※2016年11月撮影

トップ画像は陸中松川駅で列車交換した時のものです。JR東日本で非電化路線と言えばやっぱりキハ100系ですよね。

陸中松川駅から2.0km、一ノ関気仙沼間では最も短い駅間で猊鼻渓駅。単式ホーム盛り土に乗っかっています。駅の右(東)側は山地。猊鼻渓の渓谷はこの山塊の中に生まれたものです。左には東山の市街が広がっています。

ホームの待合室と駅名標。この駅もポケモントレイン気仙沼号停車駅なので、ちょっと見難いですが駅名標にはピカチューが描かれています。1986年昭和61年)旧国鉄最後のダイヤ改正で開業。旧東山町の中心の東端に位置しています。

猊鼻渓駅を出て砂鉄川を渡ります。砂鉄川の右側(上流側)200〜300mに猊鼻渓の観光船着き場があります。右の山塊を2kmにわたって川の流れが削った50mの高さの岸壁が連なる渓谷です。明治以前は秘境とされていたので観光化したのは明治末年から大正時代にかけての様です。長く猊鼻渓が有名にならなかったのは住民が必死に隠していたからだと言われています。旧版時代は景勝地になると藩のエライさんや役人などが探勝(見物)に訪れ、その世話をする住民にとっては大きな負担になるからでした。

この後、大船渡線は大きく右にカーブして東に向きを変えます。「鍋鉉」を大まかに台形とした時の上辺の左側に当たる部分です。鉄橋の下は河川ではなくて道路です。

柴宿の手前では山塊を回り込む形で少し大きめのコブの様なカーブを描いて東に向かいます。駅予告票。

2.8kmで柴宿駅。駅の右(南)側の手前に柴宿の集落があります。人口は駅の周囲半径500mの円内に239世帯646人ですから多くはありませんが。(2010年国勢調査

駅名標1962年昭和37年)開業。鍋鉉線はここから鍋鉉(台形)の上辺を右(東)に摺沢に向かって進みます。

とは言え、山中をくねくねと走ってゆきます。時折集落が点在していますが、あまり多くの人が住んでいるエリアではありません。しかし、東北の4月初旬はまだまだ冬ですね。新緑の気配は微塵もありません。

砂鉄川を渡ります。数えたら三度目の渡河です。この後、砂鉄川は北上して大船渡線からは離れてゆきます。

夕方になってきました。気仙沼駅まで明るさが持つかなぁ。少しと心配になってきました。勾配標の数字がかすれていて読めませんが、たぶん13パーミルくらいの下りです。

4.5kmで摺沢駅。「鍋鉉」の元凶となった駅です。(笑)

では、【非電化路線に乗ろう01】大船渡線その6 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)