―[連載「ドン・キホーテピアス」<文/鴻上尚史>]―


◆人生で一回は、見ておきたかったアウシュビッツのこと

 ポーランドに来ています。ワルシャワ大学の日本語学科の学生達相手に講演をするためです。

 最初、この仕事を頼まれた時には、芝居の本番中なので断ろうと思いました。んが、「鴻上さん、希望すれば、アウシュビッツ、見れますよ」の一言で決めました。

 人生で一回は、見ておきたい場所だと思ったのです。

 で、『地球防衛軍 苦情処理係』はキャストスタッフにまかせて(はい、今週末は大阪公演です。お待ちしてます)3泊5日の弾丸ツアーで、ポーランドに旅立ったのです。

 入国審査では、美しい女性の検査官の前に立ったのですが、ニコリともせず、一言も口を聞かず、ただ、黙ってパスポートに入国のハンコを押されました。彼女は、すぐに、横にあるドアを開けました。が、パスポートをバッグにしまっている間に、ドアは閉まりました。「開けてくれませんか?」と頼むと、「ファスト! ファスト! ファスト!(急げ! 急げ! 急げ!」と怒鳴られました。

 40ヶ国以上旅してますが、入国審査でこんなことを言われたのは、初めてです。ドキドキしました。

 で、ワルシャワからその日のうちに、電車で2時間半かけてクラクフという街へ。ここからアウシュビッツまでは、車で1時間ちょっとです。

 次の日、つまりは今日なんですが、朝7時半にホテルを出て、9時少し前にアウシュビッツに到着。

 日本人で唯一、アウシュビッツを案内している公式ガイド中谷剛さんにお会いしました。

 聞けば、中谷さんはポーランドに住んで30年ほど。公式ガイドになって20年ほどだそうです。

 最近は、「ダーク・ツーリズム」と呼ぶのか、どんどんとアウシュビッツを訪れる日本人が増えているのだそうです。

 いきなり、映画やドキュメントフィルムでよく見た「ARBEIT MACHT FREI」の文字が張り付けられた門が見えました。「働けば、自由になる」という、じつに嫌なインチキな詐欺の文章ですね。

◆「害虫」と呼ばれ殺虫剤で殺されたユダヤ人

 で、その門を入らずに、中谷さんは、「多くのユダヤ人が通った道を行きましょう」とエントツのある建物に向かって歩き始めました。

 収容所に連れてこられた総数は130万人ですが、ユダヤ人110万人。そのうちの80%、約90万人は、収容所で手続きを受けることなく、直接、ガス室に送られて殺されたのです。

 ガス室では、「毒ガス」が使われたと思われがちですが、正確には、「チクロンB」という「殺虫剤」です。「殺虫剤」ですから、当然、殺傷能力は低く、密閉した空間で20分から30分、閉じ込めないと人間は完全には死ななかったそうです。

「どうして、毒ガスを使わなかったのですか?」と素朴に聞けば、経済的な問題で毒ガスが高かったことと毒ガスだと死体を片づける時にも危険だったという解説でした。

 高濃度の毒ガスが残留していると、死体を片づけながら死んでしまうという可能性があったのですね。

 ユダヤ人は、最初、「あいつらは害虫だ」と言われて、街中で迫害されました。それが、最後には、「殺虫剤」で殺されるという「奇妙な比喩」にゾッとしました。

 いきなりガス室に送られなかった人たちは、ドイツ人らしい几帳面さというのか、見事に分類、整理されていました。

 囚人服の胸に黄色い星型のワッペンユダヤ人。赤い逆三角は政治犯。レジスタンス活動とかですね。濃い黒の逆三角形は反社会的分子。ロマ(ジプシー)などの人達です。緑の逆三角は刑事犯。ドイツの囚人が多かったそうです。紫の逆三角は、エホバの証人の信者達。そしてピンクの逆三角は、ゲイ。

 この人達を、ドイツ人ではなく、主にユダヤ人の囚人が監視します。監視員の役を担ったユダヤ人は、寝る場所や食料の配分を含め、待遇が良くなりました。

 囚人を目に見える形でワッペンを貼って部類し、それぞれを分断し、さらに、囚人の中で監視する側と監視される側を作り、ドイツ人ではなく、ユダヤ人ユダヤ人を監視するシステムを作り上げる。

 唸るほど考え抜かれた巧妙なシステムです。「“正義”がたどり着いた場所」がアウシュビッツだといえるんじゃないかという話は、次回。

―[連載「ドン・キホーテピアス」<文/鴻上尚史>]―


鴻上尚史