第2次安倍内閣を組閣してようやく1年後の平成25年12月26日、安倍晋三首相は公約にも掲げてきた靖国神社に参拝して「内閣総理大臣 安倍晋三」と記帳した。
これに対し中国が約50カ国の中国大使を動員するなどして安倍首相をヒットラーやハリー・ポッターに登場する闇の帝王に喩えるなどのおどろおどろしい非難を国際社会に訴える形で行った。
日本も国内問題として全面的に反論、日中は激しく対立し、首脳会談は長い間行われなかった。この時、首相はあと一歩進めて敢然と靖国参拝を恒例化すべきであった。
どの国も自国の防衛に尽力して貴い命を落とした人物を丁重に扱い国家が慰霊するのは当然である。
外国を公式訪問する日本の歴代首相は該国の当該施設に献花し慰霊するのを常としているが、日本においては自国の首相が参拝・慰霊することすら、中国の内政干渉で実現していない。
他方で、「中華民族の偉大な復興」を掲げて登場した習近平国家主席は経済成長で一段と軍備増強を図り、また一帯一路による関係国のインフラ整備をはじめとした開発協力を打ち出して覇権確立の野望を明確にしている。
しかし、その後、一帯一路に関わる多くの国が「債務の罠」に気づき、また米国でドナルド・トランプ政権が発足すると、対中関税の上乗せや技術競争を窃盗などで優位に進めてきたファーウェイを追い詰めるなどして、中国の覇権を阻止すべく行動をとる。
この結果、経済成長に陰りが見え覇権志向に疑問符が灯った中国が微笑みかけてきたのが、またしても日本である。
中国の広大な市場をあてにしてきた日本の財界もこれをチャンスと捉え、首相に圧力をかけたに違いない。
日中の両首相は多くの財界人を引き連れての相互訪問でいがみ合いに手打ちし、来春には習近平主席を国賓として迎えるという。
しかし、中国の接近は「困った時の日本頼み」でしかない深謀遠慮であることを歴史は教えている。
実際、東シナ海の石油ガス田の試掘や尖閣諸島への侵入、そして犯罪容疑を公表しない日本人拘束などが続いている。
また日本のODA(政府開発援助)を中国人民に周知するとしたが定かでないなど、安倍首相との直近の約束をほとんど果していない。
また、チベットやウィグルの人権抑圧、香港の一国二制度のなし崩し、南シナ海の軍事利用など、人権や国際法を蔑にして一向に守ろうとしない国家体質は変わっていない。
今次の中国の日本接近が単なる苦境脱出のためか、日本の内政に干渉しない心底のものかを確認するためにも、首相は公約でもある靖国神社参拝を粛々と今年中に敢行し、日本国民と中国の反応を見定めて主席の国賓待遇を最終決断すべきではないだろうか。
日本は米中の中間でいいのか
中国は自由や人権、法の支配といった、民主主義社会が普遍的に享受すべき価値観と見做してきたものと異なる価値観を覇権確立の手段として持ち込もうとしている。
これは人類が当然と見做してきた価値観、それは17世紀にウェストファリア体制として確立されたものであるが、これを根本的に変革し、一部の指導層や共産党員に好都合な言論の自由をはじめとした諸々の自由や人権を剥奪した監視社会を構築し、世界に輸出しようとするものである。
しかし、その多くがインフラ整備で異常に膨れ上がった経済支援で「債務の罠」に陥れ、貸与していた土地を半永久的に譲渡せざるを得なくするなど、現在版の植民地化にほかならない。
ざっくり言って騙しであり詐欺の手口である。一帯一路に関わる多くの途上国が当初は歓迎したが、いま「債務超過」という実態に即して警戒し、一部では撤退し始めている。
トランプ大統領の関税上乗せなど、対中締めつけは効果を上げているようだ。中国の経済成長の伸びが従来に比し大きく低下している。
米国は自国を窮地に追い込む部分に耐え忍びながら、対中効果が上がっている実体を見極めつつ、2度のマイク・ペンス副大統領の演説が示すように、中国の覇権阻止を本気で目指している。
日本は同盟国として、米国の努力を無にするようなことがあってはならない。
しかし、安倍首相は数年前まで維持し続けてきた対中警戒を緩める、同盟国である米国の意にも反するような異常な接近を図っている。
それが来春にも予定される習近平国家主席の国賓としての来日である。
筆者は本欄で中国が安倍首相に訪中を促した真意について考察(注1)し、また習近平主席の国賓待遇に疑問を呈してきた(注2)が、再度、中国の覇権外交について検証し注意を喚起したい。
注1:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54423「透ける本音:なぜ中国は安倍首相訪中を促したか 中露の焦りは日本の主張を通すチャンス、明確に言うことが大切」
注2:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57441「中国の習近平主席は国賓に値しない! 無礼の限りを尽くした江沢民時以上の禍根を残す恐れ」
常態化していた首相の靖国参拝
昭和53年にA級戦犯とされた東条英機らが合祀されるが、これは、言うまでもなく国内での戦犯無効決議が国会で行われた結果であることは言うまでもない。
それも、今日靖国参拝や憲法改正反対などを主張してやまない政党の先輩であった元社会党議員からの発意に基づくものであった。
併せて言及すると、現憲法が審議に付されていた頃の共産党は、国家の防衛に軍隊が不可欠であることを承知しており、「(軍隊を否定する)この憲法で大丈夫か」と疑問さえ提示していた。
政党は社会のあり様については違った角度でいろいろな描き方をするであろうが、こと安全保障や防衛においては国家と国民を守るという点で一致(一枚岩)しなければならない。
その視点からすると、戦後間もなくの社会党が戦犯とされた人士の名誉回復を図り、共産党が現憲法の草案に疑義をはさんだことは、至極正当であったのだ。
これこそが政党人のあるべき姿である。
翻って、小沢一郎氏や枝野幸男氏のように憲法改正の必要性を明示しておきながら、信条を異にする党に移籍したり政党代表に就くと、安倍自民党に〝反対するためだけ″に「改正反対」を唱えるのは言行不一致も甚だしい。
本人の政治家としての不実を示すものであり、いつまたどう変わるか分からない信頼できない政治屋でしかない。
天皇陛下は昭和50年を最後に参拝されていないが、これは合祀の3年前であり、合祀が理由でないことは明らかである。他方で、皇居内で戦没者慰霊を行なっておられたことが分かっている。
三木武夫首相が昭和50年8月15日(終戦記念日)に参拝した後は、首相在任間の8月15日に福田赳夫氏1回、鈴木善幸・中曽根康弘両氏はそれぞれ3回参拝している。
戦後の歴代首相はむしろ8月15日でない春秋の例大祭の間に参拝してきた。
合祀されて以降も、福田、大平(正芳)、鈴木、中曽根の各首相は参拝したが、昭和60年に中曽根首相が8月15日の公式参拝をことさらに主張し、国内世論が割れた時点から中国が干渉し始める。
すなわち、終戦記念日であろうと春秋の例大祭の間であろうと、昭和60年の8月15日までの戦後ずっと、首相ばかりか陛下(昭和50年まで)の靖国参拝にも一切無関心であったのだ。
明らかに日本国内の世論の軋みに乗じた分断工作であり、また中国の国内問題を外交に関連づけるための内政干渉でしかない。
それ以後の30余年間、途中に小泉首相の6回、安倍首相の1回の参拝はあるが、その他は代理による玉串の奉納だけである。
そのため8月15日参拝は悲願であったが、中国からの反発が強かったのでことさら感情を刺激しないよう8月13日(2001年)、4月21日(02年)、1月14日(03年)、元日(04年)、10月17日(05年)と揺れ動いた。
しかし平成18(2006)年の8月15日が近づくと、「8月15日を避けても批判、反発は変わらない。いつ行っても同じだ。適切に判断する」と述べ、結局当日の朝早く(7時40分)参拝したのを最後に、1カ月余後に安倍第1次内閣が誕生する。
靖国参拝反対は国内統治の方便
先述の通り、中国が首相の靖国神社参拝を批判し始めたのは昭和60年からである。
この年に何があったか。小泉首相が平成18年8月15日に靖国神社を決行したことに対し、筆者は自衛隊OBの機関紙「隊友」(平成18年9月15日付)に、「首相が8月15日に靖国神社参拝」の掲題で、次のように書いた。
「首相の靖国参拝はA級戦犯合祀の賛否という国内問題とは別に、中国の思い上がった内政干渉に対する日本の拒否意志の表明である」
中国にとって建国以来長年の敵性国家はソ連で、強すぎる米国を考慮に入れる余裕はなく全く視野の外であった。
そこで、もっぱらソ連の「覇権」への反対を唱えて日本にも強く同調を求め、自らも「覇権を求めない」と明言してきた。
ところが、ソ連が崩壊し、改革開放で急速に経済発展し軍事力が驚異的に向上する20世紀末頃から、中国はアジアでの覇権を志向し始める。
その中国の前に立ちはだかるのは日本である。中国の野望を打ち砕く物理的な力があるというのではなく、西側との橋わたしであり風通し役という意味である。
天安門事件が起き世界から経済制裁を受けると、制裁解除の突破口を日本に求めて接近し、天皇訪中まで勝ち取る。
西側諸国が中国制裁を解除すると中国は日本をお役御免と見捨て、訪中された陛下に難題を吹きかけ、国賓として来日した江沢民(国家主席、当時)が公然と歴史戦を仕かけてきたのである。
靖国参拝は内政干渉排除の宣告
古代以来、日中関係は紆余曲折はあるが双方のバランス関係で成り立ってきた。大観すると、日本が力を示せば中国は引っこみ、中国が押し出せば日本が引っこむ状況であった。
戦後間もなくの日中双方はお互いにかまっている暇がなく、無風状態に近かった。
しかし、ヘンリー・キッシンジャー米国大統領補佐官の訪中を知った日本政府は、慌てて田中角栄首相が大平正芳外相を同行して訪中する。ここに日本の戦後の中国接近が始まる。
リチャード・ニクソン大統領の米国が中華民国(台湾)をいかに扱うか年余をかけて検討したのに対し、田中内閣は台湾切り捨てで数日後に中華人民共和国と国交正常化に踏み切ってしまう。
してやったりの中国は際限もなくODAをつぎ込ませ、日本が終了を模索すると逆に恫喝する状況であった。
共産党の指導権を確立したい中国が天安門事件を起すと、日本も含めた西側諸国から経済制裁を受ける。
中国はすかさず日本接近を図り、先述の通り籠絡して天皇訪中まで行わせる。
当時の中国外相は天皇を政治利用し、成功したことを誇らしく書き残している。天皇自身、後日訪中は良かったのかと側近に質されたと仄聞する。
その後、中国は歴史戦を仕かけて恫喝し続ける。地方自治体の首長が南京事件の検証の必要性などを語ると、何年もかけて双方が準備してきた青少年交流イベントなどの国交正常化記念行事の多くを一方的に中止する嫌がらせを行なってくる。
南シナ海の人工島構築や知的財産の窃盗などやり放題で、一帯一路で覇権志向を明確にした習政権にブレーキを掛けたのが、トランプ政権の登場である。数度の関税上乗せやファーウェイ問題で経済成長は暗雲に包まれる。
覇権志向の中国にとって日本接近は必然であったのだ。
苦虫をかみつぶした顔でそっぽ向いて握手していたのが、今では日中関係は「正常な軌道に戻った」(習近平主席)、「協力は確実に発展している」(安倍首相)、「共通利益を拡大すべきだ」(李克強首相)などと言いながら笑顔で握手を交わしている。
長い千数百年のことばかりでなく直近の数十年の日中関係を見ただけでも、中国が日本利用に長けていることが分かる。
いまの中国の積極的な日本接近が米国の制裁破りの方便であることは確かであろう。
そのことを確かめるには、安倍首相の公約であり念願でもある靖国神社参拝を今年中に行い、「中国の内政干渉は受けない」と宣言すること以外にないのではないだろうか。
習近平主席は毛沢東を尊敬し、毛語録の愛読者でもあるとされる。
毛沢東は「敵退我進」(敵が下がれば、自分が出ていく)ことを信条としてきた。日本が下がれば、どんどん出て来るだけである。
日本が中国の内政干渉を阻止することは、中国の横暴を許さない日本の確固たる信念の証しとなり、併せて日本の独立と安全保障ばかりでなく、「インド太平洋の安全保障」を掲げて前進しようとしている諸外国への強力なメッセージとなるに違いない。
それがひいては恒久平和への道にもつながるのではないだろうか。
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