『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソン"公金アート"をめぐるアメリカでの論争について語る。

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75日間の会期を終え閉幕した「あいちトリエンナーレ2019」。企画展「表現の不自由展・その後」の中止と再開は大きな話題となり、結果的に過去最高の入場者数を記録したものの、文化庁の補助金約7800万円は全額不交付となるなど、公金が投入される芸術祭のあり方についてさまざまな議論を残す形となりました。

"公金アート"をめぐる論争はアメリカでも長年続いており、中心にはNEA(全米芸術基金)という連邦政府の独立機関があります。

暗殺されたJ・F・ケネディ大統領の後を継いだ民主党ジョンソン政権が「偉大な社会(Great Society)」というリベラルな政策を掲げ、旧ソ連率いる共産圏に優越する形で国家の長期的な成長や文化育成を行なうために1965年に設立した組織です。

NEAの助成方針――どの美術館、どの作品に公金を投入するか――は常に議論の的でしたが、論争が激化したのは80年代後半。キリスト教右派を票田とする共和党のレーガン政権時代です。

アメリカの主要産業が日本の自動車や電化製品に押されるなどして斜陽化したこの時代、「アメリカが弱くなったのはフェミニスト同性愛者をのさばらせたからだ」というキリスト教右派の声が大きくなり、それが"自由な表現"への締めつけにもつながりました。

一部のアーティストや美術館はそうした空気に反発し、NEAの支援を受けながらも挑発的な作品を発表します。

例えば、アンドレ・セラーノという作家が小便で満たした容器の中にイエス・キリストの像を置いた『ピス・クライスト(Piss Christ)』という作品は、キリスト教右派の政治的な影響力の拡大に対する拒否感を露骨に表したものですし、ゲイを公表していた写真家ロバートメイプルソープの耽美的(たんびてき)な作品群には、同性愛者のセックスを彷彿とさせるものもありました。

当時の右派や一部の保守政治家は、これらが表現の自由の範疇(はんちゅう)を逸脱した"非道徳的"なものであるとして、NEAの支援に強く反発。そんなせめぎ合いのなか、レーガン政権下でNEAの予算はかなり削られました。

ところが、その予算を史上最大規模まで復活させたのは民主党政権ではなく、実はレーガン政権直後のブッシュ(父)政権でした。

ブッシュ大統領はいわば最後の"古き良き貴族的な共和党大統領"で、庶民の気持ちがわからないと批判された一方、上流階級ゆえに文化の大切さを理解し、キリスト教右派におもねるポピュリズムを嫌ったわけです。

しかし、その後もNEAの予算は政争の具とされ続け、次第にNEA自体が政治的に繊細な問題を扱う芸術作品に対する助成に慎重になっていきます。そして今、まさにキリスト教右派を票田とするトランプ大統領は、NEAそのものを段階的に廃止しようという動きを見せています。

このように"公金アート"はその存在自体が議論の的となりやすく、時代の風に左右されやすい部分があるといえます。「あいトリ」の補助金問題を受け、日本では今後しばらく文化庁やスポンサーの顔色をうかがう傾向が強くなるでしょう。

問題はその後です。本当にアートはそれでいいのか? 商業芸術だけが存在すればいいのか? 「表現の不自由展・その後」のその後をどうしたいかは、その議論にかかっています。

モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。日テレ系情報番組『スッキリ』の木曜コメンテーター。ほかに『報道ランナー』(関西テレビ)、『水曜日のニュース・ロバートソン』(BSスカパー!)などレギュラー多数。本連載を大幅に加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中!

「“公金アート”はその存在自体が議論の的となりやすく、時代の風に左右されやすい部分があるといえます」と語るモーリー氏