(舛添 要一:国際政治学者)

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 11月20には、安倍首相の在任日数が、桂太郎2886日を抜いて憲政史上最長になる。安倍政権がかくも長期になっている最大の理由は野党が非力であることと、党内にライバルが不在なことである。

 経済については、他の先進国が失業に悩む中で、人手不足が問題になるくらいに順調であるが、格差が拡大していることは否めない。外交については、トランプ大統領との信頼関係を基にして良好な日米関係を維持していることは評価できるが、ロシアとの北方領土問題や北朝鮮との拉致問題は進展がなく、日韓関係は最悪である。また、憲法改正への道筋も立っていない。

 そのような中で、首相主催の「桜を見る会」に安倍後援会から850人もが招待されていたことに批判が集まり、野党が国会で厳しく追及した。それを受けて、政府は来年度の開催を中止した。招待基準や招待者数を見直すためだという。

 菅原経済産業大臣や河井法務大臣を更迭し、すぐに後任を任命したように、また、英語民間試験導入を即決で撤回したように、問題が発生すれば即座に対応し、火を消すという手法は危機管理のお手本かもしれない。しかし、自らの後援会員を大量に招待していたことは、様々な疑念を投げかけている。

 また、安倍後援会主催のホテルでの前夜祭については、公職選挙法や政治資金規正法に違反するのではないかという疑問も呈されている。さらには、「招待者名簿の破棄」という答弁についても、各省庁の保管規則に反しているとの指摘がある。

閣僚や党幹部時代も「枠があるから使って」などと言われたことはなかったが・・・

 私は、国会議員として招かれ、「桜を見る会」に行ってみたことがあるが、芋の子を洗うような中でもみくちゃにされて閉口したので、それ以降二度と参加しなかった。「各界で功績・功労のあった人」を招待するというが、芸能人にしても「功績があったから」というより政権の景気づけのために招かれていたようである。また、有識者については、政権寄りで右翼的思想に固まった御用学者・御用評論家がほとんどであった。

 私は、閣僚も政党幹部も歴任したが、「一定数の枠があるから使って下さい」などという話は、党からも内閣府からも一度も来なかった。大臣や国会議員枠などというものは、いつから出来て、どのように活用されてきたのか、それも不透明なままである。

 記録が残っているかぎりでは、参加者数は、2014年が約1万3700人だったが、2019年は1万8200人と増えている。予算は、それぞれ3005万円、5520万円である。安倍政権の幹部が、支持者を招待するために大臣枠などを利用したとすれば、それを公費で負担することはやはり問題であろう。

 これは長期政権の弊害だと言ってもよい。私は、安倍(第一次)、福田、麻生の三総理大臣に閣僚として仕えたが、いずれも1年未満の短期政権だったので、「桜を見る会」に誰を招くかを考えるどころではなかったのかもしれない。政権交代で民主党政権に移行したが、その後、再び自民党に政権が戻り、安倍首相が長期政権を謳歌している。それに伴う奢りと慢心が、今回のような事態の引き金になったと思われる。

「権力の個人化」が進んだ南米各国の惨状

 民主主義社会における長期政権の弊害は、「権力の個人化(personalization of power)」と呼ばれる現象が起こりやすくなることである。つまり、大統領や首相というポストの重みよりも、そのポストに就いている個人の特質が政権運営を大きく左右するようになる。そして、それが嵩じると独裁に近くなる。しかも、ポピュリズムが跋扈する今日、その傾向はますます強くなっている。

 元祖ポピュリストとでも呼ばれるべきは、アルゼンチンのペロン大統領である。妻は、ミュージカル『エビータ』で有名なエバ・ペロンである。ばらまき政策を実行することによって大衆の支持を調達し、個人崇拝とも言えるような専制政治を行った。

 このペロニズムは南米の政治の特色であり、ブラジルで2003年から8年間政権の座にあったルーラ大統領も同じ政治スタイルであった。ルーラは2018年4月から収賄の罪で収監されていたが、最高裁判決によって最近(11月8日)釈放された。その結果、「ブラジルのトランプ」を自称する極右のボルソナーロ大統領との間で緊張が高まっている。

 アルゼンチンでは、10月29日大統領選で、野党であり左派のアルベルトフェルナンデス元首相が、中道右派のマウリシオ・マクリ大統領らを破って当選した。彼もまた、ペロニズム的な大衆迎合政策を掲げている。

 ボリビア先住民であるモラレス大統領も、同様な政治手法で人気を博してきたが、不正によって4選を果たしたとして、辞任の余儀なきに至り、11月12日メキシコに亡命した。

 チリでは、地下鉄運賃の値上げを引き金に反政府デモが拡大し、APECやCOP25開催を断念している。チリは、OECDの中で格差が最も拡大した国となっており、そこでも大衆はペロニズムのようなばらまき政策を求めている。

あんな騒がしいイベント、各国大使は喜んで出席するはずもない

 最近における南米の政治変動を観察していると、ポピュリズムや個人崇拝(権力の個人化)の伝統を感じざるをえないが、安倍首相による「桜を見る会」の私物化は、スケールは全く異なるとはいえ、日本政治の南米化を見るようで、あまり感じのよいものではない。「桜を見る会」招待券のばらまきによるミニ大衆迎合政策である。

 戦前の日本で天皇機関説が政治問題になったことがあるが、首相のポストも機関である。しかし、長期政権化すると、そのポストに座っている個人の色が濃く出てくるようになる。その弊害が、この「桜を見る会」に典型的に表れたと見てよい。短期政権も問題があるが、頻繁に政権交代していれば、このような「権力の個人化」は起こらない。

 ちなみに、園遊会は、天皇・皇后陛下が主催するもので、招待基準も明確であり、格式も違う。私はこれにも参加したことがあるので、園遊会と比較して「桜を見る会」のあまりの喧噪に呆れて二度と出席しなくなったのである。総理大臣といえども、園遊会には自分の後援会員を大量に参加させることはできない。しかし、「桜を見る会」は、首相自らが主催者なので、私物化が可能となったのである。

 これは、有権者の支持を調達する手段としては、極めて安上がりで、しかも効果的である。招かれた人々が政権を賞賛することはあっても、批判することはないからである。民主政治とはルールである。「人治」ではなく「法治」でルール違反をすれば、批判されるのは当然である。

 政府は来年度の「桜を見る会」を中止して、招待客を決める基準などを再検討するとしている。しかし、今回の騒動で、芸能人や識者などはこの会に出席すること自体がマイナスのイメージを付与されることになり、辞退者が続出するであろう。

 菅官房長官は「桜を見る会」の廃止はないと述べ、その理由として外国の大使や公使も招いていることを挙げているが、各国の大使などは、たとえば、お茶会(野点)など日本の伝統に則った儀式に招けばよい。皇室も、宮内庁の鴨場に駐日外交官を招待しており、伝統的様式の鴨狩りを楽しんでもらって、たいへんに喜ばれている。

 あのような芋の子を洗うような騒がしいイベントでは、首相とゆっくりと語ることもできない。大使や公使も、そのような会に喜んで出席しているわけではあるまい。私は、この会はもう廃止すべきだと思っている。

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