(廣末登・ノンフィクション作家)

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 前回、筆者は「究極の異界に読者の皆さんを、案内できる自信がある」と豪語し、女子刑務所という異界ツアーを買って出た。今回は、その続きであるが、前回の記事とはちょっと違う。

 前回ご紹介したのは、女子刑務所における模範囚の刑務所生活であった。今回は「満期上等! 喧嘩上等!」という姿勢を崩さなかった懲罰常習者、亜弓姐さんのお話しである。

参考記事:あなたの知らない「女子刑務所」という異界
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57854

 どの社会においても、たとえ、それが勧善懲悪行為であったとしても「出る杭は打たれる」のが通例だが、彼女は態度を改めない。大体、初入の時(最初の刑務所入り)の時に「初入に見えんわ」と先輩受刑者から言われるくらいであるから、亜弓姐さんの悪の貫禄が伺える。

 そのような亜弓姐さんだから、先生たち(刑務官)に可愛がられるはずもなく、小学校の悪ガキ同様に「問題児」のレッテルを貼られることとなる。以下では、亜弓姐さんの述懐をもとに、女子刑務所における問題児刑務所ライフを紹介する。

刑務所カーストの恐怖

 私はタッパ(身の丈)も大きく、髪もショートカットでしたから、男らしく見えていたようです。気持ちも男性的なところがありますから、刑務所女子特有のイジメや高齢者への配慮がない理不尽な振る舞いには、直ぐにカチンときてしまいます。

 たとえば、部屋(舎房内)で、いつも文句言われてイジメられているビビ子(いじめられっ子)を見ておられず、同房者に文句言っていました。だいたい、刑務所カースト(階級)の下に居る子は、付け込まれた挙句、他人の洗濯物を押し付けられたり、掃除をやらされたりします。一人がそうすると、他の者も尻馬に乗って押し付けます。

 洗濯は冬でも真水で手洗いですから、これは自分の分だけでも大変です。その子の手はアカギレだらけになっていました。見かねた私は「あんたら何様なん、何を偉そうにしてん。自分の汚れモノは自分で洗いや。そないなこと私の前でされたら目障りやわ」と、やんわりと嗜めていました。

 ほかにこんなこともありました。刑務所の中高齢化が進んでいますから、尿漏れのオバさんを、同房者がヨゴレ的に扱うのですね。ただでさえ刑務所入って惨めな思いをしているのです。自分がイジメられる立場やったら、情けなくて悲しくて堪ったものではないでしょう。たとえば、洗濯ものを、その人の分だけ一緒にしないとか、干す際は当番ではなく本人にさせる、あからさまに嫌悪の目を向けて差別します。「あんたら、なんしてんねん。私、そんなの見たらムッチャ気分わるいわ」言うて、改めさせたこともありました。

 あるいは、手が水虫(初めて見ました)の人が居たのですが、みな気持ち悪がり「あんた、食器触らんというて、伝染ったらかなわんわ」とか言って、イジメます。これも、「関係ないやろ、あんたがそないに言われたらどない思うんや。好きで水虫なったんとちゃうやろ」とヤマ返したこともありましたっけ。

「私、ファンなんです」

 こんなことばかりしていると、はじめは「こいつなんやのん、ベベ(新人)のくせして」と、反抗する人もいましたが、私の態度が変わらないからでしょうか、やがてそうしたことはなくなりました。

 閉口したのは、自分のロッカー開けたら、未使用のセッケンが「よければ使ってください」というメモと一緒に入っていたり、中学校の靴箱ではありませんが「私、亜弓さんのファンなんです」という内容の手紙や、プレゼントが入っていたりしたことです。これは、複雑な気持ちでしたが、嬉しかったです。

 食事の時も、おばばたちが、こっそり私の好きなものをくれます(本来は、不正配食として禁止されている行為)。古い受刑者から、「亜弓・・・あんた、本当に初めてか。どう見ても初入に見えんわ」と言われたものです。

女子刑務所の地位は、腕力と度胸で決まる

 面白かったのが、大人になっても中学時代と変わらないことです。私に不満が溜まっている同じ工場の女が、業界の姐さんにチンコロして、私を力で抑え込もうとしました。

 ある日、運動の時間に「ちょっと顔貸してんか」と、配下の手先が呼びにきました。運動場の片隅に行くと、取り巻きのなかに業界人らしいボス姐が居ます。私にメンチを切りながら「あんたか、新入りのくせに態度でかい女は」と、初手から喧嘩姿勢でイキってきます。私は、そいつの目をまともに見ながら「何なん、それがあんたに何の関係があるの」とシンプルに逆質問しますと、しばらく睨み合った末に、捨て台詞のようなものを残してボス姐は去っていきました。

 私も喧嘩の場数を踏んできた人間です。相手の目を見たら分かります。目が踊っている人や、オンドレ、スンドレ言いながら浪花節を語る者に大した人はいません。その姐さんもそれは分かったようです。

 その一件以来、その姐さんから煩わせられることはなかったと思います。もちろん、私は大人ですし、小者(コシャ)は相手にしませんから、卑怯にも業界人の姐に、私の制圧を依頼した者へ、報復するというようなことはしていません。

ピンチの刑務官でも助けるのが任侠道

 そのほかに、私の刑務所内での地位を決定的にした事件がありました。刑務作業中にオナベの受刑者(彼女は30代前半くらいで、タッパは小さいくせに、髪の毛を短くして、ガニ股で肩をゆすって歩き、男気取りでイキがっていました)が、50歳がらみの工場担当だった大人しいA担先生(刑務所内の工場にはAとBの二人の担当刑務官が常駐する)を、ボコボコにしていたのです。

 私は金網を作る班で、後方はミシン班でした。皆、そのオナベのどう猛さに呑まれて、トラブル敬遠とばかりに目を伏せています。「触らぬ神に祟りなし」「見て見ぬふり」「短気は損期、損期は満期」が刑務所のモットーであることは知っています。しかし、オナベは無抵抗なA担先生を一方的に殴っています。

 なにが原因か分かりませんが、モノには限度がありますから、私は立ち上がりました。ミシン班のクミちゃんも私を見て頷き、席を立ちました。「おい、あんた、いい加減に止めんかい」と私がオナベの肩に手を置きますと、振り向きざま「なんか、ワレやるんかい」と、こちらに矛先が向きましたから、私は彼女の両手を封じて床から持ち上げました。

 そこでやっとB担当の先生が非常ボタンを押し、他の先生が撮影用のビデオカメラを持って集まってきました。その間の数分間、私は、オナベの両手を封じてつるし上げていました。このオナベは、別に個人的な恨みがある相手ではなかったので、殴ったりはせず、ひたすら拘束していただけですが。

カワイイ女囚も時にはヤマ返します

 工場の中には、いくつかの班があります。それらは、担当台からみて複数の集団に分かれています。ある日、近くの役席の子(女性から見ても可愛い子で、シャバでは縦ロールの髪をなびかせ、白鳥麗子のような気品ある子でした)が、「私ね、隣の班にどうしても許せん奴がおるから、ヤマ返してきます」と言いおいて、挙手。担当に「トイレ行かしてください」と言いました。

 彼女はトイレ行く振りをして、こっそりと隣の班に近づきました。担当が気づく頃には「パコーン」という小気味よい音がしました。自分の履いていた靴を脱いで、相手の頭を叩いたのですね。

 早速、担当が私の席に来て「お前知ってたん違うか」と詰問します。靴で頭叩いた子が席を立った後に、私がそちらを見たというのです。「私も催したので、トイレのランプ確認しただけです(トイレ使用中はランプが点灯する)」と言いましたが、なかなか信用してくれません。終いには「うっさいな」と思わず口にしてしまいました。懲罰は私に何の効果もありません。担当もそれは知っていますから、強気なものでした。

善行も災いする刑務所の理不尽

 私の善行が災いした事件も記憶しています。工場で私の仲良しだったオナベ(担当を殴ったオナベとは別人)が、口の端のアカギレに悩んでおり「姐さん、これ一向に治らんのですよ。先生は薬もくれんし」とこぼしていました。医務官の巡回時にも、彼女は薬をくれるよう訴えていましたが、「なんや、そんくらい大丈夫や」と相手にされません(彼女は官に嫌われていたようです)。

 あまりに可哀そうだったので、私が貰っていた「フルコート軟膏」を、休憩時間にこっそり渡しました。これを後ろのオバア3人組のひとりに見られてチンコロされました。「この私をチンコロするか、誰か知らんがいい度胸してんな」と腹立ちましたが、結局、3人の内の誰がしたのか特定できませんでした。

 この事件の懲罰審査会では、官から「お前が使った薬を勝手に人にやるな。ましてやチューブの薬や、汚いだろうが」と嗜められましたが、「かわいそうだから助けただけやんか」としか返しませんでした。「汚い」と言われたことにはムカッとしましたが。

女子刑務所は老人ホーム

 女子刑務所というと、男性諸氏は妄想を膨らませるかもしれませんが、実態は老人ホームです。おしめしている女性は結構居ます。幅20センチ程の官支給の四角いおしめですから、腰の部分のゴムもありません。パンツは老いも若きもグンゼのパンツですから、おしめをすると『火垂るの墓』のセッちゃんみたいになります。

 あるときは、同室のオバさんが、正月に初オネショして、そのまま布団を巻いていたこともあります。「何か臭うねえ」と、同房の皆が言いだし、あちこち探しましたら、本人は、オネショ布団を隠ぺいして涼しい顔しています。

 ガヤガヤと皆で騒いでいたら担当刑務官が来ました。さらに部長までが顔を出しました。そこで私が「お前力持ちやろう、その布団を台車に乗っけて運べ」と言われました。それだけならいいのですが、正月は洗濯係が休みです。「ついでに物干しに干せ」と言われた時は嫌でした。

 中庭の物干しにオネショのシミがある布団を干していたら、いかにも私がらかしたようではありませんか。案の定、他の工場の人も中庭をのぞいていました。ニヤニヤしている人もいました。私が真っ赤になりながら干し終わると、担当からは有難うというひと言もありません。恥ずかしいやら、腹が立つやらで一日機嫌が悪かったことを覚えています。

孤独好きなら独居がおススメ

 刑務所生活の半分以上は、懲罰くらって孤独な独居暮らしでした。私は、その方が素晴らしいと思っていました。私にとって、独居房はスイートルームだったのです。なぜなら、煩わしいことに巻き込まれませんし、嫌な事を見なくて済みます。大嫌いなテレビの騒音もありません。面倒な洗濯すら他の人がしてくれます。誰にも煩わせられることなく自分の世界に入れますから、まったく素晴らしいひと時でした。

 懲罰房でもいろいろあります。隣の房から壁を叩いて合図してくる子もいました。食器を出し入れする口から、話ができるし、窓際で会話していましたね。

 私は、官から嫌われていたと思います。何かすると直ぐに懲罰です。ある懲罰の時には、食事のメニューがありません。隣の独居の子に「今晩の食事は何なん?」とか尋ねていました。これを若い官に見つかり、Tという官にチンコロされました。「おまえ、誰と話をしていたのか」と尋問されましたが、隣と会話していたとは言えません。「歌を歌ってたんや」と返しましたら、もう一度懲罰を喰らいました。いうなら「懲罰中の懲罰」でしたね。

 このTをはじめ、キャンキャンいう官は数人居ました。刑務所の塀の向こうに官舎がありましたから、イワしに行こうと思ったことも一度や二度ではありません。しかし、そうした彼女たちも、こちらが出所間近になると、気味が悪いくらい優しくなります。

「大人の大学」での学びなおしはコリゴリ

 独居生活は、壁と向かい合う修行僧のように単調な日々なのです。それでも、時間は過ぎてゆき、40歳になったとき、満期釈放または仮釈放準備の「引き込み」となり出所準備寮に移されました。普通はここでハローワークなどに連れて行かれますが、私の場合は、相変わらずの独居。どれだけ危険視されているのか、自分でも可笑しくなりました。

 私は、度々の刑務所暮らしで感じたことですが、刑務所はすべて独居にした方がいいと思います。受刑者を交流させたら、ロクなこと覚えません。余計に悪い知識やネットワークを覚えて出てきます。そういう意味でも、刑務所は「大人の大学」です。私は、もう学びなおしはコリゴリです。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  あなたの知らない「女子刑務所」という異界

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