占い師に惚れる人は多い――というのは、今回お話を伺った占い師の佐々木さんの言なのだが、実際のところはどうなのだろう。

佐々木さんは、決して自慢するつもりはなく、それなりにキャリアのある占いのプロならば誰しも経験があるのではないかというのだが。

私には占い師への思慕はとても危険なもののような気がする。なぜなら、私自身が「占いなんか信じない」と日頃はうそぶいておきながら、実は雑誌の星占いや神社の御神籤の結果にひそかに一喜一憂していることを思えば、占いが持つ暗示の力は、催眠術や宗教のそれと類似で、洗脳に近い状況をもたらすとしか思えないから。

占い師に惚れてしまったと思ったときは、いったん立ち止まって考えてみるべきだ。神秘な力に頼るあまり、依存心を恋だと錯覚していないか、と。

一方、惚れられた占い師の方も、一歩を踏み出す前に考慮すべきだ。客との適切な距離感を保つことで、後々のトラブルを防げるのではないか……。

いや、まったく、双方の保身のために、賢明にならなければいけないと、自戒を込めて思ってしまった。

そう、佐々木さんは、とある女性客に惚れられた。彼女の名前を仮にAさんとしておく。

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だいたい2年ぐらい前の夏のこと。

当時、佐々木さんの店に熱心に通う女性がいた。これがAさんで、彼女は次第に来店の頻度を高め、訪れる度に長居するようになった。

佐々木さんの占いの館は雑貨店を兼ねているだけではなく、片隅にカフェコーナーまで備えていて、従業員の女の子を雇っていたから、占いや買い物が済んだ後にお茶をしてのんびりすることも可能だ。

と言っても、2時間も3時間も居座る客は、Aさんの他にはいなかった。しかし幸いAさんは、客寄せに貢献しそうな上品な外見の持ち主だった。佐々木さんの仕事を邪魔したためしもない。

だから佐々木さんは彼女をいつも歓迎し、好きなだけ店にいさせた。

結果的に2人は、毎日のように長時間、同じ空間を共有することとなった。

Aさんの歳の頃は35、6歳。若くはないが、貰った名刺によれば名の知れた出版社に勤務しており、ファッションセンスにも立ち振る舞いにも知性が漂っていた。しかも容貌が整っているとあって、非の打ちようがない。

当初、佐々木さんは用心深く、顧客と恋愛関係に陥ることはプロとして厳に慎まなければいけないと肝に銘じていたのだが……独身でそのときはたまたま恋人がいなかったということが言い訳になるとは彼自身、考えていなかった……が、しかし。

夏の盛り、涼やかな衣装をまとったAさんは、ことのほか美しかったのだ。

また、その晩は熱帯夜で、陽が落ちても客足が伸びず、2人で会話する機会がいつもより多かった。

閉店の時刻となり、従業員の女性はさっさと帰り支度を始めた。一方、Aさんは立ち去りがたそうに佐々木さんの方へチラチラと視線を向けてくる。それを、秋波、と、解釈した佐々木さんを、いったい誰が責められるだろう。

「ご自宅まで車で送りましょうか?」

うっかり、そんな台詞が口をついて出てしまったことについては、恋の重力現象とでも呼ぶべきか。自然落下した彼に対して、Aさんは、しっとりと伏し目になって応えた。

「お言葉に甘えてもよろしいんですか。ご迷惑じゃありません?」

その声も表情も実に色っぽく、たちまち佐々木さんの頭の中にはピンクの霧が垂れこめた。本能に導かれ、彼はAさんに近づいて、抱き寄せんがために両手を伸ばした。

 

トスン!

 

突然、変な音が……。

「なんだ?」

「あっ、あれかしら?」

佐々木さんがAさんが指差す方を振り向くと、子熊を模ったぬいぐるみが床に落ちていた。 いわゆるテディベアだが、相当に年季が入っている。佐々木さんのこの店は懐古趣味のインテリアが特徴で、商品として取り扱う雑貨にもアンティークが多い。これも品物のひとつで、棚に飾ってあったのだ。

それが、床に落ちていた。

佐々木さんは少し薄気味悪く感じながらも、黙って元に戻した――彼に聞いたところでは、この程度の軽いポルターガイスト現象日常茶飯事だからいちいち気にしていられないとのこと。

Aさんも、さして気に留めたようすがなかった。

しかし、「じゃあ、行こうか」と佐々木さんが彼女を店の出入り口へと促したところ、今度はレコードプレーヤーが勝手に鳴りだした。

いかにアンティーク雑貨が付喪神だらけに違いなく、ちょっとした怪異には慣れているとしても、これには佐々木さんもギョッとさせられた。

慌てて止めに行く……と、照明がいきなり落ちた。

Aさんが小さく悲鳴を上げる。「停電かな?」と佐々木さんは平静を装ったが、出入口のそばにあるシーリングライトスイッチを手探りで押してみたら点いたので、ますます厭な感じがした。

「とにかく出ましょう」

佐々木さんは、スイッチのそばにいたAさんが誤って肩で押すか何かして消してしまったのだと思おうと努めながら、彼女と連れだって外に出た。

せっかくいい雰囲気になりかけたのに。でも、まだ、これからだ! と、鼓舞する気持ちで、駐車場で自分の車のドアを開錠しようとして、リモコンが効かないことに気がついた。

Aさんに苦笑いしてみせて、手動で車のドアを開けたが、結局、バッテリーがあがっていることが判明してJAFを呼んだのだった。

「いや、恥ずかしいなぁ。これは言い訳に聞こえると思いますが、ライトを消し忘れた覚えはないんですけどねぇ……。すみません。こんなことになっちゃって。どうします? タクシーを呼びましょうか?」

佐々木さんは意気消沈していた。こうまで邪魔が入っては、今夜はあきらめるしかないと思ったのだった。

だからAさんが「一緒に待ちます」と応えてくれたときは嬉しかった。

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JAFが引き揚げてから30分後、佐々木さんは多摩川沿いの道を車で走っていた。助手席にはAさんがいる。

佐々木さんは軽く動揺していた。出発前にトラブルが続発したせいばかりではない。

Aさんが、佐々木さんの店から車で片道40分もかかる郊外に住んでいることが明らかになったのだ。会社からは近い、だから通うのは負担ではなかった。こうAさんは述べたのだが、このところ毎晩、終電ギリギリに帰っていたことは確かで……。

彼は、初めてAさんのことを重たく感じはじめたのだった。

今の今まで深く考えたこともなかったけれど、もうちょっと軽い、大人のラブゲーム的な付き合いを期待していたのかもしれなかった。佐々木さんは、自然に言葉少なになり、気を紛らわすために音楽を掛けながら車を走らせた。

勝手なことを言うようだが、Aさんにも少し黙っていてほしかった。

けれどもAさんは車に乗せた途端、いつになく饒舌になり、とめどなく話しかけてきた。

それだけなら初めて2人きりになって緊張しているのだろうと思うだけだが、濃い色気を発散させだしたのだった。

「私は、もうそういうつもりだから」などと囁き、しなだれかかってくる。

「まさか真っ直ぐ帰すつもりじゃないですよね? 今日は凄く暑かったですよね。私、早くシャワーが浴びたくてたまらなくて……だから……ね?」

困惑と欲情が胸の裡でせめぎ合う。

そうこうするうち、なぜかBGMに雑音が混ざりはじめた。

――音楽に逃げ込むことも許されないのか!

佐々木さんが思わず苛立って乱暴にBGMを消した、ちょうどそのときAさんが言った。

「この辺に池があるんですよ。ちょっと見に行きません?」

気分転換にちょうどいいかもしれない。Aさんは直感に従うことにして、「へえ。いいね」と答え、彼女の指示通りに車を停めた。

そこは、多摩川沿いのワンドだった。川の本流に接続しているので、厳密にいえば池ではないが、あたかも池のような体を成した、天然のビオトープだ。

昼間なら、緑豊かな水辺の光景が広がり、釣客が糸を垂らしているのだろう。

しかしそろそろ零時も過ぎようかという深夜だ。

水面は真っ暗、水辺には年輩の一組の男女がひっそりと肩を並べて佇んでいるだけだった。

夫婦だろうか。2人とも、佐々木さんが子どもだった時分に見かけたような服装をしていた。つまり70年代風のファッションで、それでいてお洒落でやっている感じはしない。時代遅れなくたびれた印象で、痛々しかった。

2人して首をうなだれて池の面を見つめたまま、石像のようにじっとしている。

すぐそばにラブホテルが2軒並んで建っていた。あそこの客だろうか、と、なんとなく思っていると、

「そこは、どう?」とAさんが、2軒のうちの片方を指差しながら二の腕に胸を押し付けてきた。瑞々しい弾力に惹かれて、心の針が一気に欲望サイドに傾いた。

 

そのラブホテルに足を踏み入れると、黴臭さが鼻をついた。フロントの辺りだけかと思ったら、廊下に歩を進めても臭う。

「なんか臭くない?」と、佐々木さんはAさんに訊ねた。今なら払い戻しがきく。気になるなら隣のホテルに移ってもいいと思ったのだが、Aさんは「そう?」と何も気にしていないようすを見せた。

ただ、うきうきした表情で、腕を絡めてきただけだ。

佐々木さんは、そんなAさんを見て、こういうことになったのは間違いではなかったのだと考えたのだが。

 

チーン。

 

やや古い機種のエレベーターの音が廊下に鳴り響き、扉が開いた。と、その中に、佐々木さんたちに背中を向けて、年輩の男女が立っているではないか。見間違えようがない、特徴的なその服装。

「わっ!」

反射的に佐々木さんは叫んで、後ろに飛び退った。

さっき池のほとりで見た男女だった。……ありえないことだ。それにまた、こちらに尻を向け、壁の方を向いて立っているというのも、異様だ。

しかも、彼らはエレベーターから降りる兆しがなかった。

「どうしたの? 行きましょ?」

Aさんの明るい声で、佐々木さんは我に返った。パニックに陥りかけていたのだ。

えっ?

彼は目を剥いてAさんの顔を見つめた。Aさんはキョトンとしている。

「なあに? 早くぅ!」

と、彼女は彼の腕を掴んだ。

想定外に強い力でエレベーターに引き込まれると、逃げる間もなく扉が閉まった。すぐに上昇が始まる。

佐々木さんは、異常な男女の方を見ないようにして堪えた。

――Aさんの目には彼らの姿が映らないのだろうか? 普通は怖がると思うのだが、それとも、よほど激しく性欲に駆られているのだろうか。

実際、Aさんは驚くほど情熱的な態度を取った。エレベーターの中でも彼に手足を絡みつかせてきた。脚の付け根を太腿にこすりつけられて、彼はたじろいた。

……ふだんの淑女然とした態度からは想像がつかない豹変ぶりだ。

やがてエレベーターが停止して扉が開くと、佐々木さんは彼女に完全にリードされて、もつれあいながら廊下にまろびでた。

手足を絡め取られ、よろめきつつ部屋の前までくると、「貸して」と鍵を奪われた。

そして部屋のドアが開き……その瞬間、佐々木さんはギャッと悲鳴をあげたような気もするが、実際には驚きのあまり声も出せなかったのかもしれないと私に述べた。

とにかく彼は酷く驚愕した。

なぜなら、後ろを向いた男が部屋の玄関に立ち塞がっていたので。

太り気味で、黒いポロシャツの裾をチノクロスパンツのベルトに窮屈そうに突っ込んだ、猫背の背中が丸く、髪を刈り上げた男が。

今、借りたばかりの、誰もいないはずのラブホテルの部屋に。

それなのに……。

「いい部屋じゃない?」と、Aさんは、凍りつく佐々木さんを尻目に、とっとと部屋の中に入ってしまった。

男の身体を擦り抜けて。

Aさん!」

「なあに? あぁ、冷房きいてて気持ちいい! ……服、脱いじゃおうかなぁ」

Aさんは躍るような足取りでベッドの方へ向かい、男の肩越しに佐々木さんに熱い視線を投げ、ますます大胆に挑発しはじめた。

「どうしたの? 早く来て! 私、Mなんで、焦らされるとたまらなくなっちゃうのよ?」

「それどころじゃない! 逃げないと!」

「なんで?」

「いいから!」

佐々木さんはAさんを連れ戻すために、黒いポロシャツの男の横をすり抜けて、部屋に入った。

背後でドアが閉まる。その音が、死刑宣告の音かのように恐ろしく感じられ、思わず振り返った。

その結果、玄関の男の顔を見てしまった。平凡な造作で、ぼんやりと床を見つめているが、息をしているようではなかった。

微動だにしないのだ。まるで静止画のようだ。

「ねえ、こっちを見て」

Aさんの甘い声にハッと振り向く、と、今度は、早くも下着姿になったAさんの姿と、玄関からは死角になっていた浴室のようすがいっぺんに目に飛び込んできた。

浴室の壁がガラス張りになっており、バスタブから血塗れの手首がだらりと垂れさがっている。

バスタブは真っ赤な液体で満たされていた。青白い顔をした初老の男がその縁に後頭部を乗せて白目を剥いて死んでいた。

そしてAさんは……その体は……。

「こんな私で、ごめんなさい

彼女は、大小の古傷に全身を覆われていた。手首にある無数のリストカットの痕を見て、そう言えば彼女がいつも――今日も、ついさっきまで――長袖を着ていたことに佐々木さんは気がついた。

「醜い私を許して! 好きなようにしていいから! ね、お願い!」

「だからそんな場合じゃないって!」

「傷があるから嫌いになったの?」

そう言って涙ぐむのを見て、Aさんには玄関の男だけではなく浴室の惨状も見えていないのだと彼は悟った。

「そうじゃない! とにかく、行こう!」

力づくで服を着せて連れ出そうとすると、Aさんヒステリックに泣きじゃくった。しかし、かわいそうだと思う心の余裕はもはや無い。

どれも自分でつけたように見える、彼女の傷痕。

浴槽で死んでいる男。

黒いポロシャツの男も、まだ玄関に突っ立っている。

まだ正気でいられる方が不思議なくらいだった。

部屋からAさんを引きずり出してエレベーターに乗ろうとすると、そこにいた先客は、例の男女だ。……またしても壁を向いている。

佐々木さんは構わずエレベーターに乗り込み、1階のボタンを押した。

「なんでなの? 説明してよ!」とAさんが泣き喚いた。

「後でするから! ほら、着いた! 降りて!」

駐車場まで連れてくるとAさんはようやく大人しくなり、佐々木さんの車に自分から乗り込み、それから自宅に送るまで無言だった。

佐々木さんに、さっきのラブホテルで何があったのか、説明を求めることもなかった。

帰宅後、佐々木さんは高熱を発して、しばらく寝込んでしまったそうだ。

恐ろしい目に遭われましたね、と、私は彼をねぎらった。それから、Aさんとはその後どうなったのか、訊ねた。

すると佐々木さんは、「最近ようやっと来なくなりました」と私に答えた。

「翌日から、彼女は、毎日、僕の店の前に着物を着て立つようになったんですよ。それまで和装で来たことなどなかったのに、なぜか着物姿で、でも、ただボーッと佇んでいるだけで、前を通りすぎても黙ってるんです。ええ、僕からは話しかけませんでしたよ! 声を掛けたら何か恐いことが起きそうな気がして、無視してたら現れなくなったので、ホッとしているところです」

「毎日、ですか?」

はい。しかも何時間も。会社を辞めてしまったんでしょうね。平日の昼間もいましたから。もしかすると、生霊か、あれから自殺でもして幽霊になったのかもしれないとも思いましたが……調べなくていいですよ! 知りたくないので!」

 

このお話を伺ってから、私は件のラブホテルを確かめに行ってみた。

佐々木さんが語られたとおり、ラブホテルが2軒並んで建っており、すぐそばに多摩川のワンドがあった。

ここは通称「ラブホ池」と呼ばれているらしいが、想像していたよりもずっと良い場所だった。水面に陽光が躍り、鮒が跳ねていた。緑が豊かで、川のせせらぎも耳に心地いい。釣りが趣味なら、また訪れてみたいと思ったかもしれない。

佐々木さんとAさんが訪ねたラブホテルで過去に客が死亡した事件があったかどうかはわからなかった、ということにしておく。

Aさんの生死については、彼と約束したので、調べていない。(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【三四】)

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