも、そうした地位にあった人間が、あるべき責任感を持って判断を下していれば無謀な戦争の開戦に至らなかったのではないか。

 置かれた状況を冷静に判断できない、自分にとって都合の良い嘘に飛びついてしまう、責任ある立場の人間の責任感の不足というは、現代においても珍しい話ではない。

 多くの人がこうしたことを身近に見たことがあるのではないか。75年前の台湾沖航空戦が教える教訓は多い。

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台湾沖航空戦で米艦隊を攻撃する日本軍機(出所:Naval History and Heritage Command)