10月後半からの相次ぐ天災人災で、後回しになってしまったノーベル賞解説、今年の経済学賞を考えるうえで、実に「典型的」な発言がありました。

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「身の丈にあった受験」という、某国の文教閣僚による発言です。

 このようなことがあってはならないというのは、ステートメントとしては、つまり理念としてはよく分かります

 しかし、では「正しい理念」を押しつけるだけで、問題は解決するのでしょうか?

 私はここ22年、国立大学に教籍をもっていますが、試験とは筆記式のテストだけで、それ以外は便法の偽物だと思っています。

 しかし50万人の受験生に、2週間程度の採点期間で、公平に実施できる記述式試験などというものは原理的に困難です。

 なぜ困難か、モデルを立ててシミュレートすれば、理論的に確実に評価することができますから、考えのない拙速な導入は教育破壊の行為であると明言することになります。

 同様のことが「貧困撲滅」にも当てはまります。

 一部の人を貧困状態にとどめ置くのは良くない・・・。

 しかし、いまや日本を含む全世界が、一部の人ではなく市民の大半をその淵に押しやりかねない勢いです。

 さて、今年のノーベル経済学賞を「米国の3氏」と報道するメディアがありましたが、まさに笑止千万と言わねばなりません。

 アビジット・バナジーは1961年にコルカタで生まれたインド経済学者で、アジア出身のノーベル経済学賞受賞者は1998年アマルティア・セン以来2人目です。

 またエスター・デュフロ(1972-)は正真正銘のフランス人で、かつてはバナジーの指導学生であり、現在は夫人でもあります。

 2人はたまたまMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授を務めているのであって、第三世界の貧困を定量的に評価する彼らの仕事を「米国の経済学者」として紹介するのは、相当ネジの緩んだ報道機関と言わねばならないでしょう。

 第3の受賞者、たまたまですが私と同い年にあたるマイケル・クレーマー(1964-)だけが米国人と言えば米国人ですが、彼を特徴づけるのはむしろユダヤ人というルーツでしょう。

 ポーランドホロコースト難民の両親のもとで教育を受け、ハーバード大学で学びMITに勤務して、バナジーやデュフロたちのグループと共に仕事をし「開発経済における実験経済学的手法を確立した」ことで、今回のノーベル経済学賞を受賞しました。

これは、どういうことなのでしょう?

根拠に基づく貧困撲滅

 一つ個人的な経験を記したいと思います。

 2008年、私はルワンダ共和国大統領府の招聘により、6週間ほどルワンダに滞在してジェノサイド現場を多数視察しました。

 ジェノサイド事犯の裁判にも出席し、放送メディアを濫用して発生したあのような犯罪の再発を、ルワンダ国立大学、キガリ工科大学、ルワンダ国立放送局などとともに検討する仕事を手がけました。

 このおり、ルワンダ国立大学から名誉博士を受けた緒方貞子氏と同国閣僚たちとランチミーティングを持ったのも懐かしい思い出です。

 やや個人的なことになりますが、先日亡くなられた緒方さんは旧姓を中村さんと言い、私の母と小学校から今日の大学教養にあたる女子高等専門学校まで同級生であったので、ローカルな話で盛り上がりました。

 私の死んだ母もあの手の、ある種の理念が服を着て歩いているようなキリシタン婆でありましたので、変なところで正義感が強く、その影響というか被害によって私自身、今この連載のような原稿を書いている経緯があります。

 さて、ルワンダ共和国に滞在した6週間、ジェノサイド裁判などは飛び飛びに開廷しますので、隙間時間が非常に多かった。

 その間無為に過ごしてもつまりませんので、各地の中学高校を訪ねて理科と音楽を混ぜた授業をさせてもらいました。

 その折には、当時は青年海外協力隊員として現地校の先生として教えていた、現在は世界銀行の上級防災専門官である諏訪理君(http://www.worldbank.or.jp/Results/interview/makoto_suwa.html#.XcQHbm5uJjo)に、大変お世話になりました。

 諏訪君は元来、東京大学理学部惑星地球環境科学科出身の気候変動専門家で、渡米してプリンストン大学で地球科学のPhDを取得後、ルワンダに着任していたもので、世銀でも気候リスクに関わる専門家として活躍しているようです。

https://www.worldbank.org/ja/events/2019/04/03/drmhubtokyo-seminar-on-hydromet-projects-at-the-world-bank-opportunities-for-collaboration

 内戦中の大量殺戮、ジェノサイドからの復興に苦吟するルワンダからの報告は、リアルタイムで「日経ビジネスオンライン」に連載しましたが、およそ読まれずがっかりしたものです。

 しかし、同様の話題を全く現地と無関係なNHK-OBのタレントが紹介するとビューが立つのを見たりもし、バカバカしく感じたのを久しぶりに思い出しました

 閑話休題

 このような「紛争後地域」での復興に科学技術のコアをもってアプローチする取り組みを細々ながら長年続けている私の研究室でも、ルワンダで目にした現実は極めて印象的でした。

 首都キガリから遠く離れた地方の高校の理科室で、上記の授業をすることが多かったのですが、どこも非常に立派な実験装置を持っているのです。ただし、ホコリを被って時には封を開けた形跡もなかった。

 諏訪君も言っていましたが、EUなどの「復興開発援助」は、お金であったり、物品、例えば進んだサイエンスの実験授業用器具であったり、高価な天体望遠鏡であったり、様々です。

 しかし、それを使える教師がいない、あるいは圧倒的に不足している。

「金はいい、モノも十分ある。人を寄越してほしい」。この悲痛な叫びを今でも忘れられません。その意味では諏訪君のような優秀な人材は、本当に貴重な存在でした。

 しかし、もう一つ問題がありました。

 例えば諏訪君が理科の教科書に沿って生物学、進化論やゲノム科学を教えても、生徒たちは笑ってまともに聴かないというのです。

「人間がサルから大きくなった、なんて可笑しい。頭へんなんじゃないの、先生?」といった嘲笑で教室が包まれてしまう。

 そして、真っ赤にラインが引かれた聖書を見せながら「先生、あのね、人間というのは神様がまずアダムを作って・・・」といった具合で説明してくれたりする。

 そういう風土を抜きにして、現地での科学も科学教育も一切語ることはできない。そういう現実を教えてもらいました。

 これは一つの問題です。しかし避けがたい問題でもあるのです。

 もしルワンダから「聖書」がなくなってしまったら?

 そんなことは実際にはないわけですが、聖書という存在は、市民が互いに殺し合うジェノサイドの後、死刑を廃止して「修復的正義」によって社会を再編しようとしているルワンダにおいて、倫理の圧倒的な源泉です。

 その内容を否定しては、この社会は再起することができないのです。

 このような社会に、どのような復興支援を実施したら有効な政策となるのか?

 これを、新薬の治験などで用いる「盲検」の方法を応用して、実測値によって評価し、開発や復興を「根拠に基づいて」推進する「Evidence-based policy」の方法をゼロから創出し、グローバル・スタンダードまでに育てたのが、バナジーたちの先駆的な取り組みです。

根拠に基づく医療/基づかない政策

「根拠に基づく××」という言葉の、××元祖は、多分「医療」ではないかと思います。

「Evidence-Based-Medicine(EBM)」という言葉は、インフォームド・コンセントとワンセットになって、すっかり社会に定着しています。

 何らかの疾病と診断されたとき、治療法に関して医師から患者の希望を確認されることがあります。

 そのとき、治療法Aであれば治癒確率何パーセント、治療法Bなら何パーセントといった臨床統計を伴った情報を提供して、患者自身が自分の病気とどう向き合うかを考えるというシステム。

 例えば咽頭や舌に悪性新生物が確認された芸能人や歌手などが

*手術をすれば治癒確率は80%あるけれど、声を喪う

*保存療法で放射線や薬物を使うと50%程度に下がる

*最新の免疫療法はヒットすれば治癒率が高いが保険外で非常に高価

 といった情報をもとに闘病戦略を検討することができる。こうしたものを根拠に基づいた医療と呼ぶわけです。

 根拠に基づかないもののケースとして、政策を考えてみましょう。例えば、

「英語入試に民間業者を使ってみよう」とか「記述式のテストがよいのではないか?」といった政策案がある。

 これを実施したとき、何の効用が何パーセント上がるといった勝算があるかと問われれば・・・何もないわけですね。

 いや、一部の「商算」はあると思います。

 業者はこの程度の利益が上がるなどなど。仮にこれにバックマージンなどが付随していれば、犯罪になります、

 要するに、教育事業としては勝算のない政策案で、はっきり言えば「あてずっぽう」なわけですね。

 有識者と称する老人などが、何か「持論」を展開し、それが「諮問機関」の「答申」であるなどとして権威づけられ、巨額の官費が投入されたりもしながら、およそ効果が上がらない。

ゆとり教育」などで日本国民があまねく見てきたパターンです。昨日今日だけのことではなく、第2次世界大戦中の「インパール作戦」など、最低最悪の「あてずっぽう」を日本社会は繰り返す傾向があります。

 発展途上国の開発援助もまた、誰かが理想を絵に描いた餅として考え、思慮なくそれが実行に移されている。

 先ほど私が直接見たケースで示したように、ルワンダの田舎で立派な天体望遠鏡が埃を被ったまま誰も荷ほどきすらできないまま「積んどく」状態で放置されていたりするわけです。

 そうした意味のない政策で「貧困撲滅」ができるのか、というのがバナジーたちの問でした。

 そしてまさに「根拠に基づく医療」の基礎となる薬の治験などと同様の「ブラインド・チェック」によって、本当に意味のある施策であるかを確認し、開発支援や復興援助、貧困撲滅の政策を根拠に基づいて進めていく手法を確立しました。

 そういう観点では、バナジーたちの方法を最も多用するとよいのが、現在の日本でしょう。

 全国に被害が分散する水害や土砂崩れ・・・。

 地元利権ありき、といった土建屋行政で、せっかくの復興予算が一部の営利などに転じて、来年また同様の被害が発生、などといったことは絶対に避けねばなりません。

 何より「貧困撲滅」に当たって根拠ある施策を打つ必要があります。

「身の丈に合わせた受験」などという言葉が閣僚の口から出てしまうのが、いまの日本の現実にほかなりません。

 一部企業への利益誘導のような目的が先に立って、効果が全く保証されない「あてずっぽう」の政策など、数々の天災人災に悩む今日の日本に、あってはならない仕儀と言えるでしょう。

 憲法をいじるとどうなるか、といった問題も同様で、何の勝算もありません。というよりリスクの方が明確です。

 野党も「反対ダー」といった怒号を上げるばかりでなく、根拠に基づいた政策立案、つまり憲法や入試を壊すと、こんな被害が具体的に出るという、エビデンス・ベーストのリスク見積もりをもって、是は是、非は非を主張すべきでしょう。

 こうした、本当に合理的で大人の施策は、必ずしも大衆にアピールしないかもしれません。しかし、先進国大衆にアピールする復興支援で、役に立った例は非常に少ない。

 そういうことを経済観測に基づいて実証したのが、2019年度のノーベル経済学賞業績にほかなりません。

(つづく)

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2019年のノーベル経済学賞を受賞したアビジット・バナジー氏(左)とエスター・デュフロ氏(提供:Bryce Vickmark/MIT/UPI/アフロ)