「煮るなり焼くなり好きにしてください」

大学卒業後、テレビの制作会社に就職した僕は、先輩からこう紹介され、担当したバラエティ番組のチーフプロデューサーとお会いしました。

「まあ、先輩のいうことをよく聞いて頑張ってよ」

素で「煮るなり焼くなり」なんて言う人を初めて見た衝撃を消化できないまま、僕のテレビマンライフが始まったのです。

徹夜続きで3週間帰れない

僕の就職先はテレビ局ではなく、制作会社でした。
制作会社の場合、ADは局に派遣されて局に常勤することもあれば、制作会社のオフィスで仕事をすることもありました。

その勤務先は1週間の研修期間中に決まります。
僕はとある局に常駐することが決まったのですが、自宅はその局から電車で1時間ほどかかりました。制作会社のオフィス基準で家を選んでいたので、自分の決断を悔やんだものです。

働き始めてすぐに、ちょっと遅くなると家に帰れないという状況になってしまいました。
そもそも編集作業は徹夜で行うのがデフォルトで、3晩ほど編集センターにこもりきりで番組を作り上げます。

ADは編集作業中の食料品を買いに行ったり、編集に必要な素材を集めたりなどの作業に奔走し、スキを見ては眠るという生活になるのです。

編集の日以外でも、リサーチ業務や収録準備など膨大な業務に追われ、帰宅できる日が少なかったと思います。一番酷い時で、長時間の生放送特番が絡む月は3週間帰れないこともありました。

3週間ぶりに家に帰ると、ベランダに干してあった洗濯物が雨で濡れて、乾いてを繰り返した結果、すべて1つになってしまっていたことを覚えています。大量のTシャツがぐるぐるに絡み合っている光景は、まるで前衛美術でした。

帰れる日は普通の社会人の「休日」くらい嬉しかったと思います。いつも机に突っ伏したり、椅子をつなげて眠ってる僕からすれば、自宅で眠れるのは最高の幸せでした。

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ブラック先輩とのお付き合い

番組には僕を含め、5人のADがいました。
先輩たちとのお付き合いも大変で、中でもチーフADの方との付き合いはとても大変でした。

個人的にもっともしんどかったのは、喫煙所に付き合うこと。
僕はタバコを一切吸わないのですが「タバコを吸うときに話し相手がいないと寂しいじゃん」ということで、僕も同行させられるのです。

タバコを吸わないのに、副流煙だけ吸い続けるというのはなかなかキツイものがありました。
機嫌が悪い時は「喫煙所に来ているのに、なんでタバコ吸わないんだよ」と怒られることもあり、無理やり吸わされてゴホゴホ咳き込むことも…。

タバコを吸わない」という僕の特性は、タバコおつかいを任されたときに銘柄を間違いやすいという悲しい事態を引き起こしました。

なんでタバコのデザインって、あんなに似ているのでしょうか。よく間違って「ライト」を買ってしまったりして怒られていました。

流血就寝

常時睡眠不足で、常時パワハラを受け続ける。
そんな環境にいると、頭がまわらなくなってしまい、僕の仕事はどんどん精度を欠くようになりました。

あるとき、フラフラになりながら編集センターの廊下を歩いていると、歩きながら寝てしまい、柱に顔面を強打。

メガネをかけていた僕は、メガネの金具が顔に当たり、激痛が走りました。
僕は『痛い…痛い……』とうめきながら、目の前にあった椅子に腰かけて、テーブルに突っ伏したのです。

「大丈夫ですか!大丈夫ですか!!」

僕を起こしてくれたのは、編集センターの警備員さんでした。
なんと僕は激痛に苦しみながら、眠っていたのです。

顔を起こすと目の前には血だまりが。警備員さんに「死んでるのかと思った」と言われました。
顔面蒼白の警備員さんに『ハハハ、顔をぶつけただけですよ』と告げ、自分の持ち場に戻ると、先輩も驚愕。

「あ!お前、どこで何やって…て、え?お前どうしたん?大丈夫か??」

血だらけで持ち場に戻った僕は、就職して初めて先輩に身体の心配をされたのです。
血だらけの顔を洗いながら、僕は「もうそろそろ限界かな」と思いました。

次に「辞めろ」と言われたら退職しよう

退職を決断したはいいものの、打ち明けるタイミングがありませんでした。
とにかく忙しくて、忙しくて、忙しくて。常に仕事で忙しくしている中で、伝えるタイミングはなかったのです。

伝えるタイミングがあるとするなら、怒られているとき。
頻繁に「辞めろ」とブラック先輩に怒られていた僕は、次「辞めろ」と言われたら、『辞める』と言おうと思いました。

情けなくもそのタイミングは、そう思った当日に訪れました。
『はい、辞めようと思っています。僕はもう続けられません』
真剣にそう伝えると、ブラック先輩は「そうか、わかった。会社には俺から話しておく」と言ってくれました。

僕は翌月いっぱいで退職することになりました。

退職すると言ってから、僕の仕事の精度は格段に上がりました。
頭の中が整理され、仕事に集中して取り組めるようになったのです。
周囲からも「お前、辞めなくていいんじゃない?」と言われたりしました。
やっぱり、精神的な問題だったのかな、と思いながら、残り短い期間の業務に取り組んだのです。

ブラック先輩と2人きりになったタイミングで、話を聞きました。

「俺も辞めようと思ったときもあったけど、もうこの年だし。この業界に染まったら、ほかの場所でうまく働ける自信がないだけでさ。すぐに見切りをつけるお前は偉いよ」

ブラック先輩の思わぬ言葉に驚きました。
僕はブラック先輩の言葉をうまく消化できないまま、最終出勤日を迎え、静かに退職したのでした。

最後のパワハラ

最終出勤日を終え、翌日ゆっくり休んで「今日は何をしようか」と起きた朝。
ブルルルル!とケータイが鳴りました。ケータイを見ると、メールが届いていたのです。

「10時にデスク。マジで」

なにか大変なことをやらかしてしまっていたのでしょうか。
僕は大慌てで着替え、2日ぶりに勤務先に向いました。

するとブラック先輩が「ほら、来た!ホントに来た!」と大喜び。
なんでもリサーチに人手が必要で、なんとしても手伝ってほしかったのだとか。

先輩が「ちゃんと会社には報告済み。バイト代を支払ってもらえるように話付けてるから!」とのことだったので、僕は結局その日はお手伝いをすることにしました。

今思えば、パワハラ以外の何物でもないのですが、なんだか僕は困ったときに僕を呼んでくれたことが嬉しかったのです。

その「最後の仕事」は僕にとっても、いい思い出になりました。ブラック先輩に「今日はマジでありがとう。東京に来たら絶対に遊びに来いよ」と言ってもらい、最後に役に立てて良かったなと思いました。

このADの期間は辛く苦しいものでしたが、僕にとっては大きな財産になったのは間違いありません。

ADという仕事はとても過酷で、ディレクターはさらに過酷です。僕のように数カ月で辞めるADも多く、いつも制作現場は人手不足になっています。

制作現場にもっとゆとりができ、労働環境がよくなり、より良い番組ができる制作環境になることを心から祈っています。