「桜を見る会」の炎上が全く収まりません。このまま進むと「サクラ散る、残念」となりかねない勢いです。

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 前稿に私は仕切り直しを明記しましたが、第1次安倍晋三政権などで閣僚も務めた舛添要一さんが「推薦枠なんて初耳(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58265)」と明記しておられるのは、注目に値すると思います。

 戦後日本が主権を回復して以来、「68年の伝統」などではない。それどころか21世紀に入った当初、最初の安倍政権でも、そんなことはなかった。

 一強と言われる安定政権が続き、ついに桂太郎政権を超えて日本近代史上、最長となってしまった。

 そうした中、2010年代の数年の間に発生した変質であることが問わず語りだからこそ最も強く主張されているのが分かります

 また、これも2010年代の現象なのでしょう「サクラを見る会前夜祭」なる「一連の行事」についても、破綻が誰の目にも明らかになっているように思います。

 数年間の間に参加者は急増し1000人に迫る勢いになったが、一貫して参加費用は5000円のまま、と報じられています。

 仮に850人の参加者から5000円ずつ徴収すると425万円で、これをそのままホテルニューオータニに支払ったとしても、「鶴の間」の借料900万円の半分に到達しません。

 実際には寿司やローストビーフアルコールなど各種ドリンクの饗応があるので、帳尻が合っていないのは、子供だって分かります

 東京地検OBの弁護士郷原信郎さんは、首相が証拠を示さずに口頭で述べたように、安倍事務所ホテル名義の領収書を渡していたとしたら、それ自体が大問題(https://blogos.com/article/417854/)であることを、検察官の目で隠れなく平易に解説しています。

 ポイントとしては、何がどう転んでも公職選挙法第199条の2「公職の候補者等の寄附の禁止」ならびに政治資金収支報告書への不記載ないし虚偽記入の政治資金規正法違反の成立は、まずもって避けがたいこと。

 またその立証は「ホテル名義の領収書」類のチェックがなされた時点で、検察として取る態度が確定するであろうことが、簡潔に解説されています。

 真偽のほどは知りませんが、セキュリティチェックなしで入ってきた「国家の功労者」の中に、サクラ吹雪の絵が背中に入ったような灰色紳士が混ざっており、有力閣僚と記念写真撮影、などという話すらネット上では目にしました。

 本当にヤクザが混ざっていたかどうかは、内閣府内閣官房から提出される可能性のある「招待者名簿」をつぶさに当たれば、一目瞭然となるはずです。

 もし代議士推薦枠としてノーチェック内閣府から招待状が発送された中に反社会勢力などが紛れ込んでいた経緯が白日のもとにさらされるなら、ただごとでは済まないかと思います。

 すでに「磁気治療器?」の悪徳商法で多額の預託金を返還しないまま倒産、捜査が続いている「ジャパンライフ」の広告に、元会長宛てに届いた「桜を見る会」の招待状が掲載され、広告塔として利用されていた、といった報道もなされています。

 野党合同の追求チーム~追及本部による各省庁へのヒアリングを通じて、文科省など他の省庁からの「桜を見る会」への推薦は「栄典対象」などの扱いで、名簿は10年クラスの保存文書の扱いであるのに対して、内閣官房の「招待者名簿」だけは、個人情報として直ちに廃棄されている、とする矛盾も明らかになってきました。

「桜を見る会」は本来、県知事であっても全員が毎年呼ばれるようなものではなかった。

 それ以上の国家への功労者が招待される大変に栄誉のあることで、文化勲章、文化功労者、各種勲章の叙勲にも比肩する「国家としての栄誉」なこと、「桜の誉れ」であったはずでした。

 どうしたことかキャバクラ嬢が招待されたらしいとか、誰かと名刺交換したら招待状が来たとか、背中にサクラ吹雪の絵が描かれている人が紛れ込んでいるのでは、といった噂が出回るような話ではありません。

 また、栄誉のある方々の名簿が個人情報として廃棄されるようなものではない。

 天皇・皇后、宮内庁の主催で開かれる「園遊会」同様、その招待は国家行事としての栄誉であって、園遊会の場合は名簿は30年間保存されることになっている。

 どこの世界に「今年の文化勲章は個人情報保護の観点で、お名前は公表しません」という寝言があるでしょうか。

 いったいどこの「秋の叙勲」で、栄典を授与された人の名前を「セキュリティの観点から、名前は伏せ字とさせていただく」という戯言が可能になるのでしょう。

 ただ単にあり得ない仕儀と分かりますが、こうした追及は他のメディアでも行うと思いますので、ここではこれ以上踏み込みません。

 例によって本コラムが専ら検討する、「桜を見る会」と「園遊会」さらに言えばもう一つ存在する、現在は名義上、環境大臣主催となっている「菊を見る会」の3つについて、その本質と、あるべき方向性を示したいと思います。

「菊を見る会」招待名簿を押さえよ

 この種の行事として、日本国は「桜を見る会」と並んで「菊を見る会」なる行事を同じ新宿御苑で開いています。

 これは名義上、環境大臣の主催となっており、今年については11月1日から15日にかけて開催、セクシーでクールな環境大臣の名で案内状が送付されています。

 本コラムは永田町関係者も多数チェックしていると聞き及びますので、野党関係者には、いま終わった直後の「菊を見る会」の名簿を「桜」との比較対照データとして押さえておくことを薦めます。

 菊の方にも後援会その他が混ざっているようなら大問題ですが、比較的健全な招待規模に留まっているとすれば、「桜を見る会」を客観的、合理的に検討するうえで、適切な資料となるでしょう。

 そもそも、天皇皇后の「園遊会」と、いまおかしなことになっている「桜を見る会」とは、双子の兄弟姉妹といっていい関係で生まれました。

「園遊会」の原点は1880年=明治13年秋にスタートした「観菊会」つまり天皇主催の「菊を見る会」(分かりやすいですね、菊の紋章が菊を見る会を主催したわけです)にあります。

 翌1881年の春、今度は「観桜会」つまり「桜を見る会」が開かれたのち、「外交行事」として慣例化します。

 いずれも、条約改正を念頭に、当時は太政官体制で「外務卿」であった井上馨の発案でスタートした、140年の歴史を持つ行事です。

 すなわち、西南戦争を辛くも乗り切った直後から、近代日本の歴史全体と同じ来歴をもつ行事にほかなりません。

 そもそも外交の歴史は近代日本の歴史そのものであって、68年の伝統などというのは、近代日本の足取りを半分以下に見積もる愚かな仕儀です。

 実に近視眼、短慮で、本質を見失っているとしか言いようがない。

 この制度は、長州藩士として生まれ、吉田松陰の松下村塾には学ばず、執政・周布正之助の配慮で1863年に英国に密航留学することができた「井上聞多」が導入したものです。

 井上は、仲間だった高杉晋作久坂玄瑞といった連中が軒並み落命するなか維新後まで命脈を保ち、英国と幕藩体制日本の絶壁のような落差を認識、井の中の蛙の攘夷論から一変して開国派に傾きます。

 岩倉視察団の時期は留守居政府、逆に西南戦争の時期は欧米留学で難を避け、大久保、木戸の両巨頭の死で帰国後、外務卿となって、「イギリス社交界伝統」を日本へ焼き直して導入したものにほかなりません。

 すなわち、英国社交界では、貴族令嬢が初めて国王の前に謁見する「デビュー」を演出する春と秋の「英国式庭園園遊会」を模倣して始まったのが「観桜会」「観菊会」なのです。

 しかし、社交界のデビューといった風習がそもそも日本には存在しませんでした。

 そこで、このような場を設けて各界の要人を一か所に同時に集め、各国要人との対面調整の場をもち、条約改正を筆頭に外交の積極展開に活用することとなります。

 その目的では年に2回では到底足りませんから、3年の期間をかけて(当時は宮大工くらいしかいない日本国内で)洋風建築を苦労して模倣したのが「鹿鳴館」であったことなどは、前回も触れました。

 1880年代初頭から、1938年日中戦争の激化に伴って休止するまで、「観桜会」も「観菊会」も、英国王室をモデルに、天皇皇后が主催する外交社交の場であって、「日本国内の功労者向け、栄典相当の行事」などでは全くなかった。

 これが変質したのは、敗戦とそれに伴う行事の「分岐」が原因となっています。

「園遊会」のセキュリティ

 日中戦争の激化によって1937年の秋に「観菊会」、翌38年春に「観桜会」が各々中止され、太平洋戦争、原爆投下から終戦、敗戦後の占領期を経て、日本が主権を取り戻した1952年4月、国際社会への再デビューを念頭に、首相主催の「桜を見る会」が再開したことにも、前回触れました。

 翌1953年、新憲法のもと「象徴」としての位置が安定化しつつあった皇室と、日本に滞在する在外公館員、大使や大使夫人、そして「大使令嬢」などを含む「社交」の場として復活したのが「園遊会」です。

 当初は、春の「桜を見る会」と対になるものとして「秋の園遊会」として復活したものでした。

「園遊会」と「桜を見る会」は、双子のような存在で、灰燼に帰した日本が戦後復興に向けて国際社会に復帰し、そののち、昭和30年代の高度成長に至る足場を作った重要な外交行事となったわけです。

 春の行事は首相主催、秋の行事は皇室主催。こうした形で「政教分離」ならぬ、国民統合の象徴としての皇室と、行政の主体である内閣総理大臣とをハッキリ分けて示すという意図もあったと思われます。

 これが、現在のように園遊会も春と秋、2回行われるようになったのは高度成長も軌道に乗った1965年(ちなみにこの年の正月、私は生まれました)以降のことです。

 行政の「桜を見る会」と、宮中の「園遊会」が完全に分離した形になり、これに「菊を見る会」が加わって現在に至っています。

 ここで「園遊会」のセキュリティを考えてみましょう。

 天皇皇后と親しく同席する場ですから、ボディチェックその他の検査は厳密を極めます。天皇陛下に突然手紙を渡すといったようなことがあれば、大変な非難が寄せられることでしょう。

「配偶者、令嬢令息」以外は厳密に排除され、2014年豊田真由子衆議院議員(当時)が、偽って母親を配偶者と称して入場させたことは大問題となりました。

 豊田元議員がその後、どういう暴力事件を起こして落選したか、などには触れる必要はないでしょう。

 これに対し、現在の「桜を見る会」は実質的に「内閣総理大臣の園遊会」となっていることが、諸悪の根源と言えます。

 天皇であれば、選挙で選ばれることもありません。

 しかし、首相は公選される代議士で、彼あるいは彼女が主催して、そもそも英国王室における社交界デビューに相当するこのような行事を行うことが、憲政のフレームワークに照らして、怪しいないし不適切である可能性が高い。

 選挙で選ばれる首相が主宰して、文化勲章受章者とか、ノーベル賞をもらったとか、栄典相当の人ではなく、広く一般国民恣意的に「招待」して饗応するような場は、持つことが適切とは思われません。

 今回のごたごたで、今の内閣で日本国憲法に手をつける可能性はゼロになったと思いますが、仮に非常に護憲的、憲法遵守的にふるまったとしても、法治の根本に抵触します。

 そういえば、法治の対概念、人治を答弁で答えることができなかった内閣総理大臣がいたような気がします。

「桜を見る会」のようなくだらない問題に時間を使うことはやめて、もっと大事な課題に取り組むようにと、自称ジャーナリストから芸能タレントまで、いろいろ面白い所説が流れているようです。

 もう少し勉強してから、公で発言した方がいいように、一大学教官の観点から申し添えたいと思います。

 国家の成り立ちの基本に照らして、この行事が近代日本においてどのような意味をもってきたか、それはどう変質し、またどのように退廃して今日に至っているか、前回と併せて過不足なく概観してみた次第です。

 そもそも基本的な国家のフレームワークに直結する性質の問題があります。

 それが野放図な後援会活動その他で、このような体たらくになってしまいました。

 秋の「菊を見る会」の名簿もチェックする必要があるでしょう。横浜とか横須賀とかばかりに、招待者が集中していないことを願うばかりです。

 何分セクシーでクールな気候変動などもありますので、チェックは必須不可欠になるでしょう。桜がこれですから、菊が無事と考える保証は何もありません。

 皇室が春明に行う「園遊会」を参照しつつ。春の「桜を見る会」、秋の「菊を見る会」双方とも、本質的な再検討が妥当であると考えられます。

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