朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO)

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 毎年4月、新宿御苑にて開催される総理大臣主催の「桜を見る会」に、安倍晋三首相や閣僚らの地元後援会関係者らが多数招待されていた問題で、政権への批判が高まっています。

 今年9月に内閣改造を断行し、わずか1カ月半ほどの間に閣僚が2人も辞任に追い込まれるというダメージも癒えぬうちに、今度は安倍首相自身に「公金を使った後援会接待」の疑いがかけられている状況です。事態の着地点はまだ見えませんが、共産党をはじめとする野党の追求も鋭く、首相自身も関わる問題なだけに「モリカケ問題」 (森友・加計問題)ほどの騒動に発展する可能性も取り沙汰されています。

 しかし、私見では、現状を見る限り、政権が倒れるほどの問題に発展することはなさそうです。というのも、現在の安倍政権は、守りが非常に堅い権力構造を作り上げているからです。

桂太郎を抜いて首相在職日数が最長に

 11月20日安倍首相の通算首相在職日数は、歴代最長だった桂太郎2886日)を超えることになります。さらに、このまま安倍政権が続けば、来年夏には、佐藤栄作の7年8カ月の連続在任記録をも破ることになります。

 なぜ安倍首相はこれほど長期間、政権の座を独占することができたのでしょうか。その理由は、安倍首相のリーダーシップとかカリスマ性といった個人の資質よりも、「チーム安倍」とも言うべき組織のマネジメント力の高さにあるのではないかと私は睨んでいます。

 それを説明する前に、まずは安倍政権のこれまで振り返ってみましょう。面白いことに、安倍政権は「予想を裏切る政権」という側面が見えてきます。

 まずは2006年から2007年にかけての第1次安倍政権ですが、このときは5年5カ月も続いた小泉政権の後を受けて発足しました。その後、発足した安倍政権は国民的期待を受け、満を持して「登板」した内閣であり、やはり長期政権化するのではないかと予想されていました。

 安倍さんは、小泉内閣で官房副長官を務めていたときに、北朝鮮への強硬姿勢が注目を浴びてスターとなります。首相就任時の年齢は52歳。戦後最年少の首相で、現在で言えばちょうど小泉進次郎さん的な存在でした。当然、小泉路線を継承しつつ、本格政権になるだろうと思われていたのですが、その予想を裏切って、1年ほどで退陣してしまいました。

 二度目の政権は2012年12月から。このときは、安倍政権が長期政権化すると予想した人はほとんどいませんでした。

 前任の野田首相が解散総選挙に打って出て政権与党の民主党が大敗、自民党に政権の座が転がり込んでくるわけですが、総選挙での自民党の勝利は、ボロボロになった民主党への批判票が集中したという側面が強く、積極的に自民党を選んだ有権者はさほどいなかったように思います。

 しかも総選挙の3カ月ほど前に実施されていた自民党総裁選では、決選投票でこそ安倍さんが勝利しましたが、1回目の投票では石破茂さんの後塵を拝していました。そうした中で第2次政権をスタートさせた安倍さんだけに、「今回の安倍内閣も長続きしないのではないか」という見方が大勢でした。ところがその予想も裏切られ、これほどの長期政権になったわけですから、分からないものです。

 ただ、小泉政権にしても、第2次安倍政権にしても、長期政権の構造を分解してみれば、そこには共通項が見いだせます。

 小泉さんは派閥の長でもなく、子分もいない。「政界の一匹狼」と呼ぶべき存在でした。そんな小泉さんが長期間にわたって政権を握り続けられたのは、永田町霞が関の関係と含めて大きな構造変化が起こっていたからです。

小沢一郎、橋下龍太郎がお膳立てした長期政権

 江戸末期の作と言われる有名な落首に「織田がつき羽柴がこねし天下餅、座して喰らうは徳の川」というものがあります。これは徳川政権が長く続いたのは、織田信長が断行したさまざまな改革と、豊臣秀吉による太閤検地などの制度整備があったお陰だ、という意味です。そのひそみに倣って、「小沢がつき橋本がこねし天下餅」を座って食べたのが小泉さんだったと言われたりもしています。

 小沢一郎さんがついたのは、選挙制度改革という餅でした。細川内閣時代に、実質上、小沢さんが主導して選挙制度改革が進み、小選挙区制を導入し、二大政党制への道筋を作りました。小選挙区制では与党の候補者は一人になるので、党首の公認権はとても大きな権限となります。さらに橋下龍太郎さんは、首相の権限強化を伴う内閣機能の見直しを実施します。これにより、首相の基本方針発議権を明確にするなど、官邸機能が強化されました。こうして、与党の総裁として、また内閣を統べる総理大臣として、首相の権限は格段に強くなるわけですが、こうした条件が整備された中で小泉政権は発足し、またこれらをフルに活用し切ったからこそ、長期政権が実現したのでした。

 自公連立政権だった小泉政権下で日本でも徐々に二大政党制が定着していきます。すると、それぞれの党では「党の顔」としても党首の力が非常に大きくなってきました。

 二大政党制での選挙は、党の顔によって各候補者の得票数が大きく変わってきます。なによりも、先述のとおり、選挙区ごとの公認権を握っているのもその党首です。党首が、各候補の政治生命を握っていると言っても過言ではありません。こうして党内で絶大な権限を持つようになった党首が政権を獲れば、党内から足を引っ張られる可能性は少ない。つまり長期政権化する、と解説されていたのです。実際、小泉さんはその権限をフルに使い、長期にわたって政権を維持しました。

 ところが第1次安倍政権は、前述のように1年ほどで終焉しました。短命の一番の原因は参議院選挙での敗北です。二大政党制ではねじれが生じやすくなります。いくら首相や党首としての権限、官邸機能が強化されても、議会でねじれが生じてしまうと、法案を通すことが極めて難しくなり、政権運営がたちまち行き詰まってしまうのです。

 安倍政権が倒れた後も、ねじれの構図は変わらず、福田政権、麻生政権もそれぞれ一年ほどでバタバタと崩壊していったのです。

 逆に、議会でのねじれさえなければ、強化された官邸機能を十分に活用して、強力な政権を作ることができます。

 第2次安倍政権はまさにそういう政権でした。そしてそれは冒頭の方でも書いたように、安倍さん自身の強力なカリスマ性などというよりは、チーム安倍の運営力、マネジメント力の賜物だと思うのです。これがよく言われる「官邸一強」と呼ばれる状況です。安倍首相のリーダーシップは確かに強いですが、それはもともと安倍さん本人が備えていた資質というよりも、首相がリーダーシップを発揮しやすい仕組みが、さまざまな制度改革の末に出来上がっているから、と見るべきなのです。

前半は「攻め」、後半は「守り」

 この第2次安倍政権も私が見るところ、前半と後半でだいぶギアの入れ方が変わってきているようです。

 前半は、第1次政権が不本意な形で終わってしまったこともあったのでしょう。リベンジに燃えるような、「今度はやるぞ」といった気合が感じられ、かなり「攻め」の政策が多く実施されました。思い切った金融緩和に代表されるアベノミクスの実施、農業票の関係から党内で圧倒的に反対者が多かったTPP参加への道の切り開き、少し時期は後になりますが支持率を削っての安保法制の可決・施行もそうでしょう。

 それに対して後半は、どちらかと言えば守りに徹している印象です。これは、ただじっとして何もやらないという意味ではなく、いろいろ起こる事象に対して上手く対処し、トラブルの芽を巧みに摘み取っているというイメージです。アメリカのトランプ大統領、韓国の文在寅大統領のような、想定外の行動を取る人物への対応も上手くこなしている。消費税増税にしても、2014年4月の8%への引き上げが不評だったので、10%への引き上げは2度延期した後、今年10月に実施されました。その慎重な姿勢が功を奏し、今回の引き上げは、前回のような大きな反発は起こっていません。そういうところを見ても、まさに守りが堅い政権です。経営学者の三品和広さんは、世の中すごく変わった時に上手に受け流して対応していく様を、柔道の受け身に見立てて「柔道のメタファー」と呼んでいますが、まさに第2次安倍政権、特に後半はこの受け身が非常に巧みなのです。これが、政権が長期化している秘密であり、ちょっとやそっとの騒動などでは倒れない要因だと思うのです。

予想外だった内閣人事局の副作用

 攻めにしても守りにしても、その司令塔となっているのは官邸です。官邸のパワーが強い時には、政権は長期化します。官邸の能力を使いこなせない政権は、短命に終わります。

 実はこの官邸の権限強化には私自身もいくぶん関わっています。元々、新しい霞ヶ関を創る若手の会の代表として、縦割り打破のための霞ヶ関の司令塔機能の強化を訴えていましたが、そんな中、第2次安倍内閣時代の2013年11月、当時すでに経産省を辞めて青山社中を旗揚げしていた私は、法案審議の際に国会に参考人として呼ばれ、内閣人事局の創設をメインとする公務員制度改革を訴える機会を与えられました。この法案は、結果的には翌2014年5月末、現実となりました。こうして各省庁の審議官以上の人事は、内閣人事局、すなわち「官邸」の要である官房長官や官房副長官の力がかなり強く及ぶような形で決まっていくようになったのです。

 私が内閣人事局の必要性を強調したのは、それまでの霞が関は省庁ごとの縦割り行政が横行し、省庁間の足の引っ張り合いが日常茶飯事だったからです。これを是正するためには、霞が関の幹部の人事は官邸で一元的に行い、霞が関の官僚を同じ方向に向けさせる必要があると痛感していたからです。

 その目的は、内閣人事局の設置で、官邸さえその気になればほぼ達成できる形となりました。それにより官邸の権限はますます大きくなり、政権の長期化を促すことにもなっていると感じています。

 ただ残念ながら、その一方で、私が予想していなかったような弊害も目に付くようになってきています。それは霞が関の「草食化」です。

 例えば冒頭でも触れた「モリカケ問題」ですが、これは霞が関の役人たちによる官邸への忖度の中で生まれた事件でした。首相自身や官邸自体が何か指示をしたというよりも、「官邸がこう思っているんじゃないか」とか「官邸はこういう方向に行こうとしているんじゃないか」という具合に、霞が関が勝手に官邸や総理の考えを推し量って動くようになってしまっているのです。

 ただし、それでも私は、官僚による忖度よりも、霞が関の縦割りのほうが、弊害が大きいと思っています。縦割り除去のためにも、官邸が人事を使って霞が関全体ににらみを利かせる態勢は必要です。

霞が関の人材難が始まっている

 一方、官邸機能が強化されていく中で、この忖度文化は、それはそれとして改めなければなりません。霞が関の役人が官邸の意向をルールを逸脱してまで過度に推し量るのは論外ですが、そもそも、言われたことだけをしていればいいというわけでもありません。もっとアグレッシブに新しい政策を立案し、世の中の仕組みを変えていかなければならないのです。そうした意欲ある官僚たちがダイナミックにいい政策を作っていくためには、例えば、官邸が中心となって霞が関内部(場合によっては外部も含む)から案を募る政策コンテストのようなものを実施し、優れた政策は取り入れていくような方策が必要ではないでしょうか。逆説的ですが、政治主導で、若手官僚のやる気を引き出す対策が早急に必要だと感じています。

 私の古巣である経済産業省は、かつては非常に元気のいい官僚がひしめいていましたが、今はずいぶん大人しくなってしまっているように思います。現在の安倍政権は、「経産省主導政権」とも称されています。経産省出身の今井尚哉氏や長谷川栄一氏が首相秘書官(今井氏は現在は補佐官の肩書も)や補佐官として霞が関全体を仕切っていると言われているからです。そうであれば、彼らの出身母体である経産省も「我が世の春」を謳歌していそうなものですが、実はそうではありません。聞くところによると、この一年だけで、定年や定年近くなって辞める方を除いた、若手・中堅のキャリア官僚が25名も退職しているそうです。一方で私が入省した当時に比べ、キャリア官僚の採用人数は激増していますし(私の同期は37名。今年は50名近く入ったと聞いています)、加えて、中途採用にも乗り出しています。そうでもしないと、とても人手が足りずに組織が回らなくなっているのでしょう。

 これは、官邸を中心として霞が関全体に上意下達の指揮命令系統ががっちりいきわたり過ぎてしまったために、主体的に政策を考えるという意味で官僚たちの意欲が著しく低下していることに原因があるのではないでしょうか。

 経産省に限った話ではありませんが、このままでは霞が関から優秀な人材が次々といなくなってしまいます。若い世代になればなるほど、当然ながら、官邸の意向を汲むような仕事しかしたことのない人材の比率が高まっていきます。ここで思い切って、官邸が若手の政策や提案を吸い上げる仕組みを作り、彼らに自由闊達な活躍の場を与えていかないと、この国を支える幹はどんどん細ってしまいます。国家百年の計に思いを巡らせば、クリエイティブな思考ができる役人の育成も不可欠です。そうした改革も、史上最長の政権となる可能性が濃厚な、力のある安倍政権で実行してもらいたいと願います。

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