(朝岡 崇史:ディライトデザイン代表取締役)
「中国版テスラ」ともてはやされ、2018年9月には米ニューヨーク証券取引所に上場を果たしたプレミアムEV(電気自動車)スタートアップ企業のNIO(ニーオ、上海蔚来汽車)。
しかし、上場からわずか数カ月でNIOを取り巻く状況は暗転、この秋には販売台数の低迷から相次ぐリストラや資金不足が取り沙汰されている。
NIOの野望と挫折を「スタートアップには自動車の量産は不可能」「しょせんはBMWやレクサスのパクリ」と一刀両断で片付けてしまうのは簡単だ。しかし世界的にEVが次世代モビリティの主力となることが確実視されている今(注1)、NIOの大胆なチャレンジは、新興のEVスタートアップ企業や(EV参入が既定路線となっている)既存の自動車メーカーにとって、格好の教材とは言えないだろうか。
(注1)HV(ハイブリッド)が主流の日本ではピンと来ないかもしれないが、調査会社の富士経済によると2035年のEVの世界販売台数は2202万台となり、HVの同785万台を大幅に上回る見通し(参考:「2021年にEVがHVの販売台数を上回る、電動車市場は4000万台に」MONOist)。
リーン・スタートアップが企業の導入戦略の勝利の方程式になりつつある前提で考えると、「成功」の反対は「失敗」ではなく、「何もしないこと」「失敗から学ぼうとしないこと」である。
そこで今回は、NIOが極めて短期間で事業拡大のための資金調達が可能になったのはなぜか、また逆に、どうして坂道を転げ落ちるように苦境に立たされてしまったのかについて、主に著者の専門であるブランド戦略とカスタマーエクスペリエンス戦略(以下「CX戦略」)の2つの視点から振り返ってみたい。
IoT時代、が変わる。
期待を極限にまで高めた「ブランド戦略」
NIOは2014年、現CEOである実業家ウィリアム・リー(中国名は李斌、以下リー)によって上海に設立された。設立当初の社名は「NextEV」である。
ちなみにNIOの中国ブランド名「蔚来」(WeiLai)は「青空がやって来た」という意味で、同社が世の中に送り出すEVが“深刻な大気汚染の解消”という社会課題の解決のために果たすべき企業の役割(ブランドミッション)を雄弁に物語っている。
さて、ブランドづくりの観点から言えば、企業とお客さまとのエンゲージメントの強さ(絆や愛着)は以下のような方程式で示されるというのが著者の主張である。
エンゲージメントの強さ=ブランドへの(期待+信頼)× 時間
NIOの場合、ブランドへの「期待」を、従来のEVメーカーが差別点として着眼してこなかった「スピード」や「デザイン」に絞り込んだことが極めてユニークである。
NIOは起業の当初から競合相手を米テスラに設定、近い将来に中国国内からグローバルマーケットに打って出て、プレミアムなクラスのEVカテゴリーで真っ向勝負することを決定した。そして欧米発祥のモータースポーツ文化に賛同と参画を示す意味あいで、2つの象徴的なチャレンジを行い、大きな爪痕を残したのである。
1つ目は2014年から開幕1年目のEVによるフォーミュラカーレース「フォーミュラE」への参戦。
2つ目は2017年、モータースポーツの聖地・独ニュルブルクリンクでの自社開発のEVスポーツカー「EP9」の世界最速のタイムアタックである。
前者については、自ら「チャイナレーシング」を名乗って世界を転戦しただけでなく、ファーストドライバーのネルソン・ピケJrが11戦中2勝をあげてフォーミュラEの初代ドライバーズチャンピオンに輝くという快挙を成し遂げた。
この歴史的な「事件」は中国国内のステークホルダーにも大きなインパクトを与え、テンセント、百度、京東、レノボ、セコイヤキャピタルなど錚々たる企業から総額2000億円以上とも言われる巨額の資金調達を行う呼び水となった。
そして後者については、2017年の5月12日に行われたタイムアタックで当時、ランボルギーニ・ウラカン・ベルフォルマンテが持っていた世界最速タイムを6秒以上も上回る6分45秒90という驚異的なタイムを叩き出し、市販ロードカーの世界最速記録を塗り替えることに成功した(ただしこの記録はマクラーレンに再更新されている)。
(参考動画)NIO EP9 Breaks the Nurburgring Nordschleife Lap Record - May 12 2017(YouTube)
EP9は4輪それぞれにモーターを配置した「メガEV(出力1メガワット=1360ps)」であり、最高速度は313km/h、0~200km/h加速はわずか7.1秒と発表されている。当初の生産台数は6台(トータルで20台の限定生産)、価格は120万ドル(約1億3000万円)という稀代のスーパーカーである。
驚きはそのパフォーマンスと価格だけではない。BMW本社のお膝元・ドイツのミュンヘンに開設したデザインスタジオで造形された流線型のフォルムはグローバルで十分に通用するレベルであり、EP9が紛れもなくプレミアムなクラスのスポーツカーであることの存在証明となっているかのようだ。
NIOのこれらのチャレンジはブランドに対する「期待」の度合いを極限にまで高めることで、エンゲージメント醸成のもう1つの因子である「時間」に頼ることなく、垂直的なブランド立ち上げに貢献したことが見て取れる。
それでは一体なぜ、NIOは最初からあえて困難な道(グローバルなプレミアムEV市場での戦い)を選択したのか?
答えは中国における産業育成についての政府の姿勢に大きな関わりがあると考えるのが自然だろう。
中国は、内燃機関で動く自動車のカテゴリーでは欧米や日本企業の後塵を拝することに甘んじてきた。その点、EV産業の育成は、中国が国家として起死回生の逆転を図る千載一遇のチャンスであるものの、今後、激化する中国内外での生き残り競争を想定すると、新興のNIOが第一汽車や東風汽車といった国営企業に劣後することは確実である。
つまり、2つの象徴的なチャレンジとニューヨーク証券取引所への上場は、NIOにとって中国政府の統制をかいくぐり、生き残りをかけて強かに計算されたブランド成長のシナリオだったのだ。
お客さまの行動データをフル活用する「CX戦略」
NIO躍進の2つ目の要因をCX視点から分析するためには、お客さまのNIOブランド体験のカスタマージャーニーと、その中でのブランド接点(タッチポイント)を詳しく見ていく必要があるだろう。
端的に述べると、NIOのマーケティングの手口は「OMO」(Online-Merges-Offline)の考え方をベースに緻密に構築されていることがわかる。OMOとは、「お客さまのオンライン(デジタル)体験が、オフライン(リアル)体験を意識しないレベルでシームレスに抱合、融合した状態」のことだ。
かつて、クルマの中、ショールームといったオフライン体験のブランド接点ではお客さまの行動データの取得は不可能だった。ゆえにこのステージではお客さまの行動データが取得できるオンラインのブランド接点(ウェブサイトやデジタル広告など)を機会点にして、お客さまをオフライン(例:リアル店舗)に誘導する「O2O(Online to Offline)」が有効な戦術と考えられていた。
しかしIoT時代に入ると、モバイル端末、各種センサー、AIアシスタントなどが登場したことで、お客さまに余計な負担を強いることなく、お客さまの行動データをオフライン体験上でも取得することが可能になってきた。
つまり、お客さまのオフラインの行動データをオンラインの行動データと意味のある形で結びつけるだけでなく、それらを企業であるNIOのモノづくりや在庫管理のデータなどと統合・解析を行うことで、様々なブランド接点でより魅力的なNIO体験を創出でき、それによってさらにNIOの各ブランド接点での集客力が高まって、結果的により多くのお客さまの行動データが集まる構造を生み出す。
すなわち、データ解析のスピードと精度の向上が担保されることで、NIOのブランドが提供するカスタマーエクスペリエンスの優位性が確立し、差別化の加速につながるという拡大生産のメカニズムが透けて見えてくるのである。
お客さまの「EVのあるライフスタイル」とは?
それでは、NIOが展開する「OMO」の考え方を取り入れた、お客さまのカスタマージャーニーが具体的にどんなものだったか、推測してみよう。
※ ※ ※
登場するお客さまのペルソナ(仮想のお客さま像)として、上海で食品関係の商社を経営し、高級住宅地の虹橋(ホンチャオ)に住む王さんを設定する。
王さんは食品を扱う仕事柄、環境に対する意識が高く、2018年10月現在、乗っているBMW X5をより環境負荷の少ないプレミアムEVに買い換えようと計画している。候補に上がったのは仲間内でも定評のあるテスラXと中国企業で最近勢いのあるNIOの「ES8」(注2)である。
(注2)ちなみにNIOが現在中国国内で販売しているEVは、テスラ・モデルXの直接のライバルと目されるSUV「ES8」(2018年発売、航続距離約350km、最大7人乗り、価格は約725万円~)とそれよりやや小型のSUV「ES6」(2019年4月の上海モーターショーで初公開、航続距離420km~、価格約570万円~)の2車種である。
王さんはまずPCやスマホのアプリを使って、NIOやES8についての情報を検索してみるだろう。調べてみるとSNSでのNIOやES8に対する評価はすこぶる高く、何よりNIOや創業者リーCEOのチャレンジングな姿勢が企業経営者の王さんの心の琴線に触れた。
週末、王さんは奥さんと小学生の子供を連れてハイブランドショップが立ち並ぶ上海中心部、静安区南京西路にあるショールーム「NIOハウス」を訪問することになる。その場所は王さんの会社のオフィスから徒歩数分のところで、スターバックスの旗艦店「スターバックス・リザーブロースタリー」の並びに立地している。実は競合のテスラも至近にショールームを構えている。
「NIOハウス」は2階建で1階に車の展示スペースがあり、2階は商談のスペースになっている。商談スペースには仕様を検討したり、ES8の操作方法や装備などの説明を受けたりするためのモニターが置かれた白木のカウンターがあり、座り心地が良さそうな大きなソファが点在する。またショールームの2階にはバーカウンターがあり、専任のバーテンダーが王さん好みのエスプレッソを作ってくれる。
ES8の試乗の準備ができたと伝えられ、地下の駐車場へ案内されると「NIOパワー」と呼ばれるカセット式バッテリー交換システムが稼働している様子を見学できた。EVをジャッキアップしてバッテリーパックのみを交換するので、交換に要する時間はわずか3分程度で済むという。忙しい王さんにはありがたい機能だ。
実際にES8に試乗してみて、王さんは、BMW X5にも劣らないスタイリッシュなエクステリアデザインとプレミアムな革張りの内装、胸をすくようなツインモーターの加速感、静寂な室内空間など、全てに高い満足感を覚えた。奥さんと子供もすっかりこのクルマの虜になったようだ。BMWに乗っている時よりも街を歩く人たちからの熱い視線を浴びたことが購入の最後の決め手となった。
数カ月後、王さんはES8を運転して会社から自宅への帰路についている。クルマは今のところ大きなトラブルもなく快調だ。また、ES8のダッシュボード上には「NOMI」というAIアシスタントが設置されており、「OK! NOMI」と話しかけると顔の表情や向きを変えて応答してくれる。エアコンの温度設定や窓の開閉、ラジオのチューニングや音楽の選曲、写真撮影など、用途は思ったよりも広いし、なかなか賢い。
最近、1つ大きなサプライズがあった。NIOにはユーザのコミュニティづくりを促進する専用アプリがあり、定期的にオフラインのユーザイベントを行っているのだが、春節に行われるイベントではスペシャルゲストとして王さんが大ファンのブルーノ・マーズが上海に来るらしい。「NIOハウス」のマネージャーは嬉しいことに王さんが彼のファンであることを知ってか知らずか、特別に良い席を準備してくれたのだ。
王さんはNIOやES8のことを心底気に入っているし、休日、「NIOハウス」のカフェで仕事の構想を練ったり、他のユーザとおしゃべりしたりするのも良い気分転換だ。王さんは友人や仕事仲間にもNIOの素晴らしさを推奨していこうと考えている。
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ここで一言付け加えるならば、NIOの「OMO」の考え方を活用した手口は創業者のリーCEOの「BitAuto」(易車)での成功体験がベースになっている。
「BitAuto」はスマホのアプリを使って自動車の販売だけでなくカーライフ全般のサポートをサードパーティ企業と協働しながら一気通貫型で提供するサービスだ。
やや穿った見方をすれば、NIOのビジネスモデルは「BitAuto」の新車の購入のステップを切り出してプレミアムに味付けしたものとも言えるし、逆に事業構想として、NIOがモノとしてのEVを売るのではなく、EVのあるライフスタイル全般の「体験」を売るビジネスへと発展・進化する可能性を秘めている(秘めていた)とも解釈できるだろう。
NIOを次々に襲った猛烈な逆風
冒頭のNIOの販売台数の推移のグラフをもう一度よく見てほしい。
ES8の新発売効果もあり、NIOは2018年の11月と12月、ともに3000台を超える販売実績を残すことができた。だが、2019年に入った途端、業績は急速に失速した。
これは中国市場におけるマクロ経済の悪影響、すなわちマーケットの成熟化と米中貿易摩擦による個人消費の停滞が直接の原因である。
これに加えて、手厚い振興策でEV市場を支えてきた中国政府が2019年6月に突然、補助金を減額、例えばES8のような航続距離400キロ級のEVでは1台あたり5万元(約77万円)から2万5000元(約38.5万円)に半減させたことが大きく響いている。
そして自らの失策が業績低迷にとどめを刺した。今年(2019年)6月末の「ES8のバッテリー発火事故による4803台ものリコール対応」である。陝西省西安市(2019年4月)、上海市(同5月)、湖北省武漢市(同6月)とバッテリーから発火・発煙が相次ぐ事案が発生した。
NIOはリーCEOが「スマートフォンのような会社をつくる」と宣言した通り、アップルのような委託生産型のファブレス企業であり、例えばバッテリーモジュールは中国バッテリー大手企業の寧徳時代科技(CATL:福建省)が供給、車両本体の生産は安徽合肥江淮汽車(JACモーターズ:安徽省)が担当している。今回のリコール対応の場合、リコールに関わる約5億元(約80億円)とも報じられる特別損失と顧客対応だけでなく、事故原因についての説明がNIO側とサプライヤー側(寧徳時代科技)で大きく異なったため、NIOのブランドとしての「信頼」に大きな傷を残すことになった。
ブランドへの「期待」をいくら高めても「信頼」が失墜してしまえばブランドのモメンタム(勢い感)は大きく削がれてしまい、回復には時間とエネルギーがかかる。こうなってしまうと、先述の上海の王さんの快適だったNIO ES9のカスタマージャーニーも遠くない将来、大きなペインポイント(失望・不満)を残したまま、終止符が打たれる可能性が高い。
「OMO」をベースにしたCX戦略でさえも、拡大再生産の上昇スパイラルを生み出す前に「絵に描いた餅」に終わってしまいそうな印象だ。2019年9月は新車ES6の市場投入効果もあり、NIOトータルの販売台数が2019台と回復を見せたものの、第2四半期(4~6月)の決算は32億8577万元(約500億円)の赤字に終わり、リーCEOはコスト削減のため従業員を9900人から7800人へ約2割削減することや、年末までに非コアビジネスをスピンオフさせる施策を発表した。
それでもなお、巨額の開発投資を事業収益で回収できていない以上、NIOのキャッシュフロー不足は深刻になる一方だ。9月時点で事業を継続させるためにさらに2億ドル(約217億円)の追加投資が必要な状況に追い込まれ、大株主の1社であるテンセントに対して同額の転換社債(CB)の発行を表明することになった。
EVスタートアップはどこも大苦戦
苦境に陥っているのは、実はNIOに代表される中国のEVメーカーだけではない。
米国で「テスラキラー」として注目を浴びていたファラデー・フューチャーの創業者も破産を申請したし、2020年までにEV投入を宣言していた英ダイソンもこの10月になって創業者のジェームズ・ダイソン名で「商業的に軌道に乗せるのは不可能だった。自動車のプロジェクトは中止すると判断した」という残念な声明を発表した。
NIOをはじめ、多くのEVスタートアップが大苦戦する状況は、EVが内燃機関と比較して機構上は単純であるとは言われるものの、独自でのサプライチェーンや販売網の構築には想像以上に膨大な労力とコストがかかること、ブランドは「期待」の部分を膨らめて短期で立ち上げることよりも「信頼」を醸成しながら中長期のスパンでマネジメントすることの方がはるかに難しいということを再認識させてくれているかのようだ。
一方で、NIOが構想し実行に移した「OMO」の考え方を採用したCX戦略の打ち出しや委託生産を基軸としたオープンなサプライチェーンの構築などはモビリティ産業のプレイヤーにとってチャレンジのしがいのあるテーマであるように感じられる。
その山を極めるのがトヨタやフォルクスワーゲンのようなストック資産が豊富な伝統的な自動車産業なのか、それともEVスタートアップ企業なのか。
自動運転が踊り場を迎えてかつてのダイナミズムが失われて行く中で、モビリティ産業の近未来を左右するEV企業の動向にはしばらく目が離せそうにない。
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