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2015年に一度復活を果たしたタイプ59

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:Tony Baker(トニー・ベイカー)
translationKenji Nakajima(中嶋健治)

 
専門家のジェフ・スクウィレルの協力のもと、ブガッティ・タイプ59は再度のレース参戦に向けてリビルトされた。エンジンやホイール、ボディ、トランスミッションなど多くのコンポーネントを新調。濃紺に塗装され、2012年のレトロモービルでのブガッティ・ブースで再デビューを果たした。

フェンダーや灯火類など、公道走行用の部品も取り付けられていたが、極めて仕上りは上質で、真新しく輝いていた。オーナーのトーマス・ブシャーはタイプ59でレースに出場はしなかったが、2015年のグッドウッド・フェスティバルには参加。筆者は幸運にも助手席に座らせてもらった。

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ブガッティ・タイプ59(1935年

点火タイミングの調整も完璧なエンジンは、極めてスムーズ。59121はとても速く走った。その頃、ヴェイロンを生み出すも、フォルクスワーゲンとの関係に納得していなかったブシャーは、ブガッティを辞任していた。

2016年に、タイプ59はニューヨークのエンスージァストへと売却。彼はチャーリーマーティンが所有していた頃の、オリジナルの状態に近づけたいと考えた。そこで実現に向けて声がかかったのが、ブガッティレストアを専門とする第一人者、ダットンだった。

このクルマは過去の激しいクラッシュを受けたこともあり、「ハンプティ・ダンプティ(とても危ないやつ)」というあだ名を受けていた。ダットンは別のタイプ59スポーツのレストアも担当しており、時間をワープしたかのような、当時の姿を復元する技術に長けている。

公道も走れるように信頼性を向上

ジェフは59121をレースに復帰させたいと当初話していました。しかし彼は、すべてのオリジナルパーツを保存するという、先見的な考えも持っていました」 とダットンは話す。

最初の課題は、ファクトリーエンジンを救い出すこと。クルマ購入する際の条件だったという。エンジンは現役時代に何度かブローしている。初めは1935年にコンロッドブロックを破っている。1947年にはシリンダーヘッドに大きな亀裂が入った。当時のドライバー、アベカシスは鉄板でとりあえず直し、レースに参加したらしい。

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ブガッティ・タイプ59(1935年

「エンジンの救済方法は1カ月ほど掛けて考えました。大規模な修復作業を行いつつ、置き換える部分の検討を重ねました」 と作業を振り返るダットン。

「溶接部分の歪みが悩みどころでした。作業が必要な部分はエンジンの前面部分に集中していました。カムギアなどがエンジン後方だった場合、もっと多くの問題を抱えていたでしょうね」

新しいクランクとカムシャフトが用意されたが、後輪への駆動コンポーネントはオリジナルのものを生かした。「工場からの出荷状態に可能な限り近づけてあります。それがゴールでしたから。しかし、新しいプラグやデスビを用いて信頼性は向上させてあります」

オーナーは一般道を走りたいと話していて、修理でアメリカへ毎回渡るのも大変ですからね。1935年当時にマーティンが抱えていたトラブルはもう起きないでしょう。当時のエンジンはオイルピストンを浸透して、プラグを湿らせていたようです」

使い込まれつつ、手入れもされている状態

ダットンはさらに、剥き出し状態のシャシーに手を付けた。状態は悪くなかった。オリジナルのクロスメンバーを元の場所に戻し、4番と刻印されたフロントバーを取り付けた。「オリジナルの部品を探し続けましたが、ブレーキのバックプレートなどは、綺麗すぎ、わざと輝きを鈍くしています」

「目指したところは、使い込まれていながら、手入れも充分にされている状態。1970年代ブガッティレストアでは一般的な手法です。サンドブラスト加工(砂で研磨し艶を落とす加工)もしました。ナットやボルト経年劣化風にし、アルミニウムの酸化皮膜も落としてあります」

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ブガッティ・タイプ59(1935年

複雑な構造のショックアブソーバーも組み直しテストした。「とても良くできたショックですが、調整次第では、ハンドリングや乗り心地を悪化させます」

「すべてを組み直す前に、シャシーはグレーに塗装しました。当時は誰がどのクルマに乗るかわからず、すべてグレーに塗っていたんです。多くの場合、クルマのボディは国の色、ナショナルカラーに塗られてました」

続いてはボディのレストア。ボンネットはオリジナルだったが、テール部分は燃料タンクと一緒に作り直した。シャシーナンバー59124のオーナー、マーク・ニューソンの協力で、形状をスキャニングさせてもらったという。

「マークはとても寛大な人物でした。しかしマークのクルマは右にねじれていたので、新しいテールは左向きに少し修正してあります」 ボディカラーを愛国的な緑色にすることは、ダットンを悩ませた。「良い色目になるまで、グリーンのペンキに黒を加え続けました」

過去の資料を研究し続ける

タイプ59、59121は最初ブガッティ・レーシングのブルーに塗られ、その後グリーンに塗り替えられている。そして最後に、ブルックランズでのレースではテールの先端だけ明るい青に塗られた。排気量が3.0L以上あるクルマを示すマーキングだ。

「古い写真は沢山の手がかりをくれます。わたしたちも日々研究を重ねています。今までに見たことがないからといって、間違った仕様とも限らないのです。すべてが手作りでしたから」 と経験を語るダットン。

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ブガッティ・タイプ59(1935年

「工場の出荷時点でそれぞれが異なり、トムソン&テイラーなどの専門家が開発を続けていました。歴史学者のマーク・モリスの話も参考になりました」 古びたインテリアにするため、ダットンは処理が途中のレザーを入手し、自ら染めて研磨した。屋外での露出や汗などが、独特の風合いを生み出している。

最後の仕上げは、フィッシュテールのブルックランズ・サイレンサー1935年6月のインターナショナル・トロフィーで装着していたものだ。

2018年のレトロモービルで披露されたブガッティ・タイプ59、59121は、最初のオーナーを称えるとともに、その仕上りに圧倒的な賞賛を集めた。

クルマが完成すると、ダットンは一般道で一連のテスト走行をした。早朝、ひと気のない英国中部のコッツウォルズを320km以上走るのが定番らしい。3.3Lの直列8気筒のサウンドがコッツウォルズの丘陵地帯に響き、ダークグリーンのボディは朝日に美しく輝いたことだろう。

感動するほどにスムーズで線形的なエンジン

ブガッティ・タイプ59は、1953年当時グランプリマシンとしては時代遅れでしたが、素晴らしいスポーツカーです。軽量なおかげで、ハンドリングやブレーキもとても優れています。特別なカムを組まずともスーパーチャージャーで常にパワフル。感動するほどにスムーズで線形的に力が増していきます」

「タイプ59はタイプ57由来なので、ロードカートしてはとても良く考えられています。デ・ラム・ダンパーはとても上質な乗り心地を叶えていますし、コックピット内の空間にも余裕があります。T51のように、トランスミッションで左足をやけどすることもありません。特有のタイヤからの響きも、タイプ59ならではです」

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ブガッティ・タイプ59(1935年

今後もレースに参加する予定はないものの、ブガッティ・タイプ59、59121には道路での走行が可能な装備は整えられている。スターターモーターに燃料計、消化器。LEDのブレーキライトが、当時物のリフレクターの中に目立たないように埋め込まれている。

米国へ渡ったタイプ59、59121は、定期的ニューヨーク北部のウェストチェスターの街を走っているという。地元のコーヒーショップへ乗り付け、朝食にベーグルを注文したりしているのだろうか。

自宅のガレージに調子のいいブガッティ・タイプ59が停まっていたら、筆者も一度は試してみたいものだ。


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