(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

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 天皇陛下の即位をお祝いする「即位式正殿の儀」と「祝賀御列の儀」が無事終了したが、今週末には、またまたビッグイベントが控えている。ローマ教皇フランシスコの訪日だ(2019年11月23~26日)。ローマ教皇の日本訪問は、前回のヨハネパウロ2世以来38年ぶりとなる。

 教皇フランシスコの海外訪問は、今回で32回目なるが、アジアでは5回目となる。今回のタイ訪問と日本訪問がどう位置づけられるのだろうか? これまでのアジア訪問を踏まえて考えてみたい。

(注)現在、日本では「ローマ教皇」と「ローマ法王」という2つの呼称が併用されている。政府やマスコミは「ローマ法王」と呼称するが、日本の司教団は「ローマ教皇」に統一している。

韓国、フィリピン、トルコ、スリランカのキリスト教

 今回の訪日は、フランシスコにとっては32回目の海外訪問となるが、日本単独の訪問ではなく、タイと日本でセットになっている。タイと日本を合わせて8日間の日程だ。本日(2019年11月20日)の午後12時30分(現地時間)にタイのバンコク入りする。

 アジアでは、まずは韓国(2014年8月)を皮切りに、ついでトルコ2014年11月)、スリランカフィリピン2015年1月)、そしてバングラデシュミャンマー2017年11月12月)を訪問している。キリスト教人口が多いだけでなく、カトリック人口の多いフィリピンや韓国の訪問は当然のこととして、なぜトルコスリランカ、そしてバングラデシュミャンマーを訪問しているのか、それぞれの国の事情について簡単に整理しておこう。

 韓国は人口の3割強がキリスト教である。約2割強の仏教人口を上回っており、キリスト教は都市部では圧倒的な存在感を示している。李朝時代の強制的な儒教教化によって、仏教が山間部に追いやられてしまった名残である。キリスト教の普及が本格的に始まったのは日本の植民地時代、とくに「三・一事件」以降とされる。

 韓国では、カトリック人口は全人口の1割を占めており、しかも増加傾向にあるという。「従北・反日政策」を遂行している現在のムン・ジェイン文在寅大統領は、意外なことにカトリック教徒であり、大統領就任後も礼拝に参加しているという。洗礼名はテモテ。テモテは、初期キリスト教会の基礎を作り上げたパウロの協力者で弟子である。

 2014年の韓国訪問の際に大統領としてフランシスコを迎えたパク・クネ朴槿恵)前大統領は、キリスト教系のカルト宗教に取り込まれたことが失墜の原因となったが、中高時代にはミッションスクールカトリック教育を受けており、洗礼も受けているようだ。このほか大統領経験者では、ノ・ムヒョン(盧武鉉)氏はカトリックの洗礼は受けていたが無宗教のため最後は自殺、キム・デジュン(金大中)氏は熱心なカトリック教徒であった。

 カトリックスペイン植民地であったフィリピンは、アジアではナンバーワンでかつ世界有数のカトリック国である。人口の8割がカトリックである(キリスト教徒は人口の9割)。そもそもフィリピンという国名は、カトリックの擁護者であるハプスブルク家のスペイン国王フェリペ2世にちなんだ命名だ。全人口の9割がキリスト教徒で、その大半がカトリックである。ただし、ミンダナオ島を中心としたフィリピン南部はイスラーム地帯である。

 トルコは、ムスリムが99%を占めるマジョリティであり、しかも現在のエルドアン大統領イスラーム色を前面に打ち出した公正発展党(AKP)の党首である。だが、歴史的にみれば現在トルコの最大都市であるイスタンブールは、かつてのコンスタンティノープルであり、ビザンツ帝国(=東ローマ帝国)時代以来、オスマン帝国時代も東方正教会の総主教座はイスタンブールにあった。ちなみに、コンスタンティノープルの命名は、ローマ帝国時代にキリスト教を国教化したコンスタンティヌス帝にちなんでいる。

 教皇フランシスコがエルドアン大統領からの訪問要請に二つ返事で応じたのは、東西両教会の対話推進とキリスト教の再統一促進も理由の1つにあったようだ。キリスト教会が11世紀の東西に分裂して以来、西欧を中心とするカトリックと、ギリシアロシア東欧を中心とする中心とする正教会に分裂したままとなっているのである。前任のベネディクト16世の発言が反イスラームと誤解された件の解消も必要であり、訪問要請は渡りに舟だったわけだ。

 スリランカは、キリスト教国ではない。仏教国である。スリランカは、インドで仏教が滅亡したのち上座仏教の中心地となっているが、キリスト教は人口の8%弱も存在するのである(このほかヒンドゥー教が13%弱、ムスリムが10%弱)。インド洋の中心に位置するスリランカには、早い段階からポルトガル人が交易のため入ってきており、それにともなってカトリックの布教が行われた。首都コロンボにはその当時に建設された教会が現在でも使用されているが、今年2019年4月の復活祭(イースター)には、カトリックの教会と信徒を狙った大規模なテロ事件が発生している。

 バングラデシュミャンマーセットの訪問であったが、この2カ国は隣国であり、前者はムスリムがマジョリティ、後者は仏教がマジョリティであって、いずれもキリスト教国でもカトリック国でもない。この2カ国にかかわるのはロヒンギャ難民問題だ。フランシスコは、異宗教間の対話をつうじて、間接的に平和的な解決を促すことを意図したのであろう。

日本とタイの仏教国としての共通性

 さて、これまで行われたローマ教皇のアジア訪問について見てきたが、今回の訪問国である日本とタイがカトリック教会にとってどういう意味をもつのか考えてみたいと思う。この機会をつうじて、キリスト教とのかかわりを軸にして、タイと日本の比較もしてみたい。

 日本とタイは、ともに西欧列強の植民地とならなかったこと、立憲君主国であることが共通しているが、よく強調されるのは、日本もタイもおなじ「仏教国」という共通点があることだ。とはいえ、仏教の中身が異なることに注意しておく必要はある。日本は大乗仏教だが、タイは上座仏教(=テーラヴァーダ仏教)である。さらに言えば、タイにはムスリムが全人口の4%いることが日本とは大きく異なる。

 先にも触れたように、日本もタイもキリスト教人口は1%以下で、しかもカトリック人口は0.5%未満である。それにもかかわらず、南国の仏教国タイでも、本来はキリスト教の祭礼であるクリスマスバレンタインデーが日本と同様に大々的に祝われている。融通無碍(ゆうづうむげ)というべきか、いい加減というべきか、日本とタイは似た者同士だ。

 基本的にインド文明圏に属しているタイでは、とくにバンコクのような大都市ではヒンドゥー教の神々が信仰対象として隆盛だが、インドのカースト制度はまったく導入されなかった。中国文明の大きな影響を受けながらも、宦官も科挙も取り入れなかった日本との共通性があるといっていいだろう。主体的にセレクトしているのである。

キリスト教受容を軸にした日本とタイの違い

 ところが、キリスト教の受容という観点からみると、日本とタイでは大きな違いがあることに気がつく。

 日本にキリスト教が入ってきたのは、1549年のことだ。語呂合わせで、「以後よく拝めキリスト教」と覚えている人も少なくないと思う。イエズス会の創設メンバーの1人であるフランシスコ・ザビエルが、インドで出会った日本人の手引きで来日したときから、今年で470年になる。仏教伝来の1000年後のことである。

 戦国時代末期には、過酷な現世で苦しみ、来世での幸せを願う一般民衆のあいだで爆発的に拡がったが、世界史的にもまれに見る、度重なる徹底的な宗教弾圧でほぼ壊滅状態となった。徳川幕府は、既存の仏教教団を利用して、宗門改めによる寺請け制度による精緻な民衆監視システムを作り上げたが、その後、潜伏キリシタンとして生き延びる者がいた事情は、比較的よく知られていることだろう。

 キリスト教が弾圧された理由は数々あるが、ポルトガル王国をバックにしたイエズス会が開拓した日本で、あとから新規参入してきたスペイン王国バックにしたフランシスコ会、ドミニコ会との競合で状況が混乱したことも無視できない。宣教方法をめぐる泥仕合の結果、カトリック勢力は共倒れとなったのだ。

 イエズス会が、原理原則は維持しながらも現地の状況に合わせた布教を行う、いわば異文化マネジメントともいうべき手法を採用したのに対して、フランシスコ会とドミニコ会は、ローカルな事情を無視して原理原則を押しつけようとした。ところが、後者の手法でキリスト教への強制改宗を行ったフィリピンでは、カトリックが強固な基盤を確立することになったのは皮肉な話である。時代の先を行きすぎていたイエズス会は、1773年に教皇クレメンス14世から解散命令が出されている。復活したのは約30年後の1814年のことだ。

 地理的にみて日本よりも西洋に近いタイは、キリスト教の上陸そのものは日本よりも早い。1513年のことである。港市アユタヤにやってきたポルトガル商人たちはカトリック教徒であった。だが、本格的なカトリック宣教が開始されたのは、日本に遅れること1世紀後の1669年のことだ。今年はちょうど350年となる。教皇フランシスコがタイを訪問するのは、それを祝うのが主目的であることはすでに述べたとおりだ。

 日本でキリスト教が禁教となったあと、イエズス会宣教師や迫害を逃れた日本人キリシタンがタイに渡航している。

 当時、タイでカトリック宣教の中心となったのは、創設まもないフランス系の「パリ外国宣教会」であった。もともと中国とベトナムでの宣教を目的としていたが、アユタヤのナーラーイ王が宗教的に寛容であることを知って、タイを拠点とすることにしたわけだ。ところが、キリスト教優遇に反対する勢力によってナーラーイ王は王位を簒奪され、キリスト教は禁止されるに至る。一時期1万人を超していたキリスト教徒は、その後の激動の時代を経て18世紀末には1000人に減少、「パリ外国宣教会」によって本格的に再興が開始されたのは1828年のことである。

 その30年後の1858年には、日本でのカトリック復興が開始されることになった。担い手はタイとおなじく「パリ外国宣教会」による。だが、外圧によってキリスト教が実質的に解禁されたのは、1873年(明治6年)になってからである。なお明治維新に際しては、キリスト教だけでなく、廃仏毀釈という形で仏教も激しく弾圧されている。

 以上見てきたように、仏教国タイではキリスト教が禁止されたこともあるが、日本のような過酷な弾圧が行われたことはない。この点は、基本的に宗教に寛容なタイの特性といえようか。とはいえ、タイにおいてもキリスト教、とくにカトリックの普及は現在も微々たるものである。タイ人と仏教の関係は、日本人と仏教の関係以上にきわめて強固なものがあるためだろう。タイでは、基本的にブッダ入滅から始まる仏暦(=仏滅紀元)が使用されている。ちなみに、西暦2019年はタイでは仏暦2562年となる。

 日本には伝統あるミッションスクールが多いが、キリスト教に受洗する人は少ない。タイにもミッションスクールはあるが、受洗する人は少ない。タイのカトリック教徒は、ベトナム系か華人系が多いようだ。両国ともに、キリスト教人口もカトリック人口も増加するとは考えにくい。

 こうした状況であるにもかかわらず、バチカンが日本を重視しているのは、国際プレイヤーとしての位置づけの高さがその理由であろう。タイの場合は東南アジアの大国であると評価されているのであろうか。確かなことはわからないが。

バチカンが中国に歩み寄り?

 今回のタイと日本の訪問で、教皇フランシスコのアジアの訪問国は合計8カ国となる。では、次のアジア訪問国がどこになるのか、大いに気になるところだ。

 アジア各国から訪問要請が来ているようだが、フランシスコ本人はできれば在任中に中国訪問を実現したいのではないかと、私はひそかに推測している。2018年10月にはバチカンを訪問した中国の司祭が、中国訪問を要請しているようだ。

 とはいえ、カトリック教徒が少なからず存在する台湾をさしおいて、巨大なマーケットである中国に接近するバチカンの姿勢に危ういもの感じるのは、カトリック信者でもキリスト教徒でもない私のような人間だけではないと思う。というのは、バチカンは司祭の任命権をめぐって中国共産党とは長年にわたって対立関係にあるからだ。バチカンと正式な外交関係を結んでいるのは、現在でも中華民国(=台湾)である。もともと反共産主義の立場を貫いてきたバチカンだが、近年その姿勢に軟化傾向が見られることもあり、バチカンと中国の関係がどうなるのか国際的に注視されている。このことは日本人も知っておくべきだろう。

 ローマ教皇の海外訪問の政治的意味については、今回の日本訪問の意味も含めて、よく考えてみる必要があるのだ。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  いよいよローマ教皇来日、フランシスコはどんな人?

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