門司港と門司港駅は九州の玄関だった。1942年に関門海底トンネルが開通するまでは、門司港と下関港を鉄道連絡船が結んでいた。鉄道が長距離移動の主役だった時代、九州と本州を行き来する人々は、門司港駅で列車と船を乗り換えた。

 門司港駅の駅舎には、往時の関門連絡船通路跡が保存されている。1988年に国の重要文化財に指定された駅舎は、2019年3月に復元工事が完了し、貴賓室もよみがえった。

博物館アトラクションのように見えるけれど……

 その門司港駅の東側に九州鉄道記念館がある。1891年の建物で、九州鉄道の本社だった。2003年に鉄道記念館として公開されて、門司港駅をはじめ九州の鉄道の歴史を伝えている。

 門司港駅から九州鉄道記念館へ向かうと、途中に小さなプラットホームがある。これが「門司港レトロ観光列車 北九州銀行レトロライン 潮風号」の九州鉄道記念館駅だ。博物館アトラクションのように見えるけれど、国から鉄道事業の許可を受けた立派な路線。ここから2kmほどの関門海峡めかり駅まで運行し、途中に中間駅が2つもある。

 もっとも、運行は3月から11月までの土休日と学校の春休み夏休みの運行となっている。黒部峡谷鉄道のような観光路線で、トロッコ列車の「潮風号」しか走らない。

この客車はもともと国鉄時代の貨車だった

「潮風号」は青色に統一された4両編成の列車だ。トロッコ客車2両の前後に小さなディーゼル機関車が連結される。これで機関車の方向転換や付け替えなしで折り返し運行ができる。テーブル付きの椅子に座ると、吹きさらしの窓から小雨が入る。乗り心地は固い。なにしろ、この客車はもともと国鉄時代の貨車だった。屋根のない貨車に屋根を取り付け、荷台を床にして椅子とテーブルをしつらえた。終点まで乗ってもわずか10分だから耐えられる。

 ゴトゴトと走り出し、踏切を渡る。通行人やドライバーが手を振ってくれる。門司港周辺は明治・大正時代からの古い建物が多い。旧大阪商船門司支店は1917年の建築。旧門司三井倶楽部は1921年の建物で、1階はレストランだ。往時の上流階級の人々がつどった場所。その高い天井に圧倒される。

この線路、もともと臨港貨物線だった

 北九州市はこれらの建物を観光資源と捉え、1995年までに門司港レトロ地区として整備した。ところが、潮風号の線路はレトロ地区からすぐに遠ざかる。1つ目の駅、出光美術館駅のそばには未来的な高層マンションがそびえ立ち、その31階は展望室として観光客も入れる。

 そこから先の線路際は近代的な総合病院や集合住宅、倉庫が続く。レトロ観光の表舞台に対して、なんとなく裏通りの印象だ。じつはこの線路、もともと臨港貨物線だった。門司港駅から門司埼をめぐって瀬戸内寄りの田野浦までを結んでいた。門司港はかなり広い港なのだ。

 総合病院の広い駐車場が終わると、小さな港が現れる。釣り船やレジャーボートなどの小型船舶がズラリと並んで海沿いの雰囲気になった。進行方向を見上げると関門橋、その先は山口県の下関だ。関門橋の下に見えるあたりが壇ノ浦。源平合戦や馬関戦争で知られているところ。もうちょっと海を眺めていたいと思ったところで、2つめのノーフォーク広場駅に停車。ここを発車すると列車は岬を短絡するトンネルに入る。

とつぜん、海底のような幻想世界に突入

 このトンネルでちょっとした仕掛けがある。トロッコ客車の天井がブラックライトで照らされて、蛍光塗料で描かれた魚たちが現れる。乗客たちはとつぜん、海底のような幻想世界に突入する。ほんの短いトンネルだけど、この演出があるから10分の乗車がまとまる。出発、海、トンネル、到着で「起承転結」だ。

 関門海峡めかり駅前には、銀色の電気機関車「EF30」が保存展示されている。関門トンネル専用機として1960(昭和35)年に製造された。銀色の理由は塩害対策でステンレス製の車体を採用したからだ。これに同時代に活躍した茶色の古い客車「オハフ33」をくっつけて、カフェとして営業している。焼きたてのソーセージラムネお祭りの屋台みたいな組み合わせで休憩する。

 ここまで来たら、関門海峡を歩いて渡ろう。関門海峡めかり駅から海沿いにのんびり歩いて10分ほどで「関門トンネル人道入口」だ。なんと、歩いて通れる海底トンネルである。トンネルの途中に県境があり、通り抜けた先は壇ノ浦古戦場である。さらに足を伸ばして火の山ロープウェイに乗ると、関門海峡を見下ろす公園がある。じつはここ、関門海峡の国防施設、下関要塞だった。現在も遺構がたくさん残っている。

 帰りは船で戻ろうか。バスで唐戸に出ると門司港行きの関門連絡船に乗れる。昔の鉄道連絡船の名残のよう。しかし、もちろん現在は鉄道との接続はなく約20分間隔の運航で、所要時間は約5分だ。関門海峡と巌流島を眺められるから遊覧船のようでもある。しかし、いまもこの船を生活路線として使い、日常的に利用する人がいる。

 関門海峡回遊ルートを楽しむおトクなきっぷ「関門海峡クローバーきっぷ」がある。大人800円。小人400円。「潮風号」「サンデンバス」「関門汽船」を1回ずつ利用できる。

コストで運行を実現できた理由とは

「潮風号」は門司港だけではなく、関門海峡観光の一翼を担っている。路線の正式名称は「平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線」だ。北九州市が線路設備を保有し、平成筑豊鉄道が営業する。平成筑豊鉄道は筑豊地域でローカル線を運行する第三セクターで、福岡県も出資している。その線路は前出の通り、休止した貨物線の再利用だ。だから建設費は簡素な駅の設置費用のみ。

 車両も中古品を使ってコスト削減した。機関車南阿蘇鉄道トロッコ列車用の新しいディーゼル機関車を導入する際に、いままで使っていた機関車を譲受した。客車は島原鉄道で運行を終了したトロッコ列車を譲り受けた。

 北九州市が貨物線の観光利用を検討しているとき、幸運なことに島原鉄道南阿蘇鉄道の廃車情報が出た。その情報を知った理由は、私が細々と続けていたブログだったそうだ。当時、北九州市の担当者だったSさんから、お礼のメールをいただいた。今回の取材旅でご挨拶させていただく機会があった。私もこの路線に貢献した1人なのかな、僭越ながら思った次第である。

 さて、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線には「北九州銀行レトロライン」という愛称がある。これは命名権を北九州銀行が獲得したから。銀行が鉄道を運営していると勘違いされそうだけど、この命名権収入も「潮風号」の財源だ。短距離とはいえ鉄道の運営はコストがかかる。そこで増収を見込んで路線名の命名権を販売した。

季節営業の観光鉄道は利益を上げにくい

 当初、命名権は山口県下関市に本社を置く山口銀行が獲得した。路線の愛称は「やまぎんレトロライン」だった。門司港は下関の対岸、北九州市だけれど、山口銀行は北九州市にも多数の支店を構えていた。だから地元の人々にとって親しみがあり違和感もない。でも、観光客から見れば、「なんで山口銀行?」と思ったかもしれない。

 2011年に山口銀行の持株会社「山口フィナンシャルグループ」は、山口銀行の北九州エリアを分割し「北九州銀行」を設立した。これに連動する形で「北九州銀行レトロライン」に変わった。ようやく、地域に根付いた愛称になった。でもちょっと語呂が悪い。「きたぎんレトロライン」にしたいところだけど、「きたぎん」はすでに北日本銀行の略称として使われていた。

 短距離とはいえ、季節営業の観光鉄道は利益を上げにくい。だからこそ中古車両で節約し、命名権で売上を補う。せっかく命名権で愛称が決まったなら、積極的に使わないと権利者に失礼だな、と思う。この鉄道を紹介するときは、なるべく愛称「北九州銀行レトロライン」を使いたい。

JR九州とつながっていた線路を……

「じつは、もうひとつ、コスト削減の秘密があるんです」

 と、当時「潮風号」の実現に尽力したSさんが教えてくれた。いただいたお名刺が当時とは違う。出世されたようだ。

 秘密とは「レールを切る」つまり、JR九州と繋がっていたレールを切断したという。

「もともとこの路線は、門司港駅を通じて貨車を直通していました。だからJR九州と線路はつながっていました。しかし、JR九州の列車が乗り入れ可能となると、JRの幹線と同じ高度な安全基準に沿って運用しなくてはいけません。そこはとてもコストがかかる。こちらは1本の列車が単純往復するだけですから、もっと簡易な保安設備で良いんです」

 レールを切るという提案には抵抗も多かったという。「せっかく繋がっているモノをもったいない」「将来、直通列車を運行する可能性が消える」などだ。

「いつ走るか解らない列車のために、高度な保安設備の費用を払い続ける必要はないです。むしろ、毎日、確実に列車を運行できる枠組みを優先しました」

 生き残るためにJRとのつながりを断つ。これが北九州銀行レトロラインすごいところだ。

写真=杉山秀樹/文藝春秋

(杉山 淳一)

かつて九州の玄関口だった門司港駅