「子どもにとって一番大事なのは、自分の味方になってくれる大人がいるってことだ。あの子たちは幸せだ」

井上真央主演、岡田惠和脚本のNHK土曜ドラマ「少年寅次郎」が最終回を迎えた(20日深夜0時55分より再放送)。

国民的人気を誇った映画「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎の少年時代の物語。原作は山田洋次による『悪童(ワルガキ) 小説 寅次郎の告白』。映画とドラマの関係については、こちらの記事をご覧ください。

冒頭のセリフは、井上真央演じる寅次郎の育ての母・光子が、おいちゃん、おばちゃんこと竜造(泉澤祐希)、つね(岸井ゆきの)夫婦に語ったもの。本当に大切なことだと思う。

母親役が板につきすぎる井上真央
昭和24年9月、寅次郎は12歳。ろくでなしの父親、平造(毎熊克哉)に反抗し、初めて家出した寅次郎は、啖呵売を生業にする般若の政吉(矢崎広)と出会っていた。

般若の政吉ならぬ「般若の政」は、映画シリーズ第39作「男はつらいよ 寅次郎物語」にテキヤ仲間の名前として登場する。寅次郎(渥美清)が彼の遺した子どもの母親探しを手伝うという物語で、奇しくも光子の言葉どおり、寅次郎自身が子どもの味方になる物語だった。同作のオープニングにはシリーズで唯一、平造と光子が登場していた(シルエットのみ)。

話はドラマに戻る。家出中の寅次郎は帝釈天の防空壕にいた。さくら、竜造、つねが連携して寅次郎に弁当を届けたりしていたのだが、光子はお見通し。寅次郎を迎えに行き、こんなことを言う。

「帰ろう、寅ちゃん。あんたがいないとつまらないよ。寂しいよ、私。帰ろう、ね」

行いの善悪や「お前のためだ」みたいなことを言わないところが粋だ。常識などではなく、自分自身の感情を素直に出しただけから、寅次郎もふりあげた拳を下ろしやすい。

腰を痛がる光子をおんぶする寅次郎。おんぶされているときの光子の幸せそうな顔といったらない。井上真央は本当に母親役が板についている。「大きくなったんだねぇ、寅ちゃん」と言うが、井上真央を子役時代から観ていた人にとっては、同じことを彼女に言いたくなるだろう。

光子、亡くなる
光子の腰の痛みに気がついたのは寅次郎の担任・散歩先生(岸谷五朗)だった。

「女の人は我慢強いからなぁ。やれ、どこが痛いだの、具合が悪いだの、大騒ぎするのは全部男だ。我慢してしまうんだよなぁ、女の人は」

散歩先生が語っているのは昭和の女性像だが、現代にもこのような価値観はどこか残っているように感じる。光子を病院に連れていくため、一休さんの真似をして一計を案じる御前様(石丸幹二)と、見え透いた芝居をする竜造たち。コミカルな演技なのに悲痛なBGMが流れ続けるのはミスマッチだが、それぐらいこの先の悲劇が大きいということ。

診察はすい臓がん。すでに手の施しようがない状態だった。

「俺は認めねぇ、そんなことは。冗談じゃねぇ。やなこった。俺は認めねぇ。お断りだ」

つきつけられた現実を全否定する平造。光子に病名は隠されていたが、平造は酔っ払って病室にやってきて、こう言ってしまう。

「死なねぇ、死なねぇ、死ぬわけがねぇよ。冗談じゃねぇ」

光子はこの一言ですべてを悟ったのだろう。この回は、何度もフォーカスアウト(ピントがだんだん外れていく)する演出が使われていたが、まるで画面が涙で滲んでいるようだった。

大事な話をしようとする逃げる寅次郎。病室で光子と真正面から向かい合う竜造とつね。病床の光子に「元気か?」と語りかける平造。それぞれの性格がよく出ている。こうして並べると、やはり寅次郎と平造はよく似ている。

ためらいながら、光子の手を握る平造。うれしそうにその手に頬ずりする光子。ろくでなしの極みのような男・平造の小さな愛が強調されていた。

光子は息を引き取る。知らせを受けた寅次郎は、突っ伏して泣くことしかできない。

最終回を引っ張った平造役・毎熊克哉
平造は光子の葬儀に現れなかった。酔っ払って帰ってきた平造は、喪主の代理を務めた寅次郎を泣きながら嘲笑う。

「笑っちまうね、あの捨て子がね。感謝しねえとなぁ、光子に。光子がいなかったらお前、あのまま冬空でお前、のたれ死にしてたんだからな!」

これを聞いた寅次郎は「母ちゃん、ごめん」と呟き、平造を突き飛ばして馬乗りになるとゴツゴツと重い鉄拳を振り下ろす。鯉を釣っている寅次郎に隠れてアドバイスを送るなど、ほんの少しだけ父親らしいことをした平造だったが、どこまでもひねくれていて、どこまでも愚かだった。親子の関係は完全に破綻した。

寅次郎は「さくらを頼みます」と頭を下げて、家を出て行く。自分はここにいないほうがいい。家にいれば、いつまでも平造と争うことになる。それは幼いさくらにとって良くないと考えたのだろう。

暗闇の中、駅まで寅次郎についていくさくら。「男はつらいよ」のBGMが流れる。駅のホームでさくらが兄の財布に自分のお小遣いを足すが、これは第11作「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」でさくら倍賞千恵子)が兄の財布にお金を入れる名シーンを踏襲したもの。

平造も寅次郎をあわてて見送りに来るが、「青い山脈」を歌いかけてやめる。「青い山脈」は昭和24年の大ヒット映画で、主題歌も非常に有名。「これからは若者の時代だ」という、流行歌が大好きな平造なりのエールだったのだろう。

こうして寅次郎は、般若の政吉の指導のもと、香具師としての道を歩むことになる。「フーテンの寅」の第一歩を踏み出したというわけだ。
「男はつらいよ」(テレビドラマ版 DVD)


最終回を引っ張ったのは、平造を演じた毎熊克哉だった。どうしようもないほどのろくでなしで、愚か者で、ひねくれていて、人間の弱さ丸出しなのに、似た者同士の寅次郎には徹底的に冷たくあたる。

製作統括の小松昌代氏は「調子良くとぼけるところなど、まるで渥美さんの寅さん。平造のDNAは確実に寅次郎にも受け継がれている。寅次郎を見ていると、自分を見ているようで素直になれない不器用さを毎熊さんも意識して演じていたと思います」とコメントしている(Drama&Movie 11月16日)。毎熊克哉自身は子どもを罵る演技に苦労していたらしい。

車一家は「古き良き日本の家族」?
男はつらいよ」は、ろくでなしのアウトロー、フーテンの寅さんが葛飾柴又に舞い戻り、一騒動も二騒動も起こすが、それをまわりの人が温かく見守って受け入れるという物語である。寅さんはマドンナに振られて、また旅に出るのがパターンだ。

その物語のベースにあるのが、古き良き日本の下町の風景であり、古き良き日本の伝統的な
家族の姿である――というのが、これまでなんとなく理解されていた「男はつらいよ」像だっただろう。

だが、そんな理解にやんわりと異を唱えたのが「少年寅次郎」だったような気がする。

振り返ってみれば、車家は大変複雑な家族構成だ。寅次郎は捨て子で、光子は継母、さくらは異母妹、実父の平造は憎悪の対象で、叔父の竜造と叔母のつねは家に出たり入ったりしている。家父長がどっしり構えて、妻(母)がそれを支え、子どもたちが従うといった「古き良き日本の家族」なんかじゃまったくないということがわかる。

一家の精神的支柱の光子が亡くなり、平造も寅次郎が家出した数年後に死ぬ(映画の設定上のこと。原作では平造の行く末について記されていない)。

残された寅次郎、さくら、竜造、つねには、血縁はあるもののが、それが4人を家族として維持するほど濃いものだったとは思えない。じゃ、何が4人を家族たらしめていたのかというと、それは4人が家族であり続けようとした意志だったのではないだろうか。

寅次郎は家出しつつも妹のさくらを案じ、さくらは姿を見せない兄を心配する。竜造とつねは責任を持ってさくらを育て上げ、寅次郎のことも面倒見続けた。それは血縁だからというより、お互いのことを想い続ける意志の力が大きかったんじゃないかと思う。

そして、もう一つ、光子という大きな存在がある。捨て子だった寅次郎を愛情いっぱいに育て、家族も家業をも支えた光子の姿をみんな見ていた。光子が亡くなっても、光子のことを想えばこそ、みんながあの家に集まってくるのだろう。

「古き良き」というなら、下町のご近所みんなで子育てをするというあたりだろう。寅次郎にとって父親代わりの御前様のような存在が、今の日本にもたくさんいるといい。

血縁とか伝統的な家族とか正しさとか関係なく、人と人との気持ちが寄り集まって、日本を代表するような有名な家族が出来上がっていたんだな、とあらためて感じるドラマだった。
(大山くまお

作品情報
NHK土曜ドラマ「少年寅次郎」
脚本:岡田惠和
演出:本木一博、船谷純矢、岡崎栄
音楽:馬飼野康二
出演:井上真央、毎熊克哉、藤原颯音、泉澤祐希、岸井ゆきの、きたろう、石丸幹二
制作統括:小松昌代、高橋練
制作:NHKエンタープライズ
製作:NHK