撮影直前に余命宣告を受けながらも渾身の一作『花筐/HANAGATAMI』(17)を完成させた日本映画界のレジェンド・大林宣彦監督が、2年ぶりの最新作として代表作『転校生』(82)や『さびしんぼう』(85)の舞台にもなった故郷の広島県尾道市を舞台に描きだした『海辺の映画館 -キネマの玉手箱』がついに完成。来年の公開を予定している本作が、現在開催中の第32回東京国際映画祭で1日、ワールドプレミア上映された。

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現在もまだガンと“仲良く共存”しているという大林監督に、このたびインタビューをおこない、最新作に込めた想いや戦争を知らない若い世代に映画を通してこそ伝えていきたいメッセージ、さらに大林監督が考える自由な表現について話を聞いた。体調が芳しくないにもかかわらず、本来の取材時間を大幅に超過してその熱い想いを語ってくれた大林監督に深い敬意を表し、再構成するかたちであればこそ、文字数の許す限り、表現者が我が大切な自由を如何に尊んでいるかをたっぷりお届けしたい。

■ 「表現の自由というものは、正直であればいい」

「僕は脚本を1回しか書かない。というのも、2回同じことは書けないんです。飽きちゃうからね(笑)。しかし、現場で思いついたり誰かが言った言葉に触発されたりして『お、それで行こう』って言ったりすることは多い。それは多分、いまの時代の痛切な切迫感を皆さんが切実に感じていて、『これだ!』と感じてくれたものが僕の作品へ定着するからです。僕のやっている作り方、つまり表現の自由というものは、自分自身に一所懸命で嘘をつかず、正直であればいい。それができるのは、またそれが求められているのは現在では映画なんです。そういう意味で、皆さんが私の映画を今、受け入れてくださっていると思っています」。

 

■ 「僕たちに必要なのは、未来のこと」

90年代九州電力コマーシャルに出演しました。もちろん僕は原発推進論者でもないし、原発推進だと言ったことも一度もない。ましてや安全だとも信じていなかったから、安全宣言からも離れていたのです。でも、その4年後ぐらいに急に『大林は原発推進者である』という噂が実名入りで流れてしまったのです。僕が原発反対をはっきり表明し、誰もがそう認めている映画ですら、名のある批評家さんが『大林宣彦は原発推進派』だと書いていました。この誤解と評説は、個人的な恨みでもあるのかと思ってしまうぐらいで、風評というのは非常に恐ろしいものだと感じました。時代に溜まった澱のようなものがひとつの空気を作ると、それが世の中の菌に侵されて、人のことをデマで飛ばし切るということが生じてしまうのかもしれませんね。

最初に出演の話をもらった時には、広島生まれの人間に原発のコマーシャルの依頼なんてとんでもないと感情的に怒ったのですが、どうせならいっそ原発について学ぶ機会にしてみたいと思いました。それで原発の工場を見学に行きました。すると皆さん防護服を着ているんですよ。『なんで防護服を着ているのですか?』と聞いたら、『なにかあると危険ですから』と。なにかあると危険だったら危険に決まってるじゃないの。人間というのは必ず間違いを犯すものですから。やばいやばい

僕はいわゆる是非論はしないんです。いまや『核兵器ボタンを押す方があなたならば、押して殺されるのもあなたなんだよ』という時代です。僕は戦争を子ども時代に経験している。子どもだったから純粋に、大人が分かる、戦争のジャーナリズムというものに関わる部分を、真剣に見てきた。自分たちの未来にかかわることですからね。だから僕の従来からのフィロソフィーは『映画や芸術で戦争という過去の歴史を変えることはできないけれど、未来は変えることができるかもしれない』ということなのです。

そして『あなたはどっちなの?』『あなたならどうする?』という問いかけが、いまの僕の新たなテーマになっているのです。『じゃああんたは?』と逆に聞かれたら、『俺はあの嫌な戦争をもう一度人類が起こさないために映画を作りつづけているんだぞ』と答えます。僕たちに必要なのは未来のことですから、力無き庶民ひとりひとりがいまの切迫感を感じて、未来のためになにができるか考えてくれるというのはかく美しさと成ってとてもありがたいことです」

■ 「僕はなによりも若い人のために映画を作っている」

「この頃僕の映画にファンレターが多いのですが、一番多いのは幼稚園生か小学生の子どもからのファンレターなんです。どういう内容かというと、概ねこのようなことです。『大林のおじいちゃん、教えてください。戦争のことを。知れば知るほど恐ろしい、学べば学ぶほどゾッとするものだということは知っていますが、大人たちに聞いても戦争のことなんて大人に任せておけばいいんだから、ただ大人の言うことを聞いていればいいんだぞと言われますが、僕たちは知りたいんです。だって大人はもうじき死ぬんだし、死んだ後は世界がどうなろうと関係ない。でも僕たちにはこれから友情も生まれるし、好きな人もできる。それに僕たちは僕たちの子どもや孫、そこから先の人類の未来までを任されたんだから、それをやり遂げるために、大林のおじいちゃん、戦争のことを教えてください』という手紙が多いんです。僕はなによりも若い人のために映画を作っているわけですから、子どもたちが僕の映画を観る会というのをやってくれている大人たちがいる。それでこういう手紙が生まれるのですが、その上にこうして、それだけ世の中が切羽詰まっているということを、皆が身を以て感じているということでもあるわけです。

ひとつ例を挙げれば、手塚眞くんというとても素晴らしい8ミリの才能を持った作家がいますが、彼はごく初期に映画を作らなくなりました。その当時彼は『僕には大林さんのようなテーマがない。大林さんにはあの、間違いだらけだった太平洋戦争のことを知っているから、それをテーマに映画を作ることができたでしょうが、僕にはテーマがないのに、ただ好きだからと8ミリなんて撮っちゃいけないでしょう』と言っていたんです。そんな彼が、テーマのある劇映画を撮ったんです。それは彼の前作の『星くず兄弟の新たな伝説』という作品で、僕は新しい日本の未来の映画だと信じています。手塚くんはその時にこう言いました。『大林さん、僕にもテーマができました。過去の大人たちに騙され尽くしたあの太平洋戦争についての映画ではなく、これから僕たちが守り、優しくし、自分自身に嘘をつかず、一所懸命自分自身を表現しようとしている子どもたちのために映画を作りたい。10年かかるか20年かかるかわからないけど』と。黒澤明さんは僕には400年かかると仰ってましたけどね」

■ 「自由の尊さを表現するには、映画が求められる時代になった」

「そのクロさん(黒澤明監督)は、映画監督になった時にも個人で食べていけるからという理由で映画監督になったわけで、食えるから自分が好きな絵を好きなだけ描くという、ギャラをもらって自分は絵を描ければいいのだという立場の人でした。けれども組織の人間になると、勤め人ですから好きな絵ばかりを描いているわけにいかない。会社が損をせず、うまくいけば儲かるためにと会社に忖度をしながら映画を作らなければいけない。だからいまでこそ名作と言われる『用心棒』や『椿三十郎』も、封切り時に観た僕たちは『なんだ、黒澤までが金儲けのために映画作りやがって。こんなもの観たくもないや』とそっぽを向いたものです。

それでも紛れもない名作にしてしまうのはクロさんの才能ですね。それからちょっとして、自由ざんまいに映画を撮ってみたらどうなるかやってみようと、28日で撮ったのが『どですかでん』。後々僕が親しくなった時に『大林くん、君ならわかってくれるだろう』とクロさんが話してくれたんです。『俺はあの時東宝をクビになって、あとは自分の映画の予算を黒澤プロが手配することになった。金がなきゃ映画は作れないねえ』と仰っていて、その直後に撮ったのが『夢』。『君と同じアマチュアになったんだよ。アマチュアってのはいいねえ。自分に一所懸命、嘘をつかず正直に、自分の信じることだけを映画にすれば、自分の絵みたいな映画ができるねえ』とも仰っていました。絵みたいな、ということは個人作業ですね。つまり自由の尊さを表現するには、いまは映画が求められる時代になったんだと感じました。

その後のクロさんの映画を観ると、『夢』もしかり、長崎の原爆を扱った『八月の狂詩曲』に、日本人が失われたと世の中みんな信じていた先生に対する弟子たちのお付き合いの礼儀正しさを描いた『まあだだよ』と、どれも全部ポケットマネーの映画なんですよね。それまでは何年もかけて、時には5億くらいで作っていた映画も、最後の映画はせいぜい1億といったところでしょう。僕自身も『時をかける少女』と今度の映画とでは、少なくとも映画作りに使える予算は5分の1ぐらいですからね」。

 

■ 「映画が劇映画とドキュメンタリーだけだというのはもったいない」

「軍国少年だった僕が、なぜ生き延びたかってことを僕自身のために考えても、いまできることは過去の歴史を映画を通して子どもたちに自由に語りたいということ。それができるのが映画。あるいは芸術であると思っている。小津安二郎監督も、戦意高揚映画を撮るために派遣されたフィリピンでワンカットも撮らなかった。あの2011年3月11日の日に山田洋次さんが電話をくれまして、準備もできていた『東京家族』を1年間延ばしますと仰ったのです。『昨日改めて「東京物語」を観たら、すべてのカットに戦争が映っている。だから僕の作る「東京家族」にもすべてのカットに放射線が映っていなければ映画を作る意味がないですよね。それを無視すれば歴史に対する犯罪になってしまうから1年間延ばします』と。

山田さんと僕と高畑勲さんと、かつてなら松竹とアマチュアとアニメーションの監督が仲良し3人組になるなんてことは決してありえなかったでしょう。これがあり得たのは、時代的な切迫感を皆さんがお持ちになったからでしょうね。僕の作る映画は、もし皆さんがキャメラを持っていれば作れるし、メモだって映像になれば小説やエッセイだって書ける。むしろ映画が劇映画とドキュメンタリーだけだというのはもったいないと思っているので、僕は自分自身で“シネマゲルニカ”と名付けました。

ピカソの『ゲルニカ』はいまでこそ名作と言われていますが、発表された時にはピカソともあろう写実派の名人が、幼稚園の子どもが書いたような絵を描いたとみんなが馬鹿にしたわけです。でもいまになって見てみると、あの西ドイツスペインの小さな村で起こした戦争のために、殺されてしまった人たちのドラマがあり、小さな子どもがその絵を見て『このおばあちゃんはどうして怖そうな顔してるの?え、戦争でご主人が殺されちゃったの。そんな馬鹿な。戦争なんてあるはずがないよ』と、誰も覚えちゃいない歴史と未来を結ぶ役割を果たしてくれている。

そういう歴史があるなかでね、原発や沖縄の軍事基地といった問題にお国の都合があるというのはとても怖いことです。アメリカがいま日本に払ってるお金の何百分の一かの予算削減で沖縄は守れるはずなんです。考えてみれば、これから沖縄にアメリカの基地を置いといたってなんの意味もありはしない。だからトランプさんに僕は聞いてみたいと思っています。『さあ、あなたはどうする?』と」。

大林監督が手掛けた最新作『海辺の映画館 -キネマの玉手箱』は3人の若者が海辺にある映画館の閉館オールナイト上映を訪れ、スクリーンに投影される戦争映画の世界へとさまよいこむ姿を描いた約3時間の壮大なファンタジーで、2020年の劇場公開を予定している。

また同映画祭では前作『花筐/HANAGATAMI』をはじめ、“尾道三部作”のひとつ『さびしんぼう』、太平洋戦争下の尾道を舞台にした『野ゆき山ゆき海べゆき』(86)と山田太一の小説を映画化した『異人たちとの夏』(88)が上映される特集「映像の魔術師 大林宣彦」が組まれているほか、「特別招待作品」には大林監督とプロデューサーである恭子夫人の軌跡を辿ったドキュメンタリー作品「ノンフィクションW 大林宣彦&恭子の成城物語[完全版]〜夫婦で歩んだ60年の映画作り〜」も上映された。特集の各上映の際には大林監督らを招いたQ&Aが開催される予定となっている。

この貴重な機会に映画館の大スクリーンで“映像の魔術師”の生みだす幻想的で詩的な映像世界を堪能し、それと同時に大林監督の口から直接語られる強いメッセージを心に刻んでほしい。(Movie Walker・取材・文/久保田 和馬)

ガンと“仲良く共存”している大林宣彦監督が、映画に込めた熱い想いを語る