ドラマイズム「左ききのエレン」(TBS毎週火曜日深夜1時28分 MBS毎週日曜日深夜0時50分)、今夜「第5話 普通の人生じゃ、やだよ」。

だったら、サラリーマンやれよ
「第4話 サラリーマンやれよ」は、流川編。
「本物のアーティストでもねえくせによ」
営業の流川俊(吉村界人)が、光一に言う。
「アーティストには…なれなかったんですよ…」
朝倉光一(神尾楓珠)が答えると、流川が言う。
「だったら、サラリーマンやれよ」

流川は、コピーライター志望だった。
営業の仕事を終えて、先輩たちの呑みの誘いを断わり、サラリーマンの象徴である革靴を脱ぎ、ネクタイを外す。
引き出しから、本を取り出し、線を引きながら読みはじめる。

このとき流川が読んでいる本が、『広告コピーってこう書くんだ!読本』(谷山雅計/宣伝会議)だ。
新潮文庫「Yonda?キャンペーン」や東京ガス「ガスパッチョ!」などを手掛けるクリエイティブディレクター/コピーライターが書いた本。
この本のなかに、次のような話が出てくる。

常識とコピーと芸術
“いまからお話するのは、ぼくが考える「常識とコピーと芸術」の三分法です。
ある意見を人に言ったときに、それを聞いた受け手の反応は大きく3つに分かれると、ぼくは考えています。
それは、「そりゃそうだ」と「そういえばそうだね」と「そんなのわかんない」。”

そして、「そりゃそうだ」、つまり誰もが知ってることを言ったときの返答があるのが、「常識」。
「そんなのわかんない」とか「はぁ?」が、(少し極端かもしれませんが、とエクスキューズをつけたうえで)「芸術」。ほとんどの人が知らないこと。
そして、「あ、そういえばそうですね」と答えてくれたとしたら、それが「コピー」だ。
コピーは“「そりゃそうだ」の常識と、「そんなのわかんない」の芸術のあいだにある「そういえばそうだね」の部分”である、と。

アーティストなのか、サラリーマンなのか
相手先のおえらいさんが演歌歌手荒川さとこのファンなので、彼女を起用しろと部長が言う。
ティーン向けの商品だからマッチしないのにもかかわらず、だ。
納得のいかない光一。
アーティストなのか、サラリーマンなのか。
選択をつきつけられた光一は、どうするのか。

ストロベリーじゃないと描けない
山岸エレン池田エライザ)は、アーティストだ。「芸術」である。
エレンは、まだ、どこにもないもない何かに手を伸ばし掴み取り、それを描こうとする。
しかも、エレン自身が「わかんない」。

加藤さゆり(中村ゆりか)が、買い物して帰ると、紙袋を奪うように取る。
さゆり「お礼とか求めない。せめてお帰りぐらい言ったら」
エレンストロベリー味たのんだだろ!」
さゆり「売り切れだったの」
エレン「オレンジじゃダメなんだよ」
オレンジ味のグミを叩きつける。
エレンストロベリーじゃないと描けないんだよ!」
だが、描いていた絵は、すでに黒く塗りつぶされている。
さゆりエレンは、きっとひとりで閉じこもっているだけじゃダメなんだよ」
エレン「は? おまえに何がわかる」
わかんない。

決めるのが早すぎる
「だったら、サラリーマンやれよ」と言われた光一。
「営業のみんなだって、わかってくれる」と流川の個の顔を見ないまま、突っ走る。
案の定、流川に否定される。
朱音優子(田中真琴)から流川のエピソードを聞き、三橋由利奈(今泉佑唯)から、「これじゃなきゃダメだって決めるのが早すぎる」とアドバイスをもらい、やり方を変える。

A方向28案、荒川さとこ(鳥居みゆき)起用案。「これ、いいじゃない」と部長。
B方向30案は、荒川さとこを起用しない案。面白さを第一にした案だ。
これで終わりかと思えば、
「次、C方向」と朝倉光一が切り出す。
「荒川さと子を起用し、かつ面白さを加味したAとBの折衷案になります!!」
あいだの案を出してきた。

おれたちはクリエイターだし、サラリーマンなんで
「朝倉、C方向まで出したのお前だろ、なんでだ」
と流川に聞かれ、光一は答える。
「やっぱり、自分のやりたいことだけやってたらダメだと思って。おれたちはクリエイターだし、サラリーマンなんで」
アーティストなのか、サラリーマンなのかの二者択一ではなく、クリエイターとサラリーマンのあいだを選び取った。

クリエイターを憎んでいた流川は、革靴を脱ぎネクタイを外す。
コピーライターを目指して、ひとりがんばっていたときと同じように。
そして、案のしぼりこみをはじめる。
流川が検討している映像に、エレンの姿がはさみこまれる。
叩きつけたオレンジのグミを拾って、食べるのだ。

両極に揺れながら、少しずつ人の気持が変わっていく。そのことを、説明ではなく画で見せてくれた。(テキスト:米光一成